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第二章 瞳の奥の記憶 01

 執務室でエリスの姿が目に入って、ロイは思わずこめかみを押さえた。


「おかしいな。院までの地図で、迷子になったのかい?」

「うーん。実講を抜け出す時間を間違えました。もう取り調べ終わってると思ったのに……」


 リドリーは、スダリを取り調べるため、朝一番で警察に出向いたままだ。


 エリスは、執務室の自席にドサリと座り、つまらなさそうに朝の窓を眺めた。いつもの大きな目にまぶたが半分下がり、上唇が小さく突き出ている。しっかりと拗ねているな、とロイは苦笑した。


 聞くと、昨日エリスは保安局の研修に出ていた。終わりがけに講師役だった捜査主任を捕まえて、約束していたリドリーの調書記録を見せてもらっていたのだという。


「そこでクレイさんに会って聞きました。昨日、先輩がまた火災現場に行ったって。私も追加検分を見たかったです」


 エリスは口を尖らせた。ロイは、やれやれと微笑みながら、


「昨日の現場は、僕が朝から行こうと言ったんだ。急ぎの案件だからね。実講がちゃんと終わった後でも、今朝の取り調べの内容は聞けるだろう?」

「それはそうですけど、昼からは別の仕事だし。先輩と話す時間が少ないんですもん」


 今回は、自分で現場の情動採取をしたせいか、エリスにとっては、いつもよりこだわりが強いようだった。ロイは、穏やかな口調で言った。


「エリスの今日の午後は、予定変更だよ。リドリーがもう一度、現場で検分をするからね」


 現場で崩落の危険があった箇所の安全が確保できたため、リドリーと相談し、昨日まわれなかった採取場所を調べることにしたのだった。エリスは、椅子から立ち上がりそうな勢いで、ロイを振り返った。


「今日は一緒に現場を検分しよう。昨日の検分のことも、リドリーから聞くといい。エリスは情動採取した功労者だからね」


 エリスは、キラキラした瞳を大きく見開いて両手で顔の下半分をおおった。座りながら両脚でバタバタと足踏みする。まるで、プレゼントの袋を開けた子どものようだ、とロイは思った。


 喜びをひとしきり溢れさせたようで、エリスは右手を胸にあてて、

「三度目です」

 そう聞いて、ロイは思い返した。この半年の間、そう言えば、エリスがリドリーの深い情動感知を見る機会は、決して多くなかった。


 一般に、情動採取の場所を見つける情動感知は、術者によって視覚や嗅覚、触覚など感じ方がそれぞれ違い、組み合わせや程度も様々だ。中には「影が教えてくれる」と言うツワモノもいる。それらは個人差の範囲とされているが、リドリーの特殊な感知は、明らかに別次元のものだった。何しろ時系列で情動を実体視できるのだ。


「先輩は、昨日も、その……『見た』んですよね? 前から気になってたんですけど、どうしてあまり使わないんですか?」


 決して内緒事ではないのだが、低い声になっていた。エリスなりに機微を感じているようだった。


 率直な質問に、ロイは「うーん」と小さく唸った。さて、どこから話したものか。

 ロイは、近くの椅子を引き寄せて座った。


「法術が、どうしてここまで広く発展したか、分かるかい?」

 その経緯は、法王庁の歴史そのものである。修法院の授業でも、必ず最初に習う昔話だった。


 今から八百年前、各地で「まじない」や「妖術・魔法・法力」などとして使われていた力を集約し、法印による術式、つまり「法術」として体系化した学者がいた。名を「ルト」といった。


 ルトは、法術の原理を詳細に研究・分類して、その機能を細かく分解していった。そして、それらを多様に組み合わせることで、次々に多くの作用が生まれることを発見したのだ。そうして薬品や法具を使い、特に医療や軍備、開拓、航行、水路網などの技術をめざましく発展させ、民衆の生活を支え、広く帝国の治世を築く礎となった。


 その数々の奇跡と貢献を讃え、皇帝はルトに「法王」の称号を授ける。そして、法術の発展と活用を担う国家機関「法王庁」の設立を許された。


 法術は、まじないや呪いのような「得体の掴めない何か」を「誰もが理解でき得るもの」にした。多くの事例を根拠として因果関係を検証し、誰もに見える形で再現性を確認し、論理体系に組み込むことで客観的な説明ができるようになったのだ。


 こうして法術は信頼を積み上げて広く受け入れられ、発展したのである。


「リドリーの特殊な情動感知は、リドリーにしか見ることができない。なぜ見えるのかも分からないから、法術体系にも組み込めないんだ。だから証拠にはならないし、何が起きても保障できない。大袈裟に言えば『禁忌』の法術なんだ」


 ロイは、話を続けようとして、少しためらった。この能力がリドリーにとってどういうものか、考えをまとめ兼ねた。そして、視線を宙に傾けて、穏やかな口調で言った。


「それに、現れた情動は、それぞれの性質でリドリーの心に干渉しようとするんだ。でも、リドリーは『彼ら』と争いたいわけじゃない。だから、結晶だけでは読みきれない時だけ、見るようにしているんだ」


 すると、エリスは何やら考え始めた様子で、軽く握った手を口元に寄せた。


 その表情は、いつになく真剣だった。


「私が、ここの配属の内定をもらう少し前に、先輩の検分を見学したことがあるんです」


 それは、修法院の導士課程最後となる実習での話だった。


 当時そこには、研修生として帝国中の主要都市へ向かう予定の、同期の院生たちが大勢集まっていたという。

 エリスは、たとえどこに配属されても、この中の誰よりも優秀になることを目指してきたし、その確信も自負もあった。


 術を磨くため、院主催の地方の講習にも参加して、多くの鑑察官の仕事を見学してきた。教えを乞い、手解きも受け、知識や技術の吸収に労力を惜しまなかった。やがて導士課程が進むにつれ、段々と新しく習えることは無くなっていたという。


 それでも、盗める技があるのなら何でもモノにしようと、その日も最前列で見学した。


 そこは、リドリーが担当する殺人事件の現場だった。いくつもの畑が広がる郊外の丘陵だった。早春の風が、芽吹きの香りを運んでいた。


 緑の丘の上に、青い空を背負ったリドリーが、栗色の髪を風に揺らしていた。その風景を、エリスは見上げた。


 術が始まり、リドリーが足元に法印を出すときに、


「安らかに」


 近くで集中して見ていたからだろう。そう唱える声が微かに聞こえた。


 法術は、伝統として儀礼的な詠唱を残すものもあるが、機能的には、すべて無詠唱である。エリスは違和感を覚えた。発声は、術への集中力を大きく乱すからだ。


 しかし裏腹に、リドリーの法印が支配する感知範囲は広かった。その境界では、淡くも鮮やかな光のカーテンが、風景に溶け込んで美しくゆらめいていた。豊かな術力を感じた。


「女神の庇護に、憩い給え」


 また聞こえた。リドリーが、まるでオーケストラの指揮者のように両手を身体の前で握る。その動きに合わせて、二本の赤い光柱が高くそびえ立った。


 研修生たちが、少しざわめいた。凛とした立ち姿、しなやかな所作、満ち溢れる術力、陽光にも負けない赤い光柱の艶めき。美しい、とエリスは思った。皆もそう感じたのだろう。


 情動採取まで終わると、エリスはリドリーに駆け寄った。何の詠唱だったのかを率直に問うた。


 法印を制御しやすくなるのか。情動との距離感の精度が上がるのか。術圧の厚みは変わるのか。エリスは、思いつく限りに尋ねた。


 するとリドリーは、恥ずかしさを隠すような笑みを浮かべ、現場を見渡しながら答えた。


「情動は、産み落とされた場所に、ずっと残ってるんだ。たとえ(あるじ)がいなくなっても、安らぐことも眠ることもできずに、悲しみ続けて、恨み続けてる。雨風にさらされて消えてなくなるまで、ずっとその姿のまま。だから、早く静かな世界に行けるように、私は祈ってるんだ」


 これまでエリスは、採取場所を正しく掴むには何を感じ取ればいいか、綺麗な結晶を採るにはどんな術圧がいいか、色彩はどう解釈すればいいのか、そういうことばかりを考えてきた。

 もちろん、それらは鑑察官に求められる能力だ。すべてと言ってもいい。


 エリスは呆然として、リドリーの照れた微笑みに惹き込まれていた。


 私には……何一つとして、ないものだ――


 その実習が終わった直後に、エリスは教授を捕まえて、配属を強く希望したのだという。私的な希望は通らない。だが、元々の予定だったのか、よほどの熱意だったのか、首席であることが考慮されたのか、間もなく本庁の鑑察課に内定したとの連絡を受けたという。


「あの時、私は、この人から仕事を教わりたいと思ったんです。先輩は、かっこいいです」

 エリスの声は静かだったが、しかし黒い瞳は興奮気味に輝いていているように見えた。


 ロイは、その視線を受け止めて、ゆっくりと頷いた。あと半年もすれば、きっといい鑑察官になるだろう。


 しかし……


「実講にはしっかり出るんだよ。もうサボらないように」


「まぁ、そう言わずにィ」


 いつものエリスに戻った。

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