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第一章 彩りを読む人 11

 リドリーは、ソファの上で目を覚ました。


 上半身を起こし、誰もいない部屋を見まわす。


 背もたれに脱いだ法術衣が掛けてある。窓から見える影は、昼下がりだった。


「いけない、寝ちゃったんだ……」


 鑑察課の執務室の近くにある応接室だった。リドリーは、ここに帰るまでの経緯を思い出した。


 犯行現場の書斎で情動感知から覚めた後、リドリーは他の三ヶ所の採取場所を回ろうとしたが、身体が言うことを聞かなかった。


 すでに法術酔いを起こしていた。頭は重く、歩くと少し吐き気がした。情動に記憶を読まれたことが原因だと思われた。現場ですぐに、身体に溜まってしまった術力を、ロイが法術で抜いてくれた。


 ロイは、崩落の危険があるから、と他の採取場所の検分を取りやめ、帰還を勧めた。


 庁舎に戻って、ロイはリドリーを応接室に招き、一杯のお茶を入れると、

「しばらく、休んでいるといいよ」

「ありがとう。大丈夫、もう平気」


 そんなやりとりの後、ロイはリドリーを残して執務室に戻っていった。リドリーはそのまま眠ってしまった。


 疲れ切った私を気遣ってくれたのだろう、とリドリーはロイに申し訳なく思った。体力を使いすぎて、情動採取した他の三ヶ所にはその場に立てもしなかった。


 動きの読みづらい、俊敏な情動だった。大して近付いていないはずなのに、精神への侵食を許してしまった。強い情動だった。


 リドリーは苦笑した。彼我の力を見極めろ、とサリアスに叱られそうだ。


 現場には、夜警団が危険箇所を取り壊した後で、改めて見に行こう、とリドリーは思った。それまでは書斎の検証だ。


 最初に『付託』が出現した後は、『失誤の隠匿』が二回あった。オリナの首に扼痕がついたのは、この時と考えられる。


 だが、オリナはまだ生きていたはずだ。そのすぐ後に『辛苦からの解放』が出たからだ。これは死者を相手に出現する情動ではない。


 扼殺は不全だった。


 リドリーは、『失誤の隠匿』が誰のものか調べられなかったことを思い出した。一体目の釣鐘型の情動に、法杖の石突きを刺し込んで情報を得ようとしたが、二体目に遮られた。


 結晶では見られないが、リドリーの情動感知の世界では、情動ごとに人の癖が出る。サリアスは、それを『紋』と言った。情動同士の『紋』を比べれば、どれが同じ人物の情動なのか分かることがあるのだ。それを他の場所の情動と照らし合わせれば、誰に何が起きたのか検証しやすくなる。


 詳しく調べたかったが、近づくだけで記憶を読まれてしまうのでは調査は困難だ。度が過ぎると、意識を支配されて現実に帰れなくなる。


 ――『共感』はするな。『観察』だ


 難しいな、とリドリーは苦笑した。

 リドリーには、さらに気になることがあった。最初に光った『付託』情動が、二度目の『辛苦からの解放』の直前にもあったことだ。


 誰が何を願おうとしたのか? オリナが、苦しみから逃れるために自殺の幇助を願ったのだろうか? いや、首を絞めてきた相手に出す情動でもないだろう。また逆に命乞いなら別の情動になるはずだった。


 その後、二度目の『辛苦からの解放』情動がスダリから生まれたのだとしても、やはり扼殺は選ばれない。何の行動も見出せないまま、情動は消えていくだろう。


 オリナの生きたいとする被害者としての生存情動もなく、どこまでオリナの意識があったのかも不明だ。


 あの情動たちの主は誰なのか――


 帰りの幌馬車の中で、リドリーは、ロイに情動感知で見たことを話した。ロイは一つひとつに頷いて、時折リドリーに確認をした。二人でいろいろな推論を立てた。


 これだけの情動が出現している以上、オリナとスダリの間には、それに沿った少なくない会話があったはずだ。それが今後の取り調べの要点になる。


 リドリーは、ティーカップを片付けると、更衣室で法杖と法術衣をしまい、鑑察課の執務室に戻った。


 リドリーの姿に気づいて、ロイがその様子を確かめるように見つめた。笑顔になって、

「おかえりなさいませ。いいお目覚めのご様子で、何より」

「うむ。良い心地であった」

 とリドリーは照れ笑いして、「ごめん。取り戻すね」


 ロイはゆっくり首を振った。

「大収穫だったよ」

「クレイじゃないけど、走り込まなきゃ、だめだね」


 ロイは、リドリーの執務机にやってきて、一枚の書類を机に置いた。

「結晶だけでは、こんなに情報が出ないからね」

 書類を見ると、幌馬車の中で話した内容が、分かりやすく箇条書きと図でまとめられている。


 小さく、釣鐘の形をしたモンスターの絵があった。


 リドリーは、笑った。


「これも情報ね?」

「極秘だよ」

「わかった。内緒にしとく」

 リドリーが人差し指を口元に寄せた。一休みしたからだろうか、身体も気持ちも、とても軽くなっていた。

 ロイは、安堵したように微笑んでいた。


 リドリーは、改めて書類を読んだ。帰りに話していたことが、ロイらしい綺麗な字で、余すところなく書かれていた。これをもとに、取り調べで尋問する内容をまとめられそうだ。


 ――内緒か


 モンスターの絵を目ながら思った。確かに、これらは表に出せない情報だ。


 リドリーの特殊な能力は、『情動感知』の延長上にあるもので、犯行現場でどのように情動が生じたかを、時系列で心象風景として見ることができる。しかし、それはリドリーにしか見えない景色であり、その内容を客観的に示すことができないのだ。


 そもそも証拠物件として扱えるのは『情動結晶』であり、『情動感知』自体には法的な証拠能力がない。


 ――お前にしか見えない事実は証拠にならない。他の奴にも見えるものを突き止めろ


 サリアスの言葉が蘇った。

 ここから、一つひとつ証拠を突き止めていかないと――

 リドリーが、書類から顔を上げたとき、執務室のドアが乱暴に開いた。


「よかった! いた!」

 クレイは、リドリーとロイに近づきながら、「二人とも朝からいないって聞いてたから。……事態が変わった。軍が接触してきた」


 二人が顔を見合わせる。クレイはリドリーの机上に両手をついた。


「火災現場での救護任務中の案件だという理由で、スダリの身柄引き渡しを要請してきた。もちろん、こっちは民間火災の救助活動だから行政管轄だと言ってるんだけど」

 クレイは重い息を吐くように、「まだ大隊長からの要請だから、様子見ができる。でも旅団まで上がるか、事務方から元帥府に入ったら、耐えられそうにない」


 ロイは小さく頷いた。

 元来、軍事捜査を行う憲兵の指揮権は、軍の各部隊系統にあった。被疑者の引渡権限を持ち、軍法会議を司る。だが、ここ十数年の法規上、皇宮直轄の元帥府がその権限を統括することになっていた。


 とはいえ、軍の各部隊が捜査の指揮をとる伝統的な慣習は、いまだ残っていた。歴史の深い帝国であるだけに、伝統の影響力は根強く、権力の重複状態にあった。


 警察による国内の治安力を高めたい皇宮系統の元帥府なら、身柄引き渡しには慎重だろう。だが、今回は軍が動いている。


 救護班の部隊を持つのは大隊級からなので、今回は最下級からの要請である。軍も警察の出方を見ているのだろう。その上位は、連隊、旅団、師団となるが、

「少なくとも旅団級を抑えない限りは、慣例的には逮捕後一週間が目安だね」


 ロイが言うと、クレイがガックリとうなだれて、

「引き渡し要請なんて言ってるけど、奴らは結局なにも捜査なんてしやしないさ」


 目的が、救護隊員の醜聞をもみ消すためと考えられるからだ。


「出身地は分かったのかい?」

「いま、ドレッドに捜査官が出向いてる。スダリとオリナの故郷なんだ」


 クレイは、リドリーに視線を変えて、「オリナとの関係は、ウラを取ってからスダリに尋問する。それまでは伏せておいてくれ」

「うん。わかった」

「それから」

 と、クレイはいったん言葉を切ってから、「スダリの情動鑑定、殺人の犯意が欲しいんだ。何とかならないか」


 予想していたとはいえ、リドリーは思わず眉をひそめた。

「まだ初期尋問もしていないんだよ。根拠の取れない鑑定はできないよ」


 鑑察官は、『情動結晶捜査鑑定書』を書くことが職責だ。

 鑑定書の発行は、逮捕後一週間までが原則で、それまでは鑑察官の署名がない『経過所見』として記載する。既に嫌疑未定の内容で提出していた。


「自分がやったと自供が取れてるんだ」

「信用のおける供述なの?」

「否認だってできたはずだ。首に扼痕は付けたが殺せなかったと証言することもできる。誘導尋問もしてない。でも奴はそう言わなかったんだ」


 今回はクレイも譲らない。少しの間を置いて、

「いま捜査室では、スダリが煤煙中毒になったオリナを見たことで『安楽死情動』が出現、その後、避難経路を自分が間違えたことで『失誤の隠匿』が現れて扼殺した、という筋で動いている」


 それは、リドリーが現場で見てきた景色とは、完全に逆の順番だ。リドリーは首を振った。


「オリナには生存情動がなかった。気を失っていた可能性だってある。火災現場で、煤煙中毒のオリナをわざわざ扼殺する必要がないでしょう」


「奴は現場で放心状態で見つかったんだ。まともな判断ができたかどうか、怪しいもんさ。可能性を言ったら、相手が気を失っていても自分の手で殺害することだってあるだろう? 絶対に『失誤の隠匿』情動で扼殺したのではないと言いきれるのか?」


 情動結晶だけであれば、リドリーもそう鑑定するかも知れない。リドリーは、情動の出現順を話そうとしたが、言えなかった。二つの情動の前後関係は、リドリーが見ただけのもので、証拠能力がない。裏付けるものもない。


 『お前にしか見えない事実は証拠にならない』


 ――先生の言葉が、こんなにも重い。


 ロイが、たしなめるように、

「クレイ。捜査室が焦る気持ちはわかるが、誰かが冷静でないと、事実が見えなくなる。今はまだ、多くの裏付けが取れていないんだ。自分が殺したはず、というスダリの供述だけが拠り所になっている。だけど、この供述が裁判でひるがえされたら、どうする?」


 クレイは、しばらく机上に目を落とした後、顔を上げた。


「その裁判にすら、たどり着けないかも知れないんだ」


 リドリーが、執務机の引き出しから一枚の書類を出し、必要項目を書いた。最下部に、慣れた手つきで鑑察官署名を描くように記す。


 『鑑定捜査指名書』。鑑察官による被疑者取り調べの手続き書類である。


 机上でクレイに差し出しながら、リドリーは言った。


「可能性だけで偏った鑑定はできないよ。スダリに会わせて」

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