秘密のリフレタイム【side:隻腕のギルマス】《3分恋#7》
ギルド・マスターは、誰よりも強くあらねばならない。物理的強さは、この片腕と共に失った――それでも心だけは、誰にも許してはならない。
はず、だったのだが――。
「……おい、鍛冶屋。貴様のところの窯はまた休みか?」
帷が降りた書斎。膝の上には、今日も黒猫が丸まっている。
「ニャオン」
問いに対し、鍛冶屋の猫は尻尾を揺らすだけ。
こいつは精霊猫だ。ただの猫ならまだしも、言葉を交わし人型にもなれる雄に膝を許すのはまずい気がするが――小さな温もりが、なんとも心地よい。
この猫の前では、つい口元が緩んでしまう。
「しかし貴様、なぜ毎日のように執務室へ来る? 暇があるならば刀を……」
打て、と言いかけて口をつぐんだ。
この猫が今、こうして黙って膝に乗っていること。それが唯一、私が「ただの私」でいられる時間なのだ。
「ゴロゴロ……」
「ふふっ、お前はかわいいなぁ」
きっと私は、この時間を自ら捨ててはならない。
これまで無くなってしまったら、私の心は強くいられない――。
眼鏡を外し、瞼を閉じた。
彼の柔らかさと熱が、もっと深く感じられるように。
いつ、鍛冶屋の猫――ルブが私の膝に飽きるのか。内心怯えながら、それでも今日も来ることに安心しながら、日々を過ごすうちに。
ふと、「あの日」のことを思い出した。
「……お前、昔、私に『嫁に行きたいんですか?』などと言ったな」
猫のしなやかな尾が、ぴくりと揺れた。
あの時。この尾が、私の残された腕に巻きついた。
優しく、包み込むように。
「あんな風に暖かく触れられたのは……この世界だと、お前が初めてだったよ」
囁くように、吐き出すと。
猫の輪郭がふっと揺れて、次の瞬間――膝の上に、人の重みが乗った。
黒髪に猫耳の青年。
「……今さらデレるとか、ずるいでしょ」
そっぽを向いた顔が、薄く染まっている。
「ルブ。お前はどうして毎日、私に会いに来てくれるんだい?」
いつの日か、老眼用に変わった眼鏡越しに見ても、ルブは本当に変わりない。
金銀の瞳を見つめていると、彼は尖った耳を伏せた。
「俺はずっと待ってるんだよ……アンタがギルマスじゃなくて、ただの“女”になるまで」
「……そう、だったの」
今、ようやく気づいてしまった。
私は、この想いにずっと名を与えなかっただけだったのだ――。
そっと、彼の頬に手を伸ばす。シワの目立つ手でも、まだ彼を撫でることはできる。
「ヒカミさん、俺……ずっとアンタが」
「バカ者。言わんでも、もう分かっている」
そっと尾が手に巻きつく。
あの時と同じ感覚――。
くすぐったい温もりを感じながら、そっと瞼を閉じた。