理由がわかる夜
別れは、思ったよりも静かだった。
「もう、限界かもしれない」
その言葉を言ったのは、優斗のほうだった。
カフェのテーブル越しに向かい合っていた私たちは、どちらからともなく笑っていた。
笑っていたのに、その笑顔の下には、もう続けられないという共通認識があった。
「きみは、すごくちゃんとしてる」
「……それって、嫌だった?」
彼は少し黙ってから、正直にうなずいた。
「うん、嫌だった。っていうか……正しすぎて、居場所がなくなる感じだった」
その瞬間、心のどこかにいた直人が、静かに輪郭を取り戻した。
——やっぱり、そうだったんだ。
家に帰ると、夜の匂いがした。
あたたかい飲み物を入れて、カーテンも開けず、リビングの床にそのまま座った。
何もかもが、わかったような気がした。
直人が私を選ばなかった理由。
“格下”に見えたあの子を、彼が選んだ本当の意味。
それは、私がずっと思っていた“理想の彼女”という像とは、全然違うものだった。
直人にとって大事だったのは、たぶん「完璧さ」じゃなかった。
正しくいようとしないこと。
弱さを見せても受け止めてくれること。
怒ったり、泣いたり、笑ったり、思ったままをぶつけてくること。
私は「選ばれるために努力した」けれど、
彼は「努力しなくても隣にいてくれる人」を選んだ。
その違いに、ようやく気づいた。
数日後、偶然ではない再会があった。
共通の友人の結婚式。白いドレスと笑顔に囲まれた、あの場所で。
直人は、向こうから話しかけてきた。
「久しぶり。元気……だった?」
「うん。元気だったよ、たぶん。……あなたは?」
「まあ、なんとかね」
少しだけ笑い合ったあと、沈黙が落ちた。
それは気まずくもなく、優しくもあった。
私は、心に引っかかっていた言葉をついに出した。
「なんで、私じゃなかったの?」
彼は驚いたように目を見開いて、でもすぐに視線を落とした。
「……あのとき、きみといると、自分が“ちゃんとしなきゃ”って思いすぎてた」
「プレッシャーってこと?」
「うん。でも、責めたいわけじゃない。むしろ俺のほうが、弱かったんだと思う。……ちゃんとしない自分を許してくれる人が、欲しかったんだ」
私は静かにうなずいた。
胸の奥で何かが、すっと溶けた。
ずっと探していた答えは、たったひとことだった。
「許してくれる人」
私がずっと持っていなかったもの。
私が、自分自身にさえ与えられなかったもの。
帰り道、街の灯りがにじんで見えた。
涙かどうかは、わからなかった。
でも、ようやく過去を手放せる気がした。
彼が選ばなかった私。
私が選べなかった自分。
どちらも間違いじゃなかった。
私はこれから、自分を少しだけ“許すこと”を覚えていこうと思う。
きっとその先に、新しい私がいる気がした。