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よろしくお願いいたします。
逆鱗の気配を追って旅を続け、チジクイという街に宿をとった二人は、食事を終えて部屋で休んでいた。
例によって、部屋は一つだ。
ルノフェーリの手の中には、端っこが少しだけ欠けただけの逆鱗があった。
ベラ……ベーリアーラが覗き込むと、よく見えるようにしてくれた。
藍色の逆鱗は、艶やかでほんのり透明感がある。
「ベラ、これでほぼ全部集まった」
「残りの欠けた部分は、どっちにあるの?」
「えっと、最後の欠片だから」
「あ、最後なのね」
「うん。ベラの中に」
「あぁ、私の中……」
「……うん」
二人で、思わずベーリアーラの腹を見た。
「いや、お腹にあるわけじゃないんだけどね」
「そうよね、普通に摂取したなら身体を作ってるか出てるかしてるわよね」
「うん、そうだけどそうじゃない」
逆鱗を眺めたルノフェーリは、思いつめた表情でベーリアーラを見た。
「ねぇベラ、お願い。これ飲んで。そんで、俺の番になって。これからも一緒にあっちこっち、何なら別の大陸まで足を延ばして旅をしたり、のんびり滞在したりしようよ」
じりじりと距離を詰めるルノフェーリを見て、ベーリアーラは目を座らせた。
「何それ。道連れが欲しいんなら別をあたってくれる?」
「道連れじゃないよ?!そんな不穏なやつじゃなくて」
「違うんなら、ちゃんとはっきり言いなさいよ」
そう言われたルノフェーリは、目をぱちくりと瞬かせた。
「あっ、ごめん。当たり前すぎて忘れてたよ」
ベーリアーラは、ルノフェーリをねめつけた。
「誰にも言ってないなら、それは当たり前じゃないわよ」
「うん、そうだよね。ベラ、好き。大好き。愛してる。キスしたいし、肌にも触れたいんだ」
「煩悩がこぼれ出てるわよ」
「それに、俺の〇〇〇〇が〇〇〇したのを思いっきり〇〇〇〇でいっぱい〇〇〇て〇〇〇〇〇したい」
「は?」
ベーリアーラは、目が点になった。
「〇〇〇〇〇もしたいし、〇〇〇もしていっぱい〇〇〇たい。何度も〇〇〇て〇〇も〇〇〇たい」
「ちょっと?」
眉を寄せるベーリアーラに対して、ルノフェーリはいたって真面目であった。
「いっぱい愛して、愛されたいんだ」
「むしろ最後だけにしなさいよ煩悩しかないの?!具体的に言いすぎ!バッカじゃない?!」
ベーリアーラはビンタを繰り出した。
その手は、ぺちん、という音とともにルノフェーリの手に掴まった。
指を絡めるようにして握りこまれ、抜けなくなった。
逆の手を拳にして振ったが、こちらも軽く捕まえられた。
キッ、と睨んでも、ルノフェーリはただ困ったように首をかしげるだけ。
「えっと、じゃあ、もうしていい?」
「今の流れでなんでそうなんのよ!っんんん!!!」
ろくな抵抗もないのは、もはや答えだ。
逆鱗は、正直に言って美味しくなかった。
「そうですね、竜種の方の場合は特に戸籍などありませんので、婚姻に関しての書類などはありません。冒険者ギルドでも、そういったものは特にありません。あえて言うなら、パーティを組んでおけば共有財産を保持できますし、相手に何かあった場合もギルドを通して連絡があります。遺品の引き渡しや相続も可能ですので、パーティを組んでそのあたりを設定しておくのが婚姻関係に近いかと思います」
ギルドのお姉さんは、書類を取り出しながらそう言った。
「俺とベラはすでにパーティを組んでいるから、財産関係あたりを設定しておけばいいんですね」
「ねぇ、離して」
「そうです」
「じゃあ、お願いします」
「ちょっと、昼間なんだからほとんど人なんていないじゃない?」
「こちらの書類に記入してください」
「ルノ!」
おおよそ一ヶ月後、ルノフェーリとベーリアーラは、故郷の村に近い町の冒険者ギルドにいた。
ルノフェーリがベーリアーラの腰をがっちりと腕で固定し、ぴたりとひっついている。
しかし、ちょっと色々と緩んだルノフェーリの魔力が周りを無意識に威圧していて、ギルドにいた数人の冒険者たちは何も言えずに目を逸らした。
受付のお姉さんも、若干顔色が悪い。
腕を離せというベーリアーラの言葉は、ルノフェーリにも受付のお姉さんにも黙殺されていた。
「ベラ、財産はパーティ分全部共有にしとくね。個人の報酬は個人で」
「それはいいけど、手を離して」
「ベラは良い匂いがするねぇ。連絡は、なんでもお互い通達でいいよね。俺はベラの居場所がわかるけど、ベラはあんまりわからないでしょ。あと、遺品とかかぁ。どうする?ベラが死んじゃったら俺は死ぬからいいけど、俺が死んだときだよね」
「いろいろ待って。匂いを嗅ぐな。ルノの居場所なんてわかんないわよ。あと、なんで私が死んだらルノも死ぬのよ。後追いとかやめてほしいんだけど」
ルノフェーリの腕を剥がそうと引っ張りながら、ベーリアーラは言った。
ちなみに、腕はびくともしない。
「え?だって、ベラがいない世界なんていらないよ?世界を滅ぼすよりは、俺が滅んだ方が平和でしょ、かろうじて」
「不穏すぎる!」
「そうでもないよ」
「自覚がない!なんなの、竜ってそんな依存しすぎる奴らなわけ?」
「依存かな?愛が大きいだけだよ」
「絶対違う!子どもとかいたらどうすんのよ」
「えっ!子ども?俺とベラの子かぁ。絶対可愛いよね。あっ!もしかして」
「たった一月でもしかしてたまるか!そういう話じゃないっての」
近づいてきたルノフェーリの顔を、ベーリアーラはぐいっと両手で押しのけた。
「むむぅ」
「そうじゃなくて、後追いすんなって言ってんの」
「だめ?」
「だめ!」
「そっか……わかったよ、頑張る」
「普通に生きなさい。で、書類見せて。……さっき言ってた通りね。まぁ、これはいいんじゃない?」
「よし。これでお願いします」
書類を差し出したルノフェーリの腕には、深緑の宝石がはめられたバングルがあった。
腰に巻き付いた腕を外そうと試みるベーリアーラの腕にはまったバングルには、藍色の宝石。
どう見ても、揃いの装飾である。
「承りました」
受付のお姉さんのにこりと微笑んだ顔に、さっさと帰れと書いてあった。
「やっぱりね。言った通りだったじゃない。良かったわね、竜の寿命からいけば嫁き遅れってわけでもないんでしょ?」
「どういう基準なのよ」
「おめでとうございます、お義姉さん」
リーアの父親くらいに見える、にこにこした年配の男性は、リーアの夫である。
ベラの影響もあって気の強いところのあるリーアを、可愛いと言って娶ってくれた奇特な人物だ。
「ありがとう、サウサ」
妹の夫、サウサはリーアの五歳ほど年下である。
「それで、そのお義兄さんはどこに行ったの?」
そう聞いたリーアの自宅リビングには、ベラとリーア夫妻の三人だけがいた。
「ジョアンに案内されて、花を取りに行ったわ」
「花って……あの、新妻に送る?」
「そう」
この村には、いくつか独自の伝統があるのだ。
新婚夫妻に関するものもあり、それは夫が北の山で直径十センチ以上の花を取ってくる、というものだ。
結婚後二年以内に行うという緩い行事で、特に時期などは決まっていない。
それを聞いたルノフェーリが、張り切って山に向かったのである。
「父さんと母さんのお墓参りをするつもりだったんだけどね。まぁ、すぐ戻ってくるわ」
「え?だってあの山は……サウサだって二日かかったわよね」
「僕は木こりだからね。長い人は十日くらいかかるんだっけ」
「そうよね」
夫の言葉に、リーアはうなずいた。
「ジョアンを乗せていったから迷わずに帰ってくるでしょうし、夕方にはならないんじゃない?」
「乗せて?どういうこと?」
「竜体で出かけたのよ」
「あ、もしかしてさっき騒がしかったのって」
「ルノの竜体にびっくりした人たちでしょうねぇ」
「お姉ちゃんで慣れてる村の人たちが驚くって何だろうって思ってたら。それなら、夕ご飯でも用意して待っていましょうか」
「そうね」
結局、リーアもベーリアーラの妹なのである。
「ただいま!」
「も、戻れた……」
にこにこのルノフェーリと顔色を悪くしたジョアンが戻ったのは、ちょうど夕食ができ上がったころだった。
「おかえり」
「おかえり、ってお兄ちゃん大丈夫?」
「お義兄さん、こっちにどうぞ」
サウサが用意した椅子に、ジョアンはよたよたと近づいて身体を預けた。
「空の旅って、天国が近いんだな……」
「ちょっとお兄ちゃん?!」
「ルノ、もしかして魔法で保護しなかったの?」
「途中で思い出した。はい、お花」
ルノフェーリは、大きくて白い花を枝ごとベラに手渡した。
「あ、うん。ありがと。ジョアン、よく戻ったわ」
「待ってベラ、俺ちゃんと一番大きな花を選んで持ってきたんだ。ねぇってば」
「煩いわね。ジョアンが一番大変だったのよ?休ませないといけないでしょ。ちょっと黙ってて」
ベーリアーラは、ルノフェーリの胸元を掴んで引っ張り、唇を奪った。
「っ……!?っ、ぇ、ぁ?」
ルノフェーリは固まった。
ジョアンを休ませながら夕食を用意し、全員が席についてもルノフェーリは思考を止めていた。
「ルノ、ご飯食べましょ」
「ベラ……?俺、今、夢でも見てたかもしれない」
「ほらいいから、こっち座って」
「あ、うん」
「ねぇ、ルノフェーリさんってお姉ちゃん好きすぎじゃない?」
「盲目だな」
リーアの言葉に、体長が戻ってきたジョアンがうなずいた。
「お似合いの夫婦だねぇ」
サウサが笑顔で言った。
ベラに手ずから食べさせようとして拒否されるルノフェーリに肩をすくめ、弟妹たちは賑やかな食卓を囲んだ。
次の日には、甥姪やその子どもたちにも挨拶をして、村を発った。
『じゃ、西側の大陸にでも行こうか。ちょっと思い出したんだけど、俺の両親が別の大陸に移住しようかなってずっと前に言ってたんだよね。せっかくだから、挨拶しに行こう』
「え?西の大陸に行くつもりならこっちじゃないわよ!あっちよあっち!」
『あ、こっちか』
ベーリアーラが指し示す方へ、ルノフェーリはくるりと方向転換した。
「だいたいそっちでいいわ。それで、何日くらい飛ぶの?」
『うーん、めっちゃ早く飛んで二日くらいかなぁ。聞いただけだから、ちょっとわかんない』
「は?どこで休憩するのよ」
『なんか、途中で島を見つけたら休憩する』
「なかったら?」
『そのまま頑張って飛んでいく。ベラは背中で寝てくれていいよ』
「ちょっと待ちなさい!一回王都へ行くわよ。地図をちゃんと確認しないと!」
『えぇ~?』
「迷子症の癖に無計画だから二十年も迷子してたのよ?私が途中で寝たら絶対迷子になるでしょうが!ほら、だから王都が先よ。こっち行って!」
『はぁい』
これからも、藍色の竜とその番は、二人で世界を股にかけて旅を続けるのである。
これにて完結です。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。