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第9話 人間のお嫁さんは大変だ

 住居の裏手にある炊事場で、蒼葉は朝から豆腐と格闘していた。

 味噌汁を作るよう言われたのだが、これがなかなか難しい。慣れない道具を使って具を刻むだけでも時間がかかる。


 蒼葉にとって、炊事場とはもっぱら盗み食いをするための場所であったため、包丁を握ること自体初めてだった。


(よし、できた!)


 力の加減を失敗し、随分ぐちゃぐちゃになってしまったが、腹に入ればきっと一緒だ。


(作り方が分からないけど、まぁ、いいか。水を火にかけて、色々入れればできるはず!)


 途中まで夏帆が手伝ってくれていたが、お義母様が姿を現し朝食作りの監視を始めてから、彼女は自分の仕事に徹している。

 手助けしたところを見られれば、夏帆もただでは済まないのだろう。

 

 蒼葉は近くにあった大鍋に水と豆腐を入れ、そのままへっつい――かまどの上に載せる。


「ふぅ、とりあえずこれでよし」


 ひと息ついたところに、鬼のような形相をしたお義母様がやって来た。


「何がよしだって?」


 彼女はドスの利いた声で言うと、鍋の取っ手を掴み、中身を勢いよく蒼葉に浴びせる。


 ばしゃり。


 顔面に豆腐と水の攻撃を喰らった蒼葉は思わず叫んだ。


「熱っっ!!」


 しかしながら、鍋の水はまだ煮立っておらず、生温いことに気づく。

 蒼葉はただ、頭からお腹にかけてずぶ濡れになっただけだった。


(え、え? 一体何が起きたの? まさかお義母様は狸鍋をご所望ですか……?)


 土間に落ち、ひしゃげてしまった豆腐を見つめ、それから呆然と顔を上げる。


 お義母様は怒っていた。何で怒っているのか分からないという顔をする蒼葉を見て、一層苛立っているようだ。

 彼女はぶるぶると体を震わせ、常識知らずの狸娘に怒鳴りつける。


「本当に役に立たない子だね! 今まで来た娘たちの中で一番酷い!」

「済みません、お料理は初めてなんです」

「嫁に来ると分かった時点で何で覚えようとしなかったんだい!? これだから甘やかされて育った娘は嫌なんだ」

 

 お義母様の背後で淡々と調理をこなしていた夏帆は一瞬哀れみの目を向け、すぐにまた自身の作業へと戻っていった。


「もういい、掃除だけして出ていきな。これ以上仕事を増やされても困る」


 お義母様はそう吐き捨て、味噌汁を作り直し始める。

 出ていけと言われたが、ここで素直に引き下がってしまったら、蒼葉は一生料理ができないままだ。


「お義母様。お料理を覚えたいので、どうかここに居させてください!」


 返事はない。視線も合わない。


 お義母様は蒼葉をいないものとして扱っているようだった。

 摘み出されないのを良いことに、豆腐の残骸を片付けつつ、正しい味噌汁の作り方を観察した。




「蒼葉様って本当にお強いんですね」


 朝食の準備が終わり鬼婆が立ち去ると、夏帆は開口一番にそう言った。

 初めて言われた言葉に蒼葉は目を瞬かせる。


「強い? そんなことないですよ。熊や猟銃には敵いません」

「謙遜の仕方も変わってますね」


 夏帆は可愛らしく笑い、それから「急いでごはんを食べましょう」とおにぎりを出してくれる。

 二人は立ったまま、炊事場の隅で質素な朝食にありついた。


 百鬼家は先々代の頃、木材の海外輸出で富を築いたが、お手伝いさんへの処遇は特別良いわけではないのだという。


「はぁ、キッチンなるものが欲しい……」


 夏帆は大きな溜め息をついて言う。

 きっちん――初めて聞く言葉だ。きんつばの親戚だろうか。


「それは何ですか? 美味しいものですか?」

「蒼葉様ったら本当に食いしん坊ですね。違います、洋風の台所のことです。お向かいのお屋敷が最近取り入れたと聞きました」

「何だ、食べ物じゃないんですね」

「そうですね。でも、お料理がずっと楽になるらしいんです。いいなぁ……」


 どうやら夏帆は疲れているようだ。それもそうだろう。いくら住人が少ないとはいえ、彼女一人でこのお屋敷の家事をこなしているようなものだ。


 まだあどけなさも残る若い娘なのに、彼女の手はかさかさで、あかぎれができている。


「さて、片付けをしましょうか」


 夏帆はまた、せかせかと動き始めた。


(私も頑張って、人間の家事とやらを覚えないと!)


 早く立派なお嫁さんになって、お義母様や旦那様に認められた暁には、彼女の望む『きっちん』を贈りたいと思うのだった。


◇◆◇


(それにしても、人間のお嫁さんって本当に大変……!!)


 早朝から深夜まで、家事、家事、家事。 

 何か失敗すると――いや、何をしたつもりはなくてもお義母様からの叱責を受けることになる。


 蒼葉が百鬼家にやって来てから早数日。一昨日は食事抜きとなり、昨日はついに、お義母様に箒で頭を思い切り殴られた。

 人間として『すろーらいふ』を送れるかと思っていたのに、野良狸時代に戻った気分だ。


 顔を合わす度に「早く出ていけ」と言われるので、最早お義母様流の挨拶のように思っている。


(早く洗濯を済ませて戻らないと、また怒られる〜!!)


 気が急いて一度に抱えたことが失敗だった。山盛りの洗濯物で蒼葉は前が見えないまま、和館の廊下をよたよた歩く。


 どこからかまた、お義母様の怒号が飛んでくるのではないかと体が強張る。その時――。


「おい」

「ひゃいっ!?」


 前方から聞こえた低い声に反射的に驚いて、蒼葉は飛び上がった。同時に、抱えていた洗濯物が床に崩れ落ちる。


「あーーーーっ!! 洗濯物がっ!!」


 蒼葉は声の主のことを忘れ、急いで拾い集める。落としたのが屋内で、これから洗うものであることは不幸中の幸いだった。


 しかし、一度崩れた洗濯物の山を再び抱え直すのは至難の業だ。拾っている間にも、抱えている洗濯物から新たにぽろり、ぽろりと落ちてしまう。


 そこへ誰かが現れて、溢した洗濯物を拾ってくれる。


 誰だろう? と思い顔を上げた蒼葉の目に映ったのは灰色髪の男。

 拾った足袋たびやらを手に持ち、小さな声で蒼葉に「驚かせて悪かった」と言ったのは驚くべきことに旦那様――百鬼行雲だった。

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