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第5話 とりあえずもふってみます?

 ぱたぱたと廊下を走る音が近づいてきたので、蒼葉は慌てて食べかけの白米をかき込んだ。


「蒼葉様!! 大丈夫ですか!?」


 急いで駆けつけてくれたのであろう夏帆とばっちり目が合ってしまい、頬を膨らませた蒼葉は答える。


「ふぁいほうふれす」


 二人の間にどことなく気まずい空気が流れた。

 蒼葉は咀嚼を続け、口の中のものをどうにか処理する。これにて完食である。


「……まさか旦那様のご飯を?」


 夏帆は蒼葉の前にあるお膳と、蒼葉を見比べて、信じられないものを見たという表情で尋ねる。


「勿体無いと思って……駄目でしたか?」

「最後は捨てることになるので問題ないと言えばないですが、菖蒲様に見つかったら折檻されると思います」

「折檻」

「はい」


 おさげ髪のお手伝いさんは小さく頷いた。

 これまでに、誰かがお義母様の折檻を受けた実例があるのだろう。


「ではこれから、見つからないよう細心の注意を払わなければなりませんね!」

「そういうことではないような……。自己責任でお願いします」


 いくら体の丈夫な蒼葉であっても、酷い体罰を喰らうのは避けたいところだ。

 早いところ足音や匂いで誰なのかを判別できるようにして、いざという時には逃げ出すことにしようと考える。


「さて、片付けましょうか」

「いつも夏帆さんが一人でこれを?」

「はい。今日は全て蒼葉様に任せるよう言われているので、私が手伝ったことは内緒ですよ」


 夏帆はてきぱき食器とお膳を重ね始める。彼女がここを追い出されずにいるのは、単に使用人不足だからというわけではなく、有能だからに違いない。


 お義母様に認めてもらうためには、彼女の技を身につける必要がある。蒼葉はいつもそうして人間の世界を生き抜いてきた。


 先輩の片付け方を観察し、蒼葉も真似てみる。


「私が仕事を覚えたら、夏帆さんの休憩できる時間が増えますね」

「そんなことを言ってくださったのは蒼葉様が初めてです。他のお嫁さんは早々に音をあげるか、私に仕事を押し付けるかのどちらかでしたから」


 二人でお膳を持ち、長い廊下を歩く。家が大きいと移動も掃除も大変だ。


 食器の片付け、炊事場の掃除、その後にお風呂を済ませたら、蒼葉の体は再び空腹を訴え始めた。




 自室に戻った蒼葉は変化を解き、明日に備えて早く寝てしまおうと横たわる。

 しばらくふかふか『べっど』で大人しくしていたが、お腹が空きすぎて眠ることができない。


(こんな夜遅くなら、起きてる人は流石にいないよね)


 火の始末をしてから帰ると言っていた夏帆も、少し前に戻ってくる音がした。

 蒼葉は狸姿のまま、用心深く辺りの様子を窺って、静かに洋館から抜け出す。


 月が大きく明るい夜だが、人の気配はない。これなら茂みの中で餌を探すことも、生ごみを漁りにいくこともできそうだ。


(あー! やっぱり狸姿は楽だぁ〜)


 変化は得意だが、やはり体力を消耗するし、人間らしく振る舞うために気を張る必要がある。


 心地よい解放感に満たされた蒼葉は、舗装された地面の上を右に、左にごろごろ転がった。


「犬かと思ったら狸か」


(へっ!?)


 油断していたせいで全く気配に気づかなかった。突然の声に驚き、狸姿の蒼葉はぱっと起き上がる。


(あ!)


 灰色の髪に虚無を感じる切れ長の目。百鬼行雲――旦那様だ。

 家にはあまり帰ってこないと聞いていたが、今日は特別なのだろうか。昼にも会い、夜更けにもこうして顔を合わすことになろうとは。


(あ、あの、旦那様、これはですね! 決して盗み食いを働こうとしていたわけではなく、そこらの草でも食べようとしていたところなんです!) 


 予想外の逢瀬に驚き混乱した蒼葉は、言葉が伝わらないことを忘れて行雲の周りをぐるぐる駆け回る。


(あ。そういえば旦那様のご夕食、私がいただいてしまったんでした!)


 今度はハッとして硬直する。

 もしかしたらお義母様は息子が帰ってくることを知っていて、料理を準備したのかもしれない。


(……もしかしてこれって盗み食いになりますか?)


 狸は涙目で首を傾げる。


 行雲は険しい表情をしているように見えたが、すっとその場に座り込むと、「チッチッチッ」と舌を鳴らした。


「おいで。腹が減っているんだろう」


 軍服姿の男は肩に下げた革製の鞄から包みを取り出した。鼻の良い獣は、それが食べ物であることにすぐ気がつく。


「食べかけで悪いな」


 彼は包みの中身を蒼葉の目の前に転がす。干し肉だ。日持ちするものであるため、きっと軍人の携行食なのだろう。


 蒼葉は旦那様の優しい施しをありがたくいただくことにした。一度地面に触れた物を彼に食べさせるわけにもいかないので、それが最善の対応だ。


 腹を空かせた狸はがつがつと肉を頬張る。


「美味いか?」

(はい、ほっぺが落ちそうなくらい美味しいです〜!)


 行雲の表情が僅かに緩む。声も、昼間聞いた時より心なしか柔らかい。


 彼はこちらに向かってそっと手を伸ばしたが、触れる前に引っ込めてしまった。

 野生の獣は汚らわしいとでも思っているのだろうか。


 蒼葉はまだ少し残っていた肉の塊を飲み込むと、地面に転がりお腹を見せた。


 嫁ぐにあたり身だしなみを整えてきたので、そこらの獣とは比にならないほど衛生的だ。

 そして、触るのであればもふもふ尻尾も捨てがたいが、お腹の毛が一番柔らかい。


(旦那様。とりあえず、触ってみます?)


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