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第26話 花嫁修行(真)

「例の蜘蛛女だが、浅名館の女優を襲った妖で間違いない。店を調べたところ痕跡が出た」


 行雲を鍛錬場の裏手に呼び出した中年の男は口からふっと煙を吐き出して言った。

 彼は女優の命については触れなかったが、痕跡が出たということはつまり、既に食われたということだろう。


「流石は鬼神。妖相手にも無敵だな」

「恐縮です」


 姿勢を正して頭を下げる。

 行雲の上官にあたるこの男――妖討部隊を率いる土居どい大佐は「一々そんなことをする必要はない」と気だるげに手を振った。


 上下関係、規律に厳しい軍隊において大佐は異質だ。頭の毛が薄くなってきた代わりにみっともなく無精髭を生やし、部下には家族のように接してほしいと言う。


 惣田は彼と頻繁に酒を飲んで交流を深めているようだが、行雲は未だ距離感を掴めずにいる。

 

「そういや先日の見合いはどうなった。相手は取引先の娘さんらしいじゃないか」

「……」


 大佐は捨てた吸殻を足で揉み、にやりと笑う。彼はこうして行雲を揶揄うのが好きなのだ。


 大佐がどこからか拾ってきた異端児ばかりが集う妖討部隊において、陸軍あがりの行雲の存在は逆に珍しく映るらしい。


「お前の場合、真面目過ぎだ。早く嫁さんをもらっておっかさんを安心させてやれ」

「前向きに検討します」


 行雲の頭に浮かぶのは取引先の娘ではなく、呑気な笑顔を見せる化け狸の少女だった。

 彼女が結婚相手では、母はいつまで経っても安心できないだろう。


「そうだ。来週の接待、お前も出ろよ。上の人間がお前と会ってみたいんだと」

「……それは仕事に入りますか」

「ああ。確か岸辺中将の故郷は例の山に近かったはずだ。何か聞けるかもな」


 行雲は渋々了承し、鍛錬に戻る。


(これまでの経験からして、情報が得られるかもしれないというのは俺を連れていくための方便だろう)


 しかしながら、軍において上下関係は絶対だ。大佐より上の人間の命とあれば尚更出席は避けられない。


 今頃狸娘は踊りの稽古に行っている頃だろうか。

 叔父の伝手で良い先生を紹介してもらったと伝えた時の彼女の顔といったらおもしろかった。思い出すと自然と頬が緩む。


 ポン太――蒼葉を軽率にも妖狩りの仕事に巻き込んでしまったことは後悔している。

 彼女が身を挺して人間を護ろうとすることなら、山で行雲を助けてくれた時に分かっていたはずだ。


 このまま惣田の代わりに連れて歩けば何度も危険な目に遭うだろう。その度に行雲が護ってやれるかは分からない。


(踊りと裁縫を習いに行かせておいた方が安心だ)


 蒼葉にとって幸せなことかは分からないが、厄介な義母から離れる時間ができるうえ、一応彼女が目指す「立派な嫁」の修行にはなるのではないかと思っている。


◇◆◇


「蒼葉さん、踊りの稽古には通えそうですか?」


 順々に稽古をしていた他の生徒たちが去った後、白髪をきっちり結った初老の女性は板の間にポツンと残された蒼葉に穏やかな笑みを向ける。


 蒼葉は長いこと正座をしていたせいで痺れてしまった足に悶絶しながら、率直な感想を述べた。


「頑張りたいですが、難しそうです……」


 今日は初日とあって稽古の風景を眺めていただけだが、既に自分には合わなさそうだと感じている。


 心の赴くまま体を動かすことが好きな蒼葉にとって、ゆったりとした動きが基本の伝統舞踊は相性が悪いだろう。

 稽古に来た女児が先生の口三味線にあわせて踊る様子を見ているうちに、何度も睡魔が押し寄せてきた。


「最初はそんなものです。少しおどけた雰囲気の役なら蒼葉さんに合うかもしれません」

(確かに、狸踊りなら得意かも)


 化け狸に伝わる愉快な宴会芸の一つなら蒼葉も上手に踊ることができる。伝統舞踊の先生に見せられるものではないが。


「そういえば菖蒲さんも踊りはあまり得意ではありませんでしたねぇ」


 先生は頰に手を当て、少し困ったような口調で言う。

 意外な暴露に蒼葉は目を丸くした。


「お義母様も? 先生が教えていたんですか?」

「若い頃は彼女もお転婆だったんですよ。それでも百鬼家の恥さらしになりたくないと一生懸命頑張っていました」

「そうなんですね。むむむ。才能はないかもしれませんが、旦那様が手配してくださったのでもう少し頑張りたいです」


 蒼葉は足の痺れに耐えながらなんとか立ち上がった。


 踊りの先生を見つけてきたと行雲に言われた時には驚いたが、お義母様もここへ稽古に通っていたということは、百鬼家の嫁にとって必要な教養なのだろう。

 要するにこれも立派な花嫁修行なのだ。


「貴女は行雲さんに随分愛されているようですね」


 先生は口元を綻ばせた。馬鹿にしているのではなく、微笑ましく思っている時の顔に見える。


「そうですか?」

「初心者なので優しく教えてやってほしいとのことでした」

「旦那様が……」


 優しいのはポン太に対してだけかと思いきや、行雲は何だかんだ蒼葉にも親切なのだ。


 踊りに裁縫、行雲に相応しいお嫁さんになるためにはまだまだ先が長いらしい。期待に応えられるよう頑張らなければと拳を握る。


「行雲さんといえば来週、軍の宴席に呼ばれていますが同行して見学しますか?」


 先生は「うちの流派は芸妓さんが習うものとは違うのですが、昔からの付き合いでお断りできなくて」と溜め息混じりに付け加えた。


 蒼葉は宴会と聞いて楽しそうだと思った。化け狸界の宴会は飲んで食べて踊ってそれはもう愉快だ。


 もしかしたらご馳走の余りにもありつけるかもしれない。蒼葉は目を輝かせて頷く。


「はい。勉強させていただきます!」


 眠気はいつの間にかどこかへ吹き飛んで消えていた。

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