三月二十六日
「マリエのお父さんって、すごいね」
「私もそう思う。」
どこ行く?とか、なにする?とか全く話してなかったのに。気付いたら既にパパが旅行の計画を立て終えていた。後は自由に必要な物買ってきなさいって。
「急に行くってなったけど大丈夫?」
「急に友達と旅行行くって言われて、二人とも驚いたけどまぁ。行ってこいって」
「わはぁ、かっこいいお父さん。」
「お母さんだよ」
「じゃあお父さんは?」
「札束渡してくれた」
「わぉ。」
かっこいいお父さん。
「ね、なに買った?」
「ティシュにハンカチと、薬かな。酔い止めとか」
「堅実だぁ。」
「これが普通だよ。アロマと入浴剤は旅行の前には買わないの」
「でもあったらいいじゃん。」
「そうかも知れないけど」
「普段しないことをするから旅行なんでしょう。」
「入浴剤はたまたま使うんじゃないの?」
「私あんま湯船に浸からないから、使う機会がないんだよね。」
「ぇ、そうなの?」
なんで皆、シャワーのみって言ったら驚くんだろう。私ってそんなにお湯が好きそうに見えるのかな。
「そうなの。だから派手なので買ったよ。青赤緑がばーって溢れるやつで。」
「楽しみだね」
全く楽しみじゃない声だ。結乃は入浴剤をたまたま使うのか。
「ね、結乃はアロマ使ったことある?」
「いい香りがするオイルは使ったことあるかも」
オイルかぁ。アロマとオイルって違うのかな。アロマオイルって呼ぶし、違うか。
「どうだった?」
「ただいい香りーって思った」
「ただいいだけかぁ。」
体が和らぐとか、心が晴れるとか期待したのに。まぁただの香りじゃ仕方ないか。
「そろそろご飯食べる?」
「お腹空いた?」
「うん。」
「わぁあ…」
お母さんが、制服姿で。
パパも、制服姿で。
なんで。
私の制服見て着てみたくなっちゃったのかな。お母さんなら有り得る。
「似合うじゃん」
「いや、流石に無理じゃない?」
二人でお互いの姿をじっと見詰め合う。
「まだ二十五か六くらいに見える」
「ほら無理じゃないか」
「十歳くらい誤差だよ誤差」
若く見えたくて制服を着たのか。
「あたしはどう?」
「いつもより年老いた感じが漏れ出てる」
「酷くない?」
確かに、お母さんはいつもより酷いか。こっそり娘の服を着た感じにしか見えない。
もしかしたら、私の服なのかも知れない。
「もっと妻を大事にしてよ〜。半分は娘と同じなんだから、マリエだって思ってみて?」
ただ構って欲しくてこんなことをしている可能性もあるな。お母さんだし。
「無理無理。顔から違うし」
「体は似てるでしょう?手足の長さとか」
「顔が違うからねぇ」
「そんなに顔が大事なの?昔はあんなに体に夢中になってたのにぃ」
「あの時はいい体だったけど…」
ちょっと膝痛いた。座るか。
「今は悪い体って事?」
「当たり前じゃん。あちこち肉付いて、あまり健康的じゃない体してるし」
「酷いなぁもう」
仲良いねぇ。当たり前にあんな悪口も出来て。
「あの頃みたいな体、もっかい作ってみたらどう?若く見えたいんでしょう」
「いやぁ作りたいけど。この歳になると家でごろごろするの以外やりたくないんだよね」
「体を作るって事はやりたくなくてもやるの」
「でもやりたくないもーん」
「こらっ、服を散らかさないの」
「もうやーだ。どうせ似合わないし」
「大人でしょう。しっかり片付けなさい」
お母さん、めっちゃ駄目な人っぽく聞こえるな。パパと二人っきりだといつもこんな感じだったのかな。
「やーだやーだ」
最近、寝坊してるから毎朝がこんな感じだったのか。
「やーだじゃないの」
もうすぐ旅行行ったらパパはこんなお母さんと過ごすのか。大変そうだな。
「じゃあ膝枕」
「何でそうなるの?」
「早く」
「もう。しょうがない子」
あらあらあら。
「こっちが六つ上なんですけど」
「だったらもっとしっかりして欲しいな、お姉さん」
「…ふふ、お姉さんかぁ」
めっちゃ仲良しじゃん。
「お姉さんに相応しい男になるって決めた恵舞はどこに行っちゃったんだろう」
「そんな事言ってた記憶はないよ。お姉さんこそ、好みの女になるから捨てないでとか言ってたじゃん」
あらまぁ。
パパってお母さんのこと、お姉さんって呼んでたんだ。なんか新鮮。
「あぁ、そんな事言ったなー。懐かしい」
「何年前だっけ。二十年?」
「恵舞がマリエくらいの頃だったから、多分合ってる」
あれぇ、二十年前のパパって高校生だけど。
「あの頃からちょっと頭狂ってたねお姉さんは」
「好きな人に好きって言ったのが悪い?」
「大人が学生相手にそんな事するのが悪くないと思ってる?」
「愛に歳の差なんて関係ないの」
いい歳の女が、高校生の男の子に本気で求婚ってまじか。お母さんちょっとやば過ぎるかも。
「それに恵舞も好きだったじゃん。二十歳になる前に子供孕ませたんだし」
「誘ったのお姉さん」
「乗ったのは恵舞」
誰のことだろう。私が生まれたのはパパが二十二歳の時なんだけど。私も知らないお兄さんとか、お姉さんがいたりするのかな。
「まぁ…結果は良くなかったけどね」
「もう大丈夫?」
「何年経ったと思うの」
「どれだけ時間が経っても悲しい事は悲しい事なんだから」
あまりいい話じゃないっぽい。
「恵舞はまだ大丈夫じゃない?」
「当たり前でしょう。初めての子だったのに」
「そうだったね…」
二人とも悲しい声だ。大丈夫って言ったお母さんの声が、もっと痛く感じられる。
「それより…恵舞」
「なぁに?」
「マリエはどうだった?友達との旅行」
「嬉しそうだったよ」
話題変わった。切り替え早いね。
「相手は?」
「めろめろ」
「じゃあ問題ないね」
めろめろって、結乃が私にめろめろだってことなのかな。めろめろって言う程じゃないと思うのに。
「……こっそり付いて行こうかな」
ここからは聞かない方がいちかな。付いてくるって聞いたらきっと探してしまう気がする。
「心配なの?」
「心配より、いや、うん…心配。マリエと長く会えないから」
「不安なんだ」
「うん」
私と会えなくて不安になるなんて。愛されてるね。
「…あたしね、自分が怖い時があるよ」
「そうなの?」
「恵舞はキスの意味、知ってる?」
「どこに口付けするかで変わるやつ?」
「うんうんそれ……あたしね?この前、寝てるマリエにキスした事があったよ。それが、ね…無意識にやっちゃったけど……」
「良くなかった?」
「良くない所じゃないの…!耳だったよ?!」
耳にキスは、なんだ。わかんない。
「耳は…性的な魅力がなんとかだっけ」
「そうだよ!貴方を見たらむらむらしますって意味なの!あたしお母さんなのに、無意識に娘を見て興奮してるって意味じゃんもう人間として狂ってるって」
「確かにそれは怖いかな」
確かにあれは怖いかもね。
「他人事みたいに言わないで……叱ってよ。二度とあんな事考えられなくなるくらいぼこぼこに殴ってもいい」
「まぁ、そんなに心配しなくてもいいよ」
「でもぉ」
「マリエだって昔は鞠湖の耳をしゃぶったり、キスしたりしたんでしょう。相思相愛じゃん」
パパったら呑気だね。
「何でそんなに呑気にいられるのぉ。このままだとあたしが娘の性癖を歪ませたりしちゃうかも知れないの」
「いやぁまさか。そんな事思ってる?」
「思ってないけどぉ…!無意識に思ってるのかも知れないじゃん!」
「心配しなくてもいいって。本当に鞠湖がマリエの事を性的に見ていたら、もう襲ったと思うよ。昔みたいに」
「……そう、かな」
「自信なさそうだね。ちゃんと昔の自分を振り返って見て?」
「………そうだね」
「やりたくなったって理由で夜中に高校生のベッドに忍び込む二十代半ばの女が、こんな長い間我慢出来る訳ないじゃん」
「…あれは、酔ってたから……つい」
「今もたまに酔うでしょう?」
「酔うね……」
「襲わないでしょう」
「うん…」
「だから問題ないって」
つまり、お母さんはむらむらしたらパパのベッドに忍び込むくらいやべぇ女だったってことか。
まだ未成年だったパパのところに。
あんな犯罪者が十六年も手を出さなかったってことはやっぱりそんな気がないって意味か。
有り得る、かも。
「ん…?」
やばっ、スマホ鳴った。
「マリエのじゃない?」
「そうだね。もう帰って来たのかな」
「廊下に座ってるっぽい」
もうパパったら、なんでわかっちゃうの。
「いけない子だね。盗み聴きなんて」
ばれたしもういいか。
「ゎひゃっ。」
「ちょっと驚きすぎじゃない?」
起きてリビングに入ろうとしたが、気付けばお母さんが真横に立っていた。なんの音もしなかったのに、いつきたんだろう。
「傷付くなぁお母さん」
腰抜けちゃったよもう。