三月十一日
「行ってらっしゃい」
「うん。」
いつもより少し早めに出るからだろうか。パパの挨拶を受けながら家を出る。
「ふ。」
私が出た家の中から微かにお母さんが暴れる音と、そんなお母さんを落ち着かせるパパの声が聞こえた。
その声を少しだけ聞いて、歩き始める。
「出たよ。」
「ん」
家のすぐ近くで待っている、玲奈と呼ばれた子の隣に立つ。アイリと明日会おうって約束したけど、こんな朝に会うとは思わなかった。
アイリって人の顔を見るのが好きなんだろうか。
「ついてきて」
軽く顔を下げて、前に進む。
口数が少ない子だね。だからだろうか、雰囲気が大人ぶる椎香と似てる。でも椎香よりは大人っぽい。こっちは本物の大人って感じだ。
まぁどっちも子供だけど。
「アイリは?」
「まだ寝てる」
「じゃあアイリのとこに行くの?」
「うん」
昨日初めて顔を見た人と、朝早く二人きりで歩く。
なんか変だね。
まだ夢でも見てるんじゃないかってなるくらい、頭がぼーっとする。ぼーっとするのは単に眠いからかも知れない。
「名前、玲奈だったよね。」
「…うん」
「玲奈って呼んでいい?」
「好きにして」
気まずいな。
「私はマリエでいいよ。」
「うん」
やっぱ気まずい。
「……」
信号を待ちながら、玲奈の顔を見上げる。
背高いね。私より頭半分くらい高いんじゃないかな。
なんか羨ましい。
「…なに?」
顔をじっと見てたら、こっちに目を向けてくれた。瞳が濃い茶色だった。
「美人だなーって、思っちゃって。」
仲良くなるには取り敢えず褒めるといいって、どこかで見た記憶がある。
「……まぁ」
褒めたらちょっと嬉しそうに笑った。
「背も高いし。」
最初は見た目を褒めて、相手が少し心を開くと内側を褒めればいいんだっけ。
「なんか羨ましいねー。私も玲奈くらい大きくなりたいよ。」
「そんなに高くないけど…」
「そんぐらいが一番いいの。」
玲奈は背丈で褒められたことが少ないみたいだ。嬉しそうに、同時にちょっと戸惑いながらも。
どこか偉そうに私を見下ろす。
「私くらいだと服屋とかで店員さんにこれ着たら可愛いよーとか言われないんだよ。こっちは子供扱いされたくないのにな。」
「確かに可愛い服が似合いそう」
「可愛い服は嫌いじゃないけどさぁ。たまにはかっこいい女にもなってみたいのよ。」
中学生がかっこいい女だなんて、ちょっとおかしいかな。
「でもマリエならどんな服着ても可愛く見えそう」
「ほらー、みーんなそういうこと言うの。」
優しい微笑みを浮かべて、ちょっと楽し気に返事をしてくれるから間違ってはないだろう。
「アイリと似てるね。いろいろ」
「そうなの?」
「性格も結構似てるかも」
「へー。」
アイリはこんな性格なんだ。
「はとこだからだろうかな。」
「はとこ?はとこって、どれくらい離れているの?」
「おじいちゃんの、お兄ちゃんの、孫娘くらい離れてるね。」
「近いようで遠い」
驚くくらい、話が切れない。玲奈って、意外と親しみやすい性格なのかも知れない。
「いとこなら結構あったけど、はとこはなんか思い浮かばないな」
「私もそうだよ。」
「二人はあったこと少ないの?」
「少ないと言うか、四日前に初めて会ったよ。」
「四日前?!」
そんなに驚くことなんだろうか。
「じゃあ昨日が二度目の出会いだったってこと?」
「そうなるね。」
「てっきり昔からの知り合いだと思った」
「そんなに?」
「アイリってああ見えて人も知りなんだ。あまり親しくない人にはほとんど自分から声をかけない」
「親しみ難い性格だったんだ。」
「うん。そんなアイリが昨日は当たり前に声かけたから」
「そりゃ驚くか。」
人見知りだったんだ、アイリは。全然そう見えないけど。
「動画?配信?とかやってるのにそうなの?」
「やっても性格は全然変わらないから問題なんだよ。動画関連で誰かに声かける時はいつも私がやってるんだよ。撮影もしてるのに」
よく言うね。アイリと関わると口数が増えたりするんだろうか。
「大変そうだね。」
「そうなの」
色々言うけど、笑ってる。
「玲奈はどうやってアイリと知り合ったの?」
かなりアイリが好きなんだ。椎香と似てるなやっぱ。
「あんま、覚えてないな…昔からの知り合いだから」
「幼馴染み?」
「そうだと思う。七年くらい付き合ったような」
「へー。」
椎香と知り合った時と同じやん。
「仲良しだねー。」
「ま、そういうこと」
嬉しそう。自分が褒められたことより、アイリとの関係を褒められて喜ぶなんて。なんて椎香とそっくりなんだろう。
「ぅーっ。」
疲れた。
朝早く呼ばれて、急に撮るって話になって。
「お疲れ」
ぎりぎりな時間までカメラに向けて笑ったり喋ったり。
「いいもん撮れたよ。明日もくる?」
「寝坊したくせになに言うの」
「それはごめんってー」
こういうのって、私には向いてないみたい。
「私そろそろ出なきゃいけないんだけど。」
「うんうん。行ってらっしゃいー」
「なに呑気にいんの。暇なら片付けでもしなさい」
手を振ってベッドに戻るアイリに一言吐いた玲奈が、私の方を見る。
「行ってきまーす。」
そんな玲奈に笑い掛ける。
にかっと、目を細くして歯を見せ付ける。
「…行ってらっしゃい」
なんで照れるんだろう。