(幕間) 恋文
「……ということでぇ……最近はインテリペリ辺境伯領は平和です……と」
わたくしはクリストフェル殿下に送る手紙をまとめると、ふうッと一度ため息をつく。
辺境伯領へと戻り、婚約内定が家族に伝えられるとそりゃあもう家族は大喜びだった……ちなみに戻ってからお母様に言われたのだけど、実は婚約を求められても断ることは可能らしい。
イングウェイ王国一〇〇〇年歴史の中で貴族同士の婚約において、断った事例は多少なりとも存在しているのだとか。
冷静に考えてみればクリストフェル殿下はソフィーヤ嬢との婚約を破棄しているわけだし、わたくしも実は断ったところで今後の婚活が少々難しくなるだけだった、と聞かされて開いた口が塞がらない思いにさせられた。
「クリストフェル殿下は好青年というか、シャルに一目惚れしたんだろうなっていう印象でしたね」
「……一目惚れねぇ……ま、まあわたくし絶世の美女でしてよ? そこらへんの王子くらいは惚れさせることなぞ難しくはないのですわ」
「まあ、それを踏まえてですね……シャルの書いた手紙、もう一度読み返して見た方が良いと思いますよ?」
「は? なんで? 会心の出来でしてよ?」
「い、いや……天気が良かったですとか、冒険者が活躍してましたとか、それ殿下へと送る業務報告書ではないのですから……」
ユルの言葉にもう一度したためた手紙を読み返してみる……えーと、要約すると先日王都で食べたフルーツケーキが美味しかったです、インテリペリ辺境伯領はお日柄もよく作物の育ちが良いですわ、魔物が出没していますけども冒険者が活躍してます、次王都へいくのは学園に入ってからになりそうです、それまでごきげんよう……なんだ、今のわたくしの状況を如実に記した良い文章ではないか。
何がおかしいんだ、と言わんばかりのわたくしの表情に、呆れ返ったようなユルの目が突き刺さる。
「はあ……何がおかしいのです?」
「……あのですね……恋文というのはそういうものではないでしょう?」
「恋文……?」
「マーサ殿が言っておりましたよ? 恋文とは燃え上がる情熱と愛情を言葉にしたためて送る恋人同士の連絡方法なのだと」
「……恋……人……?」
「だってそうでしょう? 我がマーサ殿に読み聞かせていただいている書物には恋人同士のやりとりは恋文だと書いてあるそうですし、シャルと殿下は婚約者ですよね?」
う、うん……確かにわたくしとクリストフェル殿下は婚約者となった……まあ、わたくしは最終手段で魔法を使って全然別の女性を殿下共々惚れさせて婚約者の座を降りるという作戦も考えているため、恋人になっているという気分にはなっていない。
第一前世まで男性として過ごしていたわたくしが少しイケメンで清潔そうで、しかも手紙の文面からも恋焦がれる気持ちを恥ずかしくならない程度に書けて、しかも色々な贈り物を添えてくれる気の利く殿方が婚約者になったところで、そんな簡単にコロッと言っちゃうほどチョロくは無いと思っている。
「んー……あんまり婚約者とかぁ……恋……人? みたいな感覚はないのですよね」
「そうだとしてもですよ、少なくとも貴方のことを想ってますとか、一緒にお花を見に行きたいですねとか……なんというか、こう……情熱? みたいなアレがですね」
「やだなあ、わたくしが殿下に惚れるわけございませんわよ」
わたくしはユルに何言ってんのもう、と言わんばかりに手をひらひらと動かしながら笑顔を浮かべるが……なんとなくチクッと胸の奥が痛んだ気がして眉を顰める。
んー、なんだろう? 最近手紙のやり取りとかであんまり体動かしていないからかな……軽く胸を叩いてからなんともないことを確認すると、わたくしは殿下より届いた手紙の束をもう一度手にとる。
確かに殿下からの手紙にはずっと「君の顔を見たい」「君の美しい瞳を見つめていたい」とか「笑顔を見せてほしい」という歯の浮きそうな言葉が並んでいる。
見ていると次第に恥ずかしくなってくるんだよね……なんていうかこう……一三歳の少年が書くような文章にはとてもじゃないけど見えなくて、大人びた文体というかなんというか。
「……でもまあユルが言いたいことはなんとなく理解しましたわ、殿下に返す手紙としてはもう少し真面目なものを返すことにいたしますわ」
「わかっていただいて何よりです……何ならマーサ殿に書き方を聞いて見たらいかがですか?」
「い、いや……マーサが監修したら大変なことになるんじゃ……」
「聞きましたよシャルロッタ様!」
バァン! とわたくしの部屋の扉が勢いよく開け放たれる。
そこには侍女頭であるマーサが自信満々の笑顔で立っているが、ちょっと待て……呼んでもいないのに彼女は勝手に主人の部屋の扉を開けたぞ?
ポカンとして彼女の顔を見つめるわたくしと、マーサの目が合うが……彼女はちっとも悪びれた表情ひとつ見せずに、わたくしの元へと駆け寄るとそっと両手でわたくしの手を握り締め、何度も頷きながら話しかけてきた。
「このマーサ……市井にある恋愛小説をたくさん読み込んでおります、これもシャルロッタ様の恋心を殿下に一つ残らず届けるため……恋愛軍師たるマーサにお任せくださいッ!」
「おお! マーサ殿……恋愛軍師とは心強いッ!」
「え? ちょ……それより呼んでないんだけど……」
「ユル……よくぞ私を指名してくれました、マーサは今シャルロッタ様のお役に立てることに喜びを感じております!」
「そうでしょう、そうでしょう……ということで干し肉をですね……」
「い、いやマジで人の話聞けよお前ら」
「はーい、干し肉ですよぉ」
「やった! ……ワオンッ!」
だめだ人の話を聞いてくれない……ユルは絶対にマーサの話す恋愛小説の中での知識が正しいと思い込まされているし、マーサはマーサで恋人もいないくせに恋愛軍師とか名乗っちゃってるし。
目の前でマーサの放る干し肉が空中でユルの口の中へと消えていく光景を見せられてわたくしはどうしたものか本気で悩む。
わたくしの手紙……そんなにへんなこと書いてないし、婚約の話をした時の態度とあんまり変わっていないものだから、違和感がないと思うんだけどね。
むしろ急に「貴方に会いたい」とか「恋焦がれてます」みたいな文章に変わったら明らかに代筆だとバレるでしょうから、その方が殿下に送る手紙としては不自然極まりないだろう。
これから二人の手強いポンコツ恋愛軍師を前にわたくしがどうやって殿下に送る手紙を無茶苦茶なことにしないか、その一点だけに集中して軌道修正をしなければいけない……実に気が重い作業が待っているのだ。
「ったく……書いてる方の身にもなりやがれ、ですわ……」
「……なんだか大変そうだなあシャルロッタは……」
インテリペリ辺境伯家令嬢シャルロッタ・インテリペリから届いた手紙を読みながらイングウェイ王国第二王子クリストフェル・マルムスティーンは苦笑いに似た表情で紙の束を机の上に置く。
彼女から帰ってきた手紙……内容は当たり障りのないものだが、時折脈絡もなく「王都に行くことがあればお会いしたい」とか「クリストフェル殿下の絵姿を眺めております」みたいな文章がちりばめられている解読が必要になるくらいの難解な文章であったからだ。
おそらくかなりそっけない最近の出来事などは本人の執筆なのだろうが、それ以外の歯の浮くような文面は無理やり書かされているのだ、とクリストフェルは直感した。
「んー……殿下それでも令嬢から愛を伝えられるのは嬉しいものなのではないですか?」
「流石に無理やり書かされた文章で喜ぶほど僕はチョロくはないんだよねえ……」
ヴィクターの言葉に苦笑いで答えるクリストフェルだが、素の文面は今起きていることをちゃんと伝えようというシャルロッタの想いが詰まっている気がしてそれだけは喜ぶべきだろうな、と思う。
あの美しい令嬢は嘘をつくことが苦手な印象があるし、それはどことなくそっけない文面からも理解できる、できることなら素のままの文章を受け取りたかったが、彼女の周りにも余計なお節介を焼きたがる人間が多いのだろう。
ヴィクターは「そんなもんすか」と答えるが、クリストフェルは「そんなもんだよ」と返してから再び書類へと目をとおす……この作業も本来十三歳でしかない彼が担当するようなものではないのだが。
「ヴィクターはさ、マリアンに何かしてあげないの?」
「なんでですか?」
「……別に? ずっと見てたんだろ?」
「……今俺の方は見てくれてないので、そのうちにしますよ」
「彼女が成長して、シャルロッタが正室になった後、それでもまだ何もしないなら彼女を僕の側室にしてしまうよ?」
クリストフェルの言葉にヴィクターが少し何かを言いかけて……それからふうっ、と大きくため息をついてから首を振って何を言わせたいんだよ、と言わんばかりの表情を浮かべる。
そんなヴィクターの表情を横目で盗み見てから微笑むと「嘘だよ」とそっと呟く……その時コンコン、と扉がノックされる音が響くと一呼吸を置いてマリアンが部屋へと入室してくるが、その姿を見て急に頬を赤らめると書類へと目を落とすヴィクター。
その姿を見てよほど面白かったのかクリストフェルはくすくす笑い始めるが、二人の奇妙な姿を見てマリアンは本当に不思議そうな顔を浮かべていた。
「失礼しま……え? なにがあったの? ……殿下もヴィクターに何かしたんですか?」
——イングウェイ王国において第二王子クリストフェル・マルムスティーンとインテリペリ辺境伯令嬢シャルロッタ・インテリペリの婚約が発表されたのは王国暦一〇一三年のことだった。
辺境の翡翠姫の愛称で知られ、インテリペリ辺境伯領に住む王国一の美姫が第二王子と婚約した、というニュースは王国中を駆け巡り、王国民の間で大いに祝福された。
特に王国民の間ではクリストフェル王子とシャルロッタ嬢が定期的に行っている文のやり取りについて様々な尾鰭がつくこととなり、「第二王子と辺境の翡翠姫の恋文」という作り話として広まり、気がつけば美談を元にした劇が作られるようになる。
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