第五六話 シャルロッタ・インテリペリ 一五歳 二六
「オルインピアーダ、どういうことなの?」
「ああ、プリムローズ……ちょっとしたお痛に遭いましてね……」
ふらふらと部屋に入ってきたオルインピアーダを見てプリムローズはギョッとした顔で彼女を見つめるが、もともと悪い顔色の悪魔がげっそりとした表情を浮かべているのに改めて驚く。
慌てて椅子から立ち上がると水差しから柑橘系の果物を絞って混ぜている水をグラスへと注ぎ彼女へと手渡す。
「貴女が飲めるかどうかなんか知らないけど……」
「飲めますよ、あまり意味はないのですけどね……感謝しますよ」
手渡されたグラスからゆっくりと水を飲むと、オルインピアーダは口元をグイッと手で拭うと歪んだ笑みを浮かべて笑う。
どうやら大丈夫だと考えたプリムローズだが、目の前に立つ悪魔が黙って彼女を見つめていることに気がつくと、黙って椅子へと座る。
オルインピアーダはふうっと息を吐くと笑みを浮かべたまま、プリムローズに語りかける。
「……あれはこの世界におけるイレギュラーと言ってもいいわ」
「イレギュラー? なんのこと……?」
「私の分体をこともなげに破壊した……戦闘能力だけで言えば過去の勇者を超えているかもしれない」
オルインピアーダの分体、シャルロッタが破壊した別の肉体は本体よりも能力は抑えられているものの、普通の冒険者などには容易に破壊できないという自負がある。
それを一撃……! あんなに洗練された斬撃は見たことがない、静かに強くそして不可視に近い恐るべき攻撃……本体でも避け切ることは難しいだろう。
ああ、下腹部に熱いものが満ちていく……締め付けられるような快感がオルインピアーダの全身を包み込み、軽く身を震わせる。
「そんな人間は今までこの世界にはいなかった……この世界が変わるきっかけになるかもしれないわね」
「な、何を言っているの? この……世界?」
恋焦がれるような表情でうっとりと話すオルインピアーダにプリムローズは意味がわからないと言わんばかりの顔で尋ねるが、そんな彼女を見てもニヤニヤと笑うだけで答えようとしない悪魔に次第に苛立ってくる。
第一この悪魔と契約したところで……私は王子と結ばれることができていない、未だ正式な婚約者はシャルロッタ・インテリペリのままで、一体この悪魔が何をしてくれているのだ……。
「そう、そのシャルロッタ……辺境の翡翠姫ですよ私の言いたいのは」
「は? ……え? あいつがどうしたの?」
「もう一度言いますが……あれは、あの女性は素晴らしい強さ、気高さ……まさに神話にいる勇者のよう……貴女が勝てないのも理解できますね」
「な……ッ! 口を慎みなさい下賤の悪魔がっ!」
「いえいえ私は真実を申したまでで、貴女は莫大な魔力を持て余し力を効率的に使うことができない……でもあれは違います。素晴らしいまでの研鑽、努力、そして才能……濡れてしまいますよ」
まるで神に祈る純粋な乙女のように、オルインピアーダは両手を合わせてうっとりとした表情を浮かべているが、プリムローズは彼女の言葉に混乱するばかりだった。
シャルロッタ……あのアバズレがどうして勇者と同格? そんなはずはない、あれは世間知らずの田舎娘、辺境伯の令嬢というだけで大したことのない存在であるはずなのに。
憎い……憎い、ニクイ……悪魔との契約によって歪み始めたプリムローズの自我が憎しみに満ちていく……この心の動きは普通の状態ではない、だが冷静さを欠いたプリムローズはそんな簡単なことにすら気がつかない。
「……どうしたらあの女を殺せるの?」
「おや? やる気を出していただけるのですか?」
「やる気も何も……貴女が真面目にやっていないからじゃないの?」
「それでは……貴女の魔力を全て使わせてください、そして更なる契約の証を私に」
オルインピアーダはぐにゃりと歪んだ笑みを浮かべる……今までプリムローズの魔力を全て使うことはできていなかった。
それでもあれだけ莫大な魔力を行使できていたが……辺境の翡翠姫を倒すには全く足りないと悪魔は考えている。
プリムローズはその笑みを見ても臆することはなく、黙って頷く。
彼女は自分自身が抱えている魔力の総量を理解しているわけではない、ホワイトスネイク家は魔法使いの家系、そして祖である初代ホワイトスネイク公爵から連綿と受け継がれてきた才能は何もなければ彼女を稀代の大魔法使いへと成長させたに違いない。
「いいわ、私の魔力を使ってあの女を殺せるなら……やりなさい」
「クハハッ……それでこそ私の契約者です、では」
「ひっ……うむうっ……」
次の瞬間音もなくプリムローズの眼前にオルインピアーダが移動し、ギョッとした彼女を黙らせるかのように悪魔はその唇をプリムローズへと重ねた。
お互いの唇を啄むような軽い口付けは次第に悪魔が口元から覗かせる紫色の舌が、プリムローズの唇を割って口内へと侵入し蹂躙していく。
唾液混じりの舌が絡み合い、あたりに水音のような淫雛な音をプリムローズの少し明かりを落とした部屋の中へと響かせる。
足を振るわせながら甘美な快感に座り込みそうになるプリムローズだったが、それを逃さないとばかりに彼女の腰をオルインピアーダの腕が支え、まるでお互いを求め合うかのように悪魔と令嬢は夢中になってお互いを見つめていた。
「必ず……必ずあいつを殺して……う、んっ……」
「貴女の魔力があれば私は必ず目的を遂げますよ、それと貴女にもやってほしいことがあります」
「あんっ……な、何をすれば……」
そのまま二人はベッドへと倒れ込み、プリムローズの体を弄り始めたオルインピアーダは彼女にそっと囁く……快楽にぼうっとしていく思考の中プリムローズは熱に浮かされたように焦点の合わない目で悪魔へと尋ねる。
そんな彼女を見て、ニヤリと笑ったオルインピアーダはゆっくりと彼女の頬に自らの手を添えるともう一度彼女の耳へとそっと舌を這わせながら彼女に語りかけた。
「舞台を整えていただきましょう、貴女が主役の舞台をね……踊ってくださいましプリムローズ」
「異常が治った……のか?」
「よ、よかった……あの娘がやってくれたのかな?」
ビヘイビアを脱出したエルネットら赤竜の息吹は、近くの木陰で応急処置をしながらロッテの帰還を待っていたが、異常すぎる闇の魔力を吹き出し続けていた迷宮が急に沈静化を始めたことに気がついた。
沈静化……つまりなんらかの異常を起こしていた迷宮核が正常化し、大暴走が起きる可能性が無くなったということに他ならない。
あの銀髪の少女、冒険者ロッテの素顔を思い浮かべてエルネットはあの美しい少女の面影に懐かしさを覚えていた。
「な、なあ……俺あの娘の顔に見覚えがあるんだ……」
エルネットは不意にリリーナ達へと向き直ると、困惑したかのような表情で話し始める……それは彼ら赤竜の息吹が王国内に知られることとなった出来事。
その時に彼らは領都であるエスタデルのインテリペリ辺境伯の城へと招待され表彰された。
村を襲撃した魔物に対して危険を顧みずに必死に抵抗し、インテリペリ辺境伯軍が到着するまでその場を死守することに成功したのだが、それまでの彼らは血気盛んな駆け出し冒険者の一人だった。
ゴブリンやホブゴブリンといったそれほど強くない魔物相手にも苦戦し、必死に命を拾い、そして生きて帰ったことを喜ぶそんなどこにでもいる冒険者の一人……今のような銀級冒険者として頼られ、尊敬される前の話だ。
彼らの心の中にその時の印象は焼きついている……単なる辺境のさらにその領都からも離れた田舎の若者だった彼らが初めて世の中に認められ、そして冒険者として成長する大きなきっかけとなったそんな事件。
その時の表彰でインテリペリ辺境伯家の人間を初めて間近で見た……一眼みた時に大人物であるとわかる威厳を持ったクレメント・インテリペリ辺境伯、そして美しい奥方ラーナ・ロブ・インテリペリ夫人。
その隣で笑顔を浮かべていた少女がいた……辺境の翡翠姫の異名を持つ美しい少女シャルロッタ・インテリペリ。
当時は病弱であまり外に出ることがないとされており、公の場でもあまり顔を見せたことがなかった彼女が初めて姿を現したと話題になった式典でもある。
エルネットを見つめるエメラルドグリーンの瞳はまるで彼を見透かすかのように美しく透き通っており、年下しかも年端も行かない少女を前に思わず赤面して身を固くしてしまうくらい当時のエルネットは緊張していた。
『……領民をありがとうございます、そのうち皆様は勇者と呼ばれるようになるかもしれませんね。その時が楽しみです』
美しい声で彼らに声をかけた銀髪、エメラルドグリーンの瞳が特徴的な少女は緊張する彼らにそっと微笑んだ。
あの出来事は忘れたくても忘れられない……エルネットの心に強く少女の微笑みが焼きついている、幼馴染でずっと一緒にいるリリーナが惚けた表情を浮かべた彼に思い切り肘鉄を喰らわせたくらい、だ。
二人の関係性を理解したのか辺境の翡翠姫はクスクス笑いながらリリーナの手を取って、そっとエルネットの手へと導き、再びぺこりと頭を下げると去っていった。
その時の鮮烈な記憶を呼び起こされたエルネットは、自分を助けたロッテの素顔を思い返して確信した……辺境の翡翠姫、その人が俺たちを助けに来たのだと。
エルネットは誰にも聞こえないくらいの小さな声でそっとビヘイビアの入り口の方向を見つめてつぶやいた。
「あの時、俺は……年端も行かない少女のことが心に焼きついた、惚れたっていうよりはこの方なら支えたいって思ったんだよな……」
_(:3 」∠)_ エルネットさんの気持ちは恋とかじゃなく、敬愛に近いかもしれません。
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