第五三話 シャルロッタ・インテリペリ 一五歳 二三
——迷宮核に繋がる最後の部屋、その部屋の扉をゆっくりと押し開けていく。
ビヘイビアだけではないが迷宮は通常の空間には存在していないため、外見よりもはるかに広く歪な形状になっていることが多い。
まあこのビヘイビアは割とオーソドックスな壁や床で構成されており、清潔とは言い難いがそれでもまだ我慢できる範囲の外見であると言える。
目の前に広がる広大な空間はまるで壁面や床は巨大な神殿のように整っており、静謐とまでは言わないけどそれまで死体が転がっていたり、血糊がべったり付いた場所からすると十分に清潔な空間になっている。
「しばらく誰も入っていないんでしょうなあ……」
ユルが少し呆れたような顔で辺りを見ているが、ここはビヘイビアの核の前にある、いわゆるボス部屋と呼ばれる最終防衛地点だ。
正直言ってしまえば迷宮に出現する固有のボスは核を破壊する目的でもなければ挑戦する理由がほとんど無い。
冒険者からしても一度完全に探索の済んでしまっている迷宮でボスに挑戦する意味なんかまるで無いからな……この様子では本当に開拓後は誰もここへは入っていないのだろう。
「……人間? 本当に人間が来たのか……?」
「ん?」
奥から声をかけられて、そちらへと目を向けると巨大な影が部屋の真ん中に突っ立っているのが見える。
ええと、冒険者組合の説明にビヘイビアのボスの話が出てたっけ……わたくしは話半分で聞いていた受付嬢の説明を思い返していくが、部屋の中心からズシリ、ズシリとかなりの重量の生物がこちらへと向かってくる音が部屋へと響く。
凄まじい圧力……おそらくビヘイビアの開拓以降本当にこの部屋には誰も立ち入っていないのだろう、もしかしたらその年数分この迷宮の魔力がボスへと集まり強大な魔物へと変化させている可能性すらあるのだ。
わたくしのこめかみに軽く冷たい汗が流れる……もしボスが強力だったら……本気で戦わなければいけない可能性が高いからだ。
わたくしの緊張感を感じ取ったのかユルが軽く唸り声を上げているが、その巨大な影は恐ろしく緊張感のない声で口を開いた。
「に、人間だぁ……」
「え? な、なんか様子がおかしいですわ……」
「めんこい嬢ちゃんが来たよぉ……我は……こんなめんこい嬢ちゃん見たの久しぶりだよ……」
「は? え?」
その巨体の持ち主は牛の頭に巨人の体を持ったような異形の姿をしたミノタウロス……彼の手には黄金の装飾が施された巨大な斧が握られているが、わたくしの姿を見ると体を震わせながら斧を取り落とす。
ミノタウロスは両目からボロボロと涙を流し、膝をついて両手を祈るかのように握りあわせるとわたくしに向かって祈るようなポーズで頭を下げる。
完全に状況が理解できていないわたくしとユルは完全に思考停止状態でその場で固まってしまっている。
「あ、すまね……ん、ゴホン……我はこのビヘイビアを守る守護者でありミノタウロスの勇士であるシビッラ……よくぞここまで来たな! だがこの先は通すわけにはいかない!」
「……あ、はい……そうです……ね……」
ミノタウロスは急に役目を思い出したかのようにクソ真面目な顔になってわたくしたちに宣言するが、先ほどの発言で完全に毒気を抜かれてしまったわたくしとユルはどう反応して良いのか分からずにお互い顔を見合わせた後、再びミノタウロスへと視線を向ける。
一分ほどお互いがどうしていいのか分からず目を合わせたまま、何もしない時間が流れ広大な部屋の中に気まずい沈黙が流れている。
こちらに敵意自体がないとわかったのかシビッラと名乗るミノタウロスは再び黙って両座をついてその場に正座すると、どうぞと手で床に座るように促してくる。
わたくしは黙って頷くと、その場に腰を下ろし……そして一分くらいお互い黙って床を見ているだけの時間が生まれてしまった。
「……あの……質問いいですか? このビヘイビアのボス……ですよ……ね?」
「あ、はい……一応そうなんですが……あ、すまない、我がこのビヘイビアのボスである」
「……寂しかったんですか?」
わたくしの一言に図星だったのかシビッラは一瞬固まってしまうが、すぐに肩を震わせ両目から大粒の涙を流し始める……うわあ……核心ついちゃったよ。
ユルも困ったような顔でわたくしの隣で黙って伏せを続けているが……シビッラが嗚咽を漏らしながら口を開く。
「だって、誰も来ねえんだよぉ……七〇〇年くらい前に冒険者と戦ったのが最後で……我が生き返ってからというもの、毎日毎日掃除しかやることがねえんだよぉ……あ、こちらお茶です」
「七〇〇年……あ、お茶をどうもありがとうございます」
シビッラがどこからともなく取り出した温かい紅茶の入ったカップを受け取るとわたくしは軽く口をつけてみて、割と淹れ方が様になったお茶だなあと別の意味で感心する。
確かにビヘイビアは七〇〇年前に開拓され、探索され尽くした迷宮だと説明されているくらい古い迷宮の一つだ。
その上核が恐ろしく安定しており、上階層の魔物を間引きしていくだけで運用ができていたと説明を受けている。
今回のように大暴走の兆候が出ること自体がおかしいはずだ……だがなぜシビッラはその状況にも拘らず凶暴化していないのだろうか?
「あの質問なのですけど今上の階層では大暴走の兆候が出ていまして……何かご存知ですか?」
「え? 大暴走? このビヘイビアで?」
「……はい」
「核のある部屋に入るにはここを通らないといけないのですが、誰も来ていないですね……ですので貴女を見た時に思わず素が出てしまったというか……」
シビッラが顎に手を当てて訳がわからないと言わんばかりの表情になるが、迷宮ボスですら兆候を理解していないというのはどういうことだろうか?
わたくしとユルは訳がわからんと言う表情を浮かべていると、シビッラが黙って立ち上がり、ついてこいと言うように手招きをして部屋の奥へと歩き出す。
まあ、ここは迷宮に精通しているはずのシビッラに従うのが正しいだろうな、わたくしは目の前を歩くミノタウロスについて歩き出す。
これまで気がついていなかったが、このボス部屋は神殿のような作りになっており荘厳な雰囲気が漂っている。
「こんなに広いのですね……」
「我一人で使うには広すぎますよ、七〇〇年は長かったですね」
シビッラが苦笑いのような表情を浮かべると、目の前に現れた巨大な扉の前に立つが、ほんの少しだけ不思議そうな表情を浮かべて扉を見ている。
なんだろう? と思ってシビッラの顔を覗き込むと、ほんの少しだけ眉を顰めるような顔で、鼻の頭を軽く掻いている……そこでわたくしも気がついたが、妙に甘ったるいようなどこかで嗅いだような違和感のある匂いがそこには漂っていた。
これは……肉欲の悪魔の匂いか?
「これは……」
「貴女の言うとおりですな、どうやら侵入者がいたようです……それとどうやら貴女を狙っているのか、意図的に大暴走もどきを起こしているものがいますな」
シビッラの言葉と同時に、わたくしたちがこの部屋へと入ってきた入り口の方向から魔物の怒号のようなものが響きわたるのが聞こえる。
まずい……せっかく核のある部屋まで辿り着いていると言うのに邪魔されては……わたくしが腰の剣を引き抜こうとすると、シビッラがその動きを制して巨大な斧を片手にわたくしたちを庇うように立ちはだかる。
「中へ入ってください、ここは我が食い止めましょう」
「よろしくて? 貴方はここのボスなのですよね?」
「通常の状況であれば、ですね。今は非常事態故に貴女に核をお任せした方が良いと判断します、崩壊は食い止めねばなりません」
シビッラはニヤリと笑うと部屋へと雪崩こんでくる魔物へと大きく咆哮する……壁や地面がビリビリと震え、その咆哮だけでもゴブリンやホブゴブリンは恐怖感を覚えたのか思わず立ち止まるが、オーガやトロールなどの大きい肉体を持つ魔物はその咆哮だけでは止まらずにこちらへと歩み寄ってくる。
だがシビッラはその手に持った巨大な戦斧を軽々と振るうと、先頭にいたオーガの首を一撃で跳ね飛ばし、返す刀でトロールの片口から腹部までを切り裂いてのける。
「ブモオオオオッ! ここは通さぬ……我がビヘイビアのボス……シビッラである!」
悲鳴と血飛沫……そして怒りの咆哮が部屋の中に響く中ミノタウロスである彼は地面へと戦斧を叩きつけるように振り抜くと、その衝撃で体重が比較的軽いゴブリンやホブゴブリンが宙を舞う。
空中で身動きの取れない魔物達に向かって戦斧が叩きつけられ、体を砕き血や内臓が壁へと叩きつけられグシャリと嫌な音を立てて潰れていく。
うわ……わたくし彼と真面目に戦ってたら正直かなり苦戦したかもな……七〇〇年という時の流れは彼自身を恐るべき強大なボスへと成長させていたのだろう。
シビッラは再びわたくしたちへと振り向くと軽く頷く……これは彼の男気に甘えた方が良さそうだな……わたくしは扉に手をかけて扉を開けるとその中へとユルを先に入れると、最後にミノタウロスへと声を掛けてから中へと潜り込んだ。
「……ごめんなさい、核を直すまで防衛をお願いします。必ず戻ってきますから……」
_(:3 」∠)_ シビッラ「めんこいよぉ……」 シャル「……どちらの生まれですか?」
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