第三七〇話 ????? ??歳 遥かなる一〇〇〇年紀の終わりに
——新生イングウェイ王国の王都、その中心に建てられた美しい白亜の城であるオーヴァチュア城の一室にて。
「……というわけで、一〇〇〇年ほど前になりますが新生イングウェイ王国の黄金期はここから始まったのです……って殿下? ちゃんと聞いてます?」
「聞いてるよ! もう何度も話すから一字一句覚えちゃったよ」
黒髪に赤い眼をした初老の男性……仕立ての良い衣服に身を包んだ彼が、つまらなさそうに頬を膨らませる少女の顔を覗き込む。
少女は貴族令嬢らしく高価なドレスに身を包み、幼いながらも非常に整った顔立ちをしており、銀色の美しい艶やかな髪に、透き通るような緑色の瞳を持っていた。
彼女はこの城に暮らす王族の一人であり、新生イングウェイ王国の開祖からの血を連綿と受け継いできた、まごうことなき王女の一人である。
そんな彼女に初老の男性は優しく微笑むと、もう一度彼の手に持った教本へと視線を落とすが……少女がつまらなさそうに目の前に置かれたペンを弄っているのをみて、軽くためいき混じりの吐息を漏らす。
そして軽く手を叩くと、少女へと笑顔を向けて語りかけた。
「今日はもう終わりましょうか、クリステラ様もお疲れのようですし」
「……いいの?!」
「でも明日はアーテルも勉強を教えますからね?」
「げ……アーテル厳しいんだもん……」
だが、男性が優しく彼女の小さな身体を抱き上げると、少女は嬉しそうに微笑みながら彼へと身を預ける。
厳しい教師ではあるが、彼のことは心より信頼しておりクリステラは彼の首筋にそっと手を回す……男性は軽く彼女の背中をポンポンと叩くと、彼女をベッドへとそっと下ろした。
クリステラは布団の中へと潜り込むと、男性の顔を見上げてにししと、歯を見せて笑った。
少女の名前はクリステラ・インテリペリ・マルムスティーン第一四王女……新生イングウェイ王国の開祖と呼ばれたクリストフェル、シャルロッタ夫妻から数えて一六代目に当たる子孫であり、今年一〇歳になる少女だ。
美しい銀色の髪と緑色の瞳は開祖を連想させると言われ、誕生時には新たなる辺境の翡翠姫の誕生かと国中がお祭り騒ぎになったことでも知られている。
とはいえ現状開祖のような能力を見せていないこともあり、美しいけど目立たない王女の一人、という地位に甘んじていた。
「ねえねえ、ユルは御先祖達もずっと教えてたんだよね?」
「はい、我……いや私はずっとマルムスティーン王家のためにおりますので」
「そうなの? アーテルもだよね?」
緑色の瞳がユルと呼ばれた初老の男性をじっと見つめる……黒い髪に赤い瞳、少し色黒の肌をした男性はその瞳に見つめられると、照れたようにそっと眼を逸らす。
ユル……今では王家の教育係としての生活を営む彼は、ずっと昔……人ではなく幻獣ガルム族の一員として過ごしていた。
人化の秘術を使って人間としての姿を手に入れた彼は、開祖であるクリストフェル達から王国の行く末を見守ってほしいと頼まれ、その約束をずっと守ってきていた。
それは彼自身が望んだことではあるが、これほどの時間になるとはその当時は予想していなかった……彼の伴侶であるアーテルも同じく、その契約を守り王家のために身を粉にして働き続けている。
「そうですな……私とアーテルは皆様のために生きてきました」
「確かガルム族なんだよね? 元の世界に戻ろうって思わないの?」
「……そうですな……ですがあの方が愛した世界をもう少し見てみたいと思いまして」
「あの方って?」
じっと自分を見つめる緑色の瞳が少し眩しい……遠い過去に過ぎ去ってしまった一人の女性、いや初めて会った時は少女の姿だったが、笑顔が美しいその人によく似た目の前のクリステラに見つめられると、どうしてもその時の言葉を思い出してしまう。
そして世界を救ったあの人は、気がつけば遠き過去の存在となり……再び目の前に現れないのだという現実だけがユルの心に寂しさや空虚さが湧き上がる。
クリステラの頭をそっと優しく撫でると、彼女は嬉しそうに微笑む……優しい笑顔、面影は確かに似ているが、やはり別の存在であるということを強く感じさせられるのだ。
「貴方によく似た人です、私の意思はその方のためにありました」
「開祖様のこと?」
「はい、クリステラ様が眠るまで、私がその人のお話を聞かせて差し上げましょう」
「えー、もうそんな時間? でもまあ話を聞かせてよ」
「眠るまでですよ、もう遅いですからね」
クリステラが浮かべた笑顔は、ユルにはあのシャルロッタが微笑んでいるように思えて思わず瞳が軽く潤む……いかんな、歳を取ると涙腺が緩んでいかん、と軽く頬を叩くと彼は思い出を一つづつ紐解くようにあの輝かしい時代に生きた人々の姿を思い浮かべた。
記憶の中にあるシャルロッタ・インテリペリという少女の人生は強く彼の中に刻み込まれていた。
その強さも、その優しさも……そしてどこか浮世離れした言動など、それらの記憶が昨日のことのように思い浮かんできたのを感じて、ユルは誰に向けるわけでもなく自然と優しく微笑む。
まだ記憶に残っている彼女の声や顔ははっきりと思い出せる……その懐かしい記憶を思い出すように、ユルは言葉を発し始める。
「彼女と私の出会いはひどく暗い洞窟の中でしたね……最初は何がきたのかと怯えたものですが、彼女は最初から変わった人でした……」
「おかえり、クリステラ様はもう寝た……ってかなり疲れてるね」
眠りについたクリステラを侍女に任せて部屋へと戻ってきたユルを、黒髪、赤い眼の美女が出迎える。
彼女の名前はアーテル……古くからユルと共に王家のために働き続けるガルム族の雌……いや、今の姿は絶世の美女であるが、その彼女が腰掛けてきたベッドから立ち上がる。
慣れた手つきで近くにあった魔道ポットからカップへとお湯を注ぎ、そレをそっとをテーブルへと置くとユルへと優しい微笑を見せてからベッドへと再び腰掛ける。
伴侶として共に暮らしてから長い時間が経っている……ユルが小さなベッドへと目を向けると、そこには何頭かの黒い毛玉にしか見えない幻獣ガルムの幼体が静かに寝息を立てていた。
テーブルに置かれた湯気の立つカップを手にとってそっと一口啜ると、染み渡るような暖かさが彼の心を優しく包み込むようで、ほっと暖かい息が漏れる。
「……分かってはいるがね、どうしてもそっくりだからな……」
「そうだねえ……私も初めて見た時は驚いたけどね、やはり違うよね」
「ああ……違うと思う」
クリステラの容姿はユルとアーテルからしてもシャルロッタの面影を感じさせ、彼女以降銀髪の王族は生まれていなかったため、彼らに淡い期待を持たせたのは事実だ。
何度か誘導尋問のような言葉を投げかけてみたが、クリステラはまるで反応しなかったため二人は密かに落胆したものだ。
それでも記憶の中にある彼女とよく似た面影を持つクリステラに期待をしてしまうのはなぜだろうか? 深くため息をついた二人の耳に、ゴトリ、という異音が聞こえた気がして彼らは素早く立ち上がる。
音はクリステラの寝室から聞こえた……? ユルとアーテルはすぐにその姿を元の姿、幻獣ガルム族の黒い毛皮を持った巨大な狼へと変化させる。
人の姿ではガルム族はそれほどの戦闘能力を発揮できない……元々人間ではないからだ。
「……いくぞ!」
「ああ!」
子供達を起こさないように前足を使って扉を静かに開けると、ユルとアーテルは一目散に王女クリステラの部屋へと走り出す……すでに夜は遅く、平和が続いているこの王城の警備兵達も、王族の部屋近くまではなかなか巡回に来ようとはしない。
それにこの階層にはユルとアーテルという強力な幻獣が居を構えていることもあって、どうしても警備が等閑になってしまっている。
今度警備兵達を鍛え直さんとな……とユルは内心舌打ちをしながら矢のように廊下を走っていく。
クリステラの部屋の前で音を立てないようにそっと耳を澄ませると、中でクリステラが独り言を呟くのが聞こえてきた。
『……あれ? 取れないな……うーん、やっぱこの身体慣れねーな』
「……? クリステラ様……?」
「まさか賊か?」
「い、いや……気配は一人で……扉を開けよう……」
『……ええと、ここにあったと思うんだけど……子供の身体ってめんどくさ』
ユルが前足でそっと扉を開けて中を見ると、ベッドから降りたクリステラが空間に空いた亀裂に手を突っ込んで手を伸ばして何かを探っていた。
そしてそこから小さな小剣……それはインテリペリ辺境伯家、今では公爵となった紋章のついたひどく古めかしい武器を取り出してのけたのだ。
着用している夜着はイングウェイ王国王族が好む最高級の仕立て屋で作成された薄手の絹製で、月明かりに照らされてまだ成長期を迎えたばかりのクリステラの体のラインが浮き上がって見える。
だが、背後に気配を感じたのかその動きがぴたりと止まる……ユルとアーテルは唖然としながら、こちらに夜着に包まれたお尻を向けつつ、硬直したように動こうとしないクリステラを見つめる。
まるで錆びついた扉のような動きで、目を白黒させたクリステラが小剣を片手に彼らの方へと視線を向けると、呆然としているガルム達を見つめて口を開いた。
「……な、なんでそこに……もしかして見ちゃった?」
「……は、はい……見ました」
「……あ、あのクリステラ様? ですよね?」
「あー……その、はいクリステラです……おっかしーな、寝てると思ったのに」
クリステラは月明かりに照らされる銀色の髪の上から頭を軽く掻くと、バツが悪そうな顔で外方を向く。
そこで初めてユルとアーテルは普段の彼女とはまるで違う雰囲気を感じとった……彼女の表情はたった一〇歳の少女が見せるような表情ではなく、神々しくも凛々しい別種の存在のようにすら思える。
ユルとアーテルは目の前に立つ少女の放つ恐るべき存在感に気圧されつつも、ひどく懐かしいものを感じて口元を震わせた。
どうしてだろうか? ひどく懐かしい気分にさせられる……自然と目頭から溢れる涙が、その少女の記憶を強く思い出させるのだ。
それは遥か昔に見送った人物、辺境の翡翠姫と呼ぶに相応しい最強の勇者にして王妃……魂の色も形もそれまでのクリステラとは思えないほどに強く輝いていた。
クリステラは二人に向かって観念したようにため息をつくと遥か遠くに消えたはずのあの声で、そして優しくも凛々しい表情を浮かべたまま、ガルム達へと手を差し伸べ少しぎこちないながらも片目を閉じて微笑を浮かべる。
「バレちゃしゃーない……そろそろ魔王復活の時期だからマルヴァースに戻ってきたわ……これからつまんねー城抜け出して魔王退治の冒険やるんだけどさ、昔みたいに二人もわたくしと一緒に行くかしら?」
——それは新生イングウェイ王国が誕生してからちょうど一〇〇〇年……異世界マルヴァースに再び一人の少女が舞い戻ってもう一度世界を救う、そんな御伽話の始まり。
わたくし、前世では世界を救った♂勇者様なのですが? 〜魔王を倒し世界を救った最強勇者様だったこの俺が二度目の転生で、超絶美少女貴族に生まれ変わってしまった。一体これからどうなる私のTS貴族令嬢人生!? ——完——
読んでいただいた皆様へ
「わたくし、前世では世界を救った♂勇者様なのですが?」はこれにて完結となります。
当初は短めの物語として構想していましたが、書き進める中でシャルロッタ・インテリペリの物語をさらに深めたくなり、結果として長編になりました。
読みにくい箇所や誤字脱字など、お見苦しい点も多々あったかと思いますが、最後までお付き合いいただき、心より感謝申し上げます。
本作を書き終える過程では、何度も挫けそうになりながらも、皆様に最後まで物語をお届けすることを目標に進めてまいりました。
おかげさまで自信を持って次の作品に取り組むことができそうです。
もし本作を気に入っていただけましたら、ご評価、レビュー、ブックマーク、作者フォローをしていただけますと大変励みになります。
これからも皆様に楽しんでいただける作品をお届けできるよう精進いたします。
改めて、本作を最後まで読んでいただきありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
自転車和尚











