第三六四話 シャルロッタ 一六歳 魔王 一四
「覚悟おッ!」
クリストフェルが驚異的な速度で欲する者との距離を詰め、裂帛の気合いとともに剣を振るう……斬撃はそれまでのものと全く違い、驚くほどに洗練され鋭かった。
だが、驚きの表情を浮かべていた欲する者はゆらりと蛇の下半身をくねらせると、ギリギリのところで致命の一撃を避けてのける。
人間の下半身よりも可動域の広い体による並行移動……そしてこの体型のメリットはすぐに反撃を繰り出せることにあり、欲する者はその手に生える爪を鋭く尖らせるとクリストフェルの首を狙って突きを繰り出した。
「クヒャハアアッ!」
「なんのッ!」
だが一撃を躱されたクリストフェルは足を地面へと叩きつけるように蹴ると、その反動を使って一気に体勢を変え体を回転させるとともに相手の攻撃へ剣を叩きつける。
ギャアアアンッ! という鈍い音とともに剣と爪によるせめぎ合いがはじまる……時折バチッ! と火花が散りつつクリストフェルと欲する者は一歩も引かずに睨み合った。
驚くべきはここまで強くなかったはずの彼の成長だろう……元々疫病の悪魔に呪いをかけられ弱体化をしていた時期があるとはいえ、あっという間に超一流の戦士へと成長して退けた。
決して最強と言える強さではないが、すでにマルヴァースに存在している戦士としては比類なき強さを発揮している。
「……あらやだ……ここまで良い男になると、味見したくなるわぁ……♡」
「お前の見た目でよくいう……ッ!」
「ケヒハハハッ! 死ぬ前にこの世のものとは思えない快楽を味合わせてあげるわ!」
口の中に生えた欲する者の顔……額の部分がボコン! と凹むと、まるでそこから槍を伸ばしたかのように何かが突き出す。
すんでのところでその一撃を首を捻って交わしたクリストフェルは、彼女の額から伸びたのがミニチュア化したかのように小さな欲する者の顔であることに気がつくと、思わず眉を顰める。
悪趣味すぎる……その小さな顔にも歪んだ笑みが浮かんでおり、軽く舌打ちをするとクリストフェルは距離を取るためにトンッ! と軽く後ろに飛びつつその顔を一刀の元に切り裂いてみせた。
だが痛覚はないだろう……切り裂かれたその顔はボロリ、と崩れていくが大きな顔は同じような歪んだ笑みを浮かべたままじっと彼を見つめている。
「……今の反応……さすが勇者というべきか、だがあの女ほどの能力ではない」
「そうかお前はシャルと戦っていたな」
「ああ……あれほどの強さは凄まじい……だけど女としては最低ね」
欲する者はギラリと瞳を輝かせると同時にその巨大な蛇の尾を使って、クリストフェルへと叩きつけてきた。
だが大きな動作はクリストフェルが持つ勇者の瞳に感知され、彼は一気に跳躍するとその尾による一撃を躱して見せる。
尾による一撃は地面を破壊し、大小様々な瓦礫を巻き上げる……その瓦礫を蹴るように距離を詰めていくクリストフェルの動きを見て、欲する者は軽い舌打ちを漏らす。
この動きはあの忌々しい辺境の翡翠姫と同一……彼自身は戦闘術と呼ばれる特殊な能力を行使できないが、動きはまるで彼女そっくりになっている。
「はああああッ!」
「く、この……ッ! 忌々しいッ!」
クリストフェルの剣が振るわれる……鋭く早い斬撃が叩きつけられるたびに、欲する者はその腕を振るって攻撃を防御していく。
彼女自身は接近戦能力は他の訓戒者と比べても飛び抜けて高いわけではない、どちらかというと精神感応、誘導などに特化した能力を与えられている存在だ。
それでもシャルロッタとの戦いでは十分な戦闘能力を発揮していた……しかしその時ほど万全な状態ではないままクリストフェルと戦っているため、決め手に欠けている。
そして……欲する者は視界の外から飛んできた炎に向かって手を伸ばす……彼女の肌に触れるす寸前で炎が炸裂し周囲を揺るがすほどの爆発を巻き起こした。
「……おイタをするワンちゃんは厄介ね!」
「婚約者どの……! 援護します!」
爆発の煙を掻き分けるように欲する者が飛び出す……その腕は炎により焼き焦がされ、一部が欠損していたが、すぐにその肉体は元通りに戻っていく。
接近戦はクリストフェルが担当し、視界の外に移動し続ける幻獣ガルム族のユルが炎の魔法を行使する……まるで二人は主従契約を結んでいるかのように動いている。
どういうことだ……? 前に見た時は辺境の翡翠姫と契約を結んでいる、という話だったのに今は異なるというのだろうか?
欲する者はギリッ! と歯を食いしばると目の前の敵を確実に殲滅するために必要な行動を模索し始める……状況はジリ貧といっても良い。
クリストフェルを狙って全力を出せば、ガルムによる炎魔法が肉体を破壊してくる……一度でも怯んで仕舞えば、その隙を狙って剣が叩き込まれるだろう。
かといってガルムを狙うのは得策ではない、幻獣ガルムはその動きの素早さでも他を圧倒しており、そう簡単に捕まえられるものではない。
「……ケヒッ! なら一気に殲滅するまで……!」
「婚約者どのッ!」
「ユルッ!」
「混沌魔法……愛欲の律動……ッ!」
次の瞬間、クリストフェルとユルの周囲に臓物とも肉壁とも思える薄紅色の結界が周囲を取り囲む。
ぬらぬらとした粘液に塗れたそれは、ビクビクと蠢きまるで二人を飲み込むかのようにゆっくりと収縮を開始し、まるで生きているかのような動きを見せた。
放たれた混沌魔法愛欲の律動はノルザルツの眷属における最強の魔法の一つである。
臓物と粘液に塗れた結界は蠢き、収縮し対象となる生命体を取り込み消化する……消化された生命体は術者の子宮へと取り込まれ、形を失って吸収されるのだ。
消化される生命体は幾億もの絶頂に等しい快楽へと包み込まれ、無限に等しい忘我の境地に至ったままノルザルツの身元へと送り込まれる。
欲する者は大幅な弱体化の状態にあってもまだ、この強大な魔法を数回行使できるだけの魔力を残していた。
ユルが大きく遠吠えするとクリストフェルを中心に、二人を取り囲むように結界が広がる……結界は炎の魔力を有しているため、愛欲の律動によって構成された魔力と衝突するたびに焦げ臭い匂いと煙を発する。
この混沌魔法を持ってしても、今のユルが展開した防御結界を貫くことができていないという現実に欲する者は驚きを感じていた。
「バカな……私の魔力が減衰しているとでも……」
「……ぐ、おおお……ッ!」
だが凄まじい圧力にユルは呻き声をあげる……あまりに強大な魔力の前に、気を抜くと瞬間で取り込まれてしまいそうな凄まじい力。
終始魔力だけでいえば欲する者を圧倒していたシャルロッタの異常さを感じつつ、ユルは必死にその荒波に争っていた。
だが……その震える肩にそっとクリストフェルの手のひらがユルに触れるとともに、全身に暖かな魔力が駆け巡っていく。
ユルが驚きと共にクリストフェルを見上げると、彼は優しい瞳でガルムを見つめ……そして頷くと、それに同調するかのようにユルの全身に新たな力が流れ込む。
「……大丈夫、僕がいる……集中してくれ」
「……承知、我もあなたを信じましょうぞ!」
「ぐ……この金色の光は……ッ! 舐めるなぁああああっ!」
それまで赤く輝いていたはずの防御結界が、それまでとは全く違う金色の輝きを放ち始める……欲する者にはその魔力が聖なる力、すなわち神々が放つ神力に近いことを直感で感じ取るが、まだ全てを浄化するほどは強くない。
今ならまだ……と愛欲の律動に込める魔力を集中させようとした瞬間、対立する莫大な魔力の奔流により、それまで明滅だけを繰り返していた魔法陣が一際強く発光した。
まるで目覚めの時を得たかのように……その光は強く、そして禍々しい力を持って周囲に存在していた訓戒者の魔力をかき消す。
いきなりの静寂……あまりに唐突な魔力の消滅に欲する者は目を見開き、クリストフェルとユルは金色の結界に守られたまま唖然とした表情を浮かべた。
「な……突然魔力が……」
「何が……起きて……」
クリストフェルとユルが静まり返り、魔法陣の輝きで照らされる講堂を見回していると、突然ズンッ! という凄まじい音と共に周囲の地面が砕け始める。
原始の海を召喚するための魔法陣……この設置を行なったのは訓戒者の筆頭であった闇征く者である。
彼はこの魔法陣を設計した際に幾つかの条件付けを行なっており、その条件の一つにこの場所において莫大な魔力を放出するものに向けて、強制的に魔法陣が発動するという罠を仕掛けたのだ。
ただこの罠は条件付けが難しく、彼はその場で最も魔力を強く放出したもの、という限定した条件付けを行わなければいけなかった……シャルロッタのような強大な魔力を持つものであれば、気がつかずにその場で大魔法を行使してしまうだろう。
だが、今その場で最も強大な魔力を放出していたのは欲する者だった……そして彼女はその罠の存在を知ることはなかった、仲間にすら知らせないことで情報が漏れるのを阻止するためだったと考えられる。
それ故にさらに魔力を放出してしまった彼女に向けて、恐るべき罠が発動する……彼女の足元が突然ぬかるんだ泥濘へと変化した。
「……は? あ……? これは……ッ!」
間の抜けた声を上げながら、発動した魔法陣の罠により欲する者の下半身が床へとずるりと沈み込む。
泥濘は原始の海そのものであり、沈み込んだ彼女の肉体はゆっくりと溶け出し、痛みすら感じないまま訓戒者の肉体が次第に崩れ始めた。
驚きの表情を浮かべたまま、欲する者の顔が溶解を始め、白い骨が剥き出しになっていく……自分が仲間の仕掛けた罠、それも知らされていないものにかかってしまったという事実に驚きながらも、歪んだ笑みを浮かべ、彼女はクリストフェル達に向かって叫んだ。
「クフハハハッ! だが原始の海はこの世に解き放たれる……先に海の中で待つとしよう……フヒハハハッ!」
_(:3 」∠)_ 最終兵器いきなり発動ッ!
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