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第三五四話 シャルロッタ 一六歳 魔王 〇四

「まずい……シャルの足枷になってしまっている……」


 クリストフェル・マルムスティーンは必死に防御結界を展開して魔王トライトーンによる混沌魔法へと争うシャルロッタを見て焦りを隠しきれなかった。

 幻獣ガルム族のユルも、クリストフェルを守るために必死で魔力を振り絞っている……では、自分は何をしている?

 自分だけが何もできていない……魔王とシャルロッタの攻防を見て、自分がそこへと入れるとは思えなかった、それ故に前に出れなかった。

 あそこに入ったら確実に死ぬと本能的に恐怖を覚えたためだ……だが、そのために今孤立しているシャルロッタは生命の危機にさらされている。

 生命力を魔力に転換する……人間には到底思いつけない行為だ、それが命を削る危険な行為だと本能的に魂が理解している。

「……僕だけが、僕だけが守られている……そんなことは……」


「こ、婚約者殿……ッ! 動いてはいけません……ッ!」


「ユ、ユル……僕は何ができる……!」


「今は……むずか……グウウウッ!」

 ユルは必死に防御結界を展開し魔力を注ぎ込む……その辛さは表情を見てもわかる、元々幻獣ガルムは人間よりも魔力量において優れている。

 幻獣という生命そのものが圧倒的に優れた存在であるという言い方もできるだろうが、それでも魔王トライトーンという異次元の存在が放つ混沌魔法の前に息は荒く、必死に争うだけしかできていない。

 それ以上の黒い腕に取り囲まれたシャルロッタは凄まじい圧力を前に必死に抵抗を続けている……それがどれだけ彼女の生命力を消滅させてしまうのだろうか?


『——今何かできないと確実に彼女が死ぬ』


 クリストフェルにとって、心より愛する存在であるシャルロッタを失う可能性というのは耐え難い苦痛のように感じる。

 彼女と初めて出会ったのは一三歳、魔導列車から降りてきた時の衝撃は忘れられない……一目惚れ、というにはあまりに強い印象をシャルロッタは彼の心に焼き付けた。

 王都にいればいくらでも美しい女性というのは多くいる、それこそ自身の母親も美しく荘厳な雰囲気を漂わせる王族に相応しい女性だったし、彼の身の回りを世話する侍女や侍従として付き従っていたマリアンも庶民出身とは思えないほど美しい。

 彼の婚約者候補として紹介されたソフィーヤ・ハルフォードも性格は抜きにしても外見は非常に整っていたし、友人として付き合っていたプリムローズ・ホワイトスネイクも美女と呼ぶに相応しい人物だ。

 だが、シャルロッタ・インテリペリという女性は、それらを凌ぐほど美しく、人を惹きつける圧倒的な魅力を放っていた。

「……僕は……シャルを助けたい……力を、力が欲しい……ッ!」


「こ、婚約者……どの……結界の外に出ては……!」


「彼女が死ぬかもしれないのに、見ているだけの男に勇者を名乗る資格なんてない……」

 クリストフェルの心に小さな火が灯る……それは次第に大きく、強く、そして激しく燃え盛り炎とかして彼の全身を包み込むように荒れ狂い、そして彼は絶対なる死の淵へと踏み出そうとしていた。

 そんな中、彼はふと幼い頃の記憶を思い出す……死を前にした走馬灯だったのだろうか?

 子供の頃に世話をしてくれた老婆に読んでもらった一冊の本があった……あの老婆は気がついた時には城からいなくなり、その後の行方は全くわからなかったが彼女は不思議な物語を読んで聞かせてくれていた。

 成長した後に城の書庫から同じ本を見つけ出そうと探し回ったのだが、不思議なことにクリストフェルはあの本を見つけられなかった。

 元々そんな本などなかったのではないか? と言われたが、ではあの記憶はなんだったのだろうか? 今でもはっきりとその老婆の語った内容を一字一句思い出せるのだ。


『これは遠い、遠い世界のお話……一人の若者が挫折を乗り越え、そして世界を滅ぼそうという邪悪と戦い賞記すお話です……』


 若者は貧しい農民の子として生まれた……必死に子供の頃から働いて、辛く厳しい生活を送っていたが、優しい幼馴染や周りの人に助けられ、一生懸命に一日を過ごすそんな毎日を過ごしていた。

 ある日村は世界を滅ぼそうとする邪悪、魔王の軍勢に襲われる……なぜそんなことをされたのか、若者には理解ができなかったが、彼は親も幼馴染も全て失い、命からがら逃げ出す。

 必死に逃げ延びた別の街で、農民の子だった彼は食う術を持たず飢えて死ぬのを待つだけとなった……だが彼は運が良かった。

 飢えて死ぬのを待つだけの彼を偶然だろうか? いや女神の手が救いの手をもたらした……倒れていた若者を一人の男が見つけ、介抱してくれたのだ。


『……男は英雄と呼ばれるものでした、魔王の手先と戦い、傷つきながらも必死に争うそんな勇気あるもの……』


 若者は救われたことに感謝しつつも男に魔王と戦うための術を教えてくれと頼み込む……男はそんな若者の勇気に何かを感じ、彼が培った技を、魔法を教え始める。

 真綿が水を吸うように若者は成長し、ついには英雄と共に魔王の手先と戦うようになるが、志なかばで英雄は卑劣な罠に陥り命を落とした。

 英雄の志を継いだ若者は自らの技を鍛え、仲間を見つけ……そして自ら魔王の手先を滅ぼして回ると、最後に魔王の元へと辿り着くことに成功する。

 魔王と若者は必死に争い、ついには魔王の胸に若者は剣を突き立て、勝利を確信する……だが魔王は最後の力を振り絞り、若者諸共滅びを選び仲間の見守る中若者は命を落とす。


『……若者は女神に愛され、そして大切にされていました……彼の魂は翡翠(カワセミ)のように自由に空を飛び、そして美しい宝石のように今も愛されています』


 あの話……最初の勇者であるスコット・アンスラックス子爵のことを謳った話だと考えていた……だが、アンスラックスは元々下級の貴族出身であり、話の若者とは生まれが異なり整合性が取れないとずっと思っていたのだ。

 もしかしたら……あの話は別世界、女神が愛する双子の片割れである異世界レーヴェンティオラの勇者のことを話したものではなかっただろうか?

 シャルロッタ・インテリペリ……レーヴェンティオラの元勇者であると聞かされた時に、もしかして……と思った。

 物語は長い年月を経て大きく変質することがある、アンスラックスの伝説もどこまでが本当のことかわかりはしない、だが……今シャルロッタというかけがえのない女性のために自分は何ができるのだろうか?

『……どうしても必要な時は勇気を振り絞り、私の名前を呼んでください……』


「……クエネムンド……そうだ、クエネムンド……それがあの時の名前……あなたは女神だったのか!!」

 クリストフェルがその名前を叫んだと同時に、全ての時が止まる……魔王トライトーンの下卑た笑みも、苦しそうに歯を食いしばるシャルロッタも、同じようにクリストフェルを守ろうとして力を振り絞るユルも……そして防御結界を侵食しようとする漆黒の腕も全てがまるで人形のようにぴたりと動きを止めた。

 なんだこれは……とクリストフェルが驚きで声が出なくなっていると、彼の目の前に光の粒子が粒となって舞い、そしてそれは次第に人の形へと変化していった。

 じっとそれを見つめていると、光の粒子が一際強く輝き彼が思わず目を瞑ってその眩しさに耐えると、急速にその光が落ち着きを取り戻し、彼はゆっくりと目を開ける。

「……ようやく名前を呼びましたねえ……前の時は忘れちゃったのかと思って残念でしたよ、まあいいタイミングで呼んでくれましたけど」


「あなたは……あの時の……」

 クリストフェルの目の前には子供の頃彼に冒険譚を読み聞かせたしわくちゃの老婆が微笑みながら立っている……だがその声は以前彼の前に姿を現した時のように甘美で心ひかれる魅惑的な若い女性の声に聞こえた。

 彼はゆっくりと老婆の前に膝をつく……いくら探しても見つからないわけだ、神そのものを探そうとする行為そのものなのだから。

 首を垂れたクリストフェルへと音もなく近づいた老婆はそっと彼の肩へと手を置く……彼が顔を上げると、そこには老婆ではなく形容し難い絶世の美女が……金色の髪に金色の瞳を持つ若い女性が立って微笑んでいた。

 女神クエネムンド……いや女神の真の名前は畏れ多いとされて聖教では封印されたため、一般的には女神とだけ呼称されており、地方によって呼び名はまるで違うものになっている。

 真の名前を知るものはすでに過去の中へと消え去り、誰もその本当の名前を知ることはなく誰もがクエネムンドの名前を口に出すことはなかったのだ。

「私の愛する世界マルヴァースの勇者クリストフェル、力を欲しましたね? さて理由を聞きましょうか」


「……はい、僕は彼女を助けたい……シャルが死ぬのを見るだけなんて僕にはできない……」


「いやー、随分メロメロですね……あ、ゲホゲホ……失礼、気持ちはよーくわかりましたよ、クリストフェル。あなたに私の祝福を授けましょう」

 なぜかクエネムンドは咳払いをすると急に真面目な表情を浮かべ、クリストフェルの額にそっと美しい白磁のような滑らかさを持つ指を押し当てる。

 指先に光が灯るのと同時にほのかな暖かさが感じられ、クリストフェルは思わず目を見開く……まるで強い力が体に流れ込むように、全身にその暖かさが一気に広がっていく。

 それは魔力となってクリストフェルの指先に至るまで満たされ、まるで自らが違う存在になったかのように力が込められていく。

「これは……」


「祝福ですよ、暗黒の海を渡るための……世界と世界を結ぶ混沌の大海原は定命の人間には耐えられません、ですが私の力があれば……」


「……シャルを救えるんですね?」


「ええ、多分……確実なことは言えないですけど、それと()……いや()()はかなり弱っています……助けてあげてください、やり方は任せますよ」

 女神はそのまま光の粒子となって消えようとしていく……それと同時に次第に周囲の音が、ユルの振り絞る魔力が、軋む防御結界がそして魔王トライトーンの声が響き始める。

 クリストフェルは時が元に戻ろうというする中、一人拳を握りしめて頷く……今確かに女神は彼女を助けろと言った。

 この力を彼女の元へと届けて共に力を合わせる……クリストフェルの瞳に勇気の炎が灯り、彼は結界の淵へと手をかけると一気に前へと踏み出した。


「今、助ける……シャル!!!!」

_(:3 」∠)_ この話マジで難産だった……


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