第三五一話 シャルロッタ 一六歳 魔王 〇一
『ここからは我の真の姿を見せるとしようぞ……』
魔王トライトーンの腫瘍を思わせる不気味な体が不規則な形にボコボコと膨らみ、その姿を大きく変貌させていく。
やはり最初の姿は擬態か……複数ある黄金の瞳も、いやらしく歪んだ複数の口もそれらは全て本当の姿を隠すためだけに作られたものだ。
わたくしとクリスはお互い寄り添ったままじっとその様子を見つめている……彼の手が軽く震えているような気がして、ふとこの勇者……そう、彼の勇気と才能はそれを名乗るのに相応しい、只々彼に足りないのは圧倒的な戦闘経験だけであり、それは何年も積み上げて初めて得られるものだ。
その意味ではわたくしとクリスの間には恐ろしいまでの差が広がっているのだが、それは研鑽の結果でしかないので、おそらく同じような経験を積めば彼とわたくしの差は驚くほど縮まるだろう。
わたくしが彼の手を優しくそっと握ると、クリスは少し驚いたような顔をしてわたくしを見るが……彼を落ち着かせるために優しく微笑んで彼にそっと言葉をかけた。
「大丈夫ですよ、わたくしがいますから……」
「……そうだったね……すまない、気配に飲まれてたようだ」
「勇者も人間ですわ、心を強く持ってくださいまし」
そう……わたくしもそうだけど人間であることの軛はずっと感じていて、いくら肉体を瞬時に修復しようが、腕を吹き飛ばされても生きていようが、やはりそもそもの肉体は人間でしかない。
心の動きは人間なのでどうしても怒りや愛情、恐れや哀れみなどといった感情に左右されてしまう……それゆえに勇者も間違いを犯すし、堕落をすることだってある。
それでもまっすぐ、自分と女神が定める正義を執行するためにわたくしたちは常に歩みをやめない存在なのだ。
彼がわたくしの手を握る力が少しだけ強くなった気がする……魔王トライトーンの体が一段と大きく、そして不規則に膨れ上がったからだ。
「形を変えて……ッ!」
『グハハッ……訓戒者どもはずいぶんと魂を溜め込んでいたようだ……素晴らしい』
「魔力が……なんて大きさに……しかもこれは……」
膨れ上がった腫瘍はその許容限界を超えたのか突然ドパンッ! という音を立てて粘液となって床へと溶け出しその中心に身長二メートル程度の人間に酷似した姿が現れる。
それはまるで魔王と呼ぶにはあまりに違和感を感じさせる奇妙な姿だった。
その灰色の肉体は筋骨隆々であり、彫刻のように均整の取れた美しさを持っている……だが漆黒の髪の中には冠のように巨大な二本の角が突き出しており、整った顔立ちだが爛々と輝く金色の瞳はまるで山羊のそれを思わせるようにぐりぐりと動き、そして興味深そうに自らの作り出した肉体を眺めている。
口元には大きな牙が覗いており、まるで獰猛な肉食獣のような鋭さを持っていて、白磁のような滑らかさを感じさせた。
『……これはこれは……随分と人間らしい姿に……』
「魔王……? これが……?」
魔王トライトーンを見るクリスの表情が驚きに包まれているのがわかる……かく言うわたくしも正直いえば混乱している。
これではまるで人間ではないか……肌の色や角、そして瞳の形などを見れば魔王トライトーンが決して人間ではない、と言うことは理解できる。
全裸であるにもにもかかわらずあるべきところにあるべきものがない、とかよく見れば脚の形は逆関節状に曲がっているなど、造形は決して人に酷似していなかったりもするわけで。
そうやってよく見ればひどい違和感を感じる外見ではあるはずなのだ、だがその外見が完璧すぎるまでに完璧な肉体や、全体がその形で調和していることなどから、わたくし達の認識に美しさを感じさせてしまう特殊な権能を持っているのかもしれない。
ただ背が高いだけで弱そうにすら見える、むしろ筋肉質で非常に強靭な肉体の割に、どうしてだか簡単に殺せそうな印象すら持つのだ。
「……これはどう言うことだ……」
「認識が狂わされている……? 混沌の力か……!」
『……ふむ……勇者の瞳にすら欺瞞情報を伝えられる能力……これはターベンディッシュの諸相だな』
混沌神ターベンディッシュ……魔法と秘密を司る混沌の神であり、四神の中でも最も秘密主義を信奉し、本来であれば誰もが知るべき秘密を奪い取り、自らの腹へと仕舞い込むと言う悪癖を有する神である。
堕落した魔法使いが信奉することでも知られ、強大なる魔力とその隠された知識を使って混沌の眷属へと魔法の力を下賜しているとされている。
つまり今魔王の姿を美しい、弱々しいと錯覚しているその力そのものが混沌神の権能を操っている証拠とでも言うのだろうか。
そこまで気がつくとわたくしとクリスの瞳にほぼ同時に凄まじい激痛が走り、わたくし達は思わず目を押さえるが、視界のあちこちにノイズのようなものが走ったかと思うと、その力が晴れていく。
「う、あ……ッ! 目が……!」
「勇者の瞳に負荷が……ッ!」
わたくし達が何度か目を擦ってその痛みが和らぐのを待った後、再び魔王へと視線を向けたときにその場に立っている存在は先ほどとは大きく違った恐るべき魔力を噴出し続ける、灰色の巨人の姿が認識できた。
姿は変わっていないが先ほどまで弱々しく感じる奇妙な感覚は消え失せ、そこに立つ魔王の姿は恐怖と、狂気と、そして恐るべき威圧感に満ちた凶悪な存在感を放っていた。
こちらがその強力な幻覚を脱しているとわかったのだろう、魔王トライトーンは口元を歪めて笑うと、大きく天を仰ぎ見るように両腕を広げる。
それに呼応するように彼の背中には漆黒の翼が四枚ずるずると音を立てて出現していく……一度大きく翼を羽ばたかせると、ふわりと宙へと浮かび上がった魔王は、わたくし達を見つめて口元を歪めた。
『グフフッ……まずはこの姿でお相手しよう……マルヴァースの勇者クリストフェル・マルムスティーン、そしてレーヴェンティオラの救世主にして勇者シャルロッタ・インテリペリ』
「レーヴェンティオラ? それは創世の物語に出てくる対の世界か?」
「……ええ、もう一つの世界そしてわたくしが元々いた場所……」
わたくしの呟きに少し驚いたような表情を浮かべたクリスだったが、わたくしが魔王トライトーンの姿をじっと見つめたまま表情を変えなかったことで、それが事実だと理解したのか小声で「そうか」とだけ呟くと、剣を構えてわたくしの隣へと並んだ。
レーヴェンティオラとマルヴァース……創世の物語に女神が作った二つの世界、そしてその名前についてはほんの少しだけ記載があるだけだ。
ちなみに前世の勇者ライン時代にはマルヴァースの知識は全然なかった、なぜならレーヴェンティオラは完全に滅びかけており、神話の記録などは徐々に失われつつあって、創世神話の物語など幾重にも改変されてしまい、原型を留めていなかったからだ。
だがマルヴァースは前の世界ほど荒廃していなかったため、様々な物語や口伝が残ってきている……それ故クリスがそういった単語を知っていてもおかしくはなかったわけだ。
「……君が強いのはそういうことか、ようやく理解したよ……」
「も、申し訳ありません……わたくし貴方にずっと黙って……」
「大丈夫、僕が君を愛していることと、君の秘密がどうとかってあんまり関係ない……むしろ僕は君がマルヴァースにいてくれてよかった」
謝ろうとしたわたくしへとクリスは視線を向けずに手のひらだけを向けて、必要ないというジェスチャーを見せた。
それと共にしれっと伝えられる言葉に、すぐには反応できなかったものの言葉の意味を考え直して思わず頬が熱くなる……いやいや今はそんなことを考えている場合じゃない。
すぐに意識を切り替えたわたくしを見た魔王トライトーンはニヤリと口元を歪めるとともに、虚空より巨大な刃を持つ黄金の剣を取り出した。
それは陽の光に照らされると、まるで神の得物であるかのように神々しく光り輝いているのがわかる……神の持つ武器に近しい存在。
「……黄金の剣……しかも先が別れた二又の形状……」
『然り、遥か過去人類含む種族が地べたを這う獣と同じ存在であった頃に作られた神の剣……これを人は神剣と呼ぶであろう』
魔王トライトーンの持つ神剣は黄金に輝く一本の大剣である、それを彼は片手で所持しておりそれだけでも恐ろしい膂力であるが、問題なのはその剣の先がまるで蛇の舌のように二又に別れていることである。
装飾として作られていると考えて良いだろうが、その形に沿って剣は大きく広がっており、とてもではないけど振り回すのは人間には不可能なサイズになってしまっている。
だが見た目以上にその剣が纏う雰囲気と醸し出す力が、一度でも触れれば肉体を引き裂かれるであろうことは容易に想像できる。
「神剣ね……まるで神にでもなったかのようね?」
『グハハッ! さしずめ貴様らは神に罰せられる罪人の如く……神の怒りに触れた哀れな人間は地獄へと堕ちるのみ』
魔王トライトーンは口元を歪めて笑うとゴキゴキゴキメリッ! という音を立ててその肉体を多くく膨らませる……筋肉が今までの倍以上に膨れ上がると、彼はその手に持った神剣を大きく振りかぶり、そして恐るべき力で横凪に振った。
大きさから考えるとかなりの速度で迫る黄金の剣を前にわたくしは魔剣不滅を一度鞘に叩き込むと同時に腰をほんの少しだけ低く構え、魔力を込めた。
クリスはわたくしが何かをやろうとしているのに気がついたのか、すぐさまユルへと飛び乗ると一気に魔王の元へと飛び込んでいく。
「——我が白刃、切り裂けぬものなし」
「魔王ッ!」
『面白い……何をしようと言うのだクリストフェルとシャルロッタッ!』
魔王の懐へと飛び込んでいくクリスは、ユルの背中に捕まりながら腰に下げた名剣蜻蛉を引き抜くと、大きく剣を振りかぶった。
二人が別々に行動するのは予想外だったのか……表情がほんの少しだけ変わった魔王は、器用に片目をぐりぐりと動かしながら、彼に向かって片手でいくつかの魔法を放つ。
だがクリスを乗せたユルが恐るべき速度でその魔法による射撃を掻い潜り、距離を計りながら大きく迂回を始める。
わたくしの目の前には恐るべき大きさの神剣が迫るが……わたくしは一気に剣を引き抜くと共に剣戦闘術を放ってのけた。
「文字通り……神剣をぶった斬るのよッ! 三の秘剣……雨滴乃太刀ッ!」
_(:3 」∠)_ 分離作戦……!
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