第三四四話 シャルロッタ 一六歳 闇征く者 〇四
——勇者と魔王、二つの存在が邂逅する時……世界が終わる。
『……だが我の前に立ってなお、恐怖で逃げ出さぬのは素晴らしいことよ、兄とはまるで違うなぁ?』
マルヴァースの勇者クリストフェル・マルムスティーンの前に存在するアンダースの成れの果て、そしてその体を取り込んでいる黄金の瞳を持つ巨大な腫瘍の塊が魔王……いや正確には魔王として開花する前の存在のようなものだろうが、それがまるでビクビクと痙攣するように蠢く。
クリストフェルの覚醒した瞳……勇者の能力として目覚めているが、彼の目には目の前の巨大な腫瘍はまるで魔力を凝縮してもはやドス黒い何か、のようにすら思えてくる。
「兄上を……どうしたんだ!」
『……養分となっておるよ』
「……は?」
『お主の兄は我の養分となっておる……同化が進み我とアンダース・マルムスティーンはほぼ一体と化している』
その言葉に反応するかのように、腫瘍の中に半分埋没しているアンダースはゆっくりと目をひらく……その瞳はひどく濁り、昔の面影などすでにないようにすら思える。
しかし……瞳の中に僅かに残った光がクリストフェルの視線と合ったかと思うと、一筋だけ涙がポロリと溢れるのが見えた。
それはまだ残された彼の理性が成したものなのか、それとも全く別の感情を呼び起こされたのか……だが、血を分けた弟が見ている目の前で、アンダースだった何かはそのまま光を失い、腫瘍の中へとずぶずぶと沈んでいくのが見えた。
クリストフェルが飛び出そうとしたその瞬間、それまで恐怖と嫌悪感で動けなかった幻獣ガルムのユルが、彼を前に出さないようにと飛び出すと、腫瘍に向かって唸り声を上げた。
「婚約者殿……! もう無理です!」
「……兄上……ッ!」
『……ふむ……幻獣ガルムが我を認識しても逃げ出さないとは……どういうことだ?』
黄金の瞳が一斉にユルに集中したその瞬間、ユルがそれまでなんとか押さえ込んでいた恐怖心が一気に襲いかかってくるような感覚に見舞われ、思わず背中の毛を一斉に逆立てると悲鳴とも唸り声ともつかないそれまでに聞いたことのないような声をあげる。
だが……普通の幻獣であれば即座に逃げ出すような恐怖の中にあっても、ユルは逃げ出すことを選択しようとしない……それは魔王の認識からすると異常な行動にも見えた。
幻獣という存在は基本的には魔獣や動物に近い存在であり、本能的に圧倒的な存在を感知するとその場から逃げ出そうとするものが多い。
特に魔王という存在は混沌……この世界では邪悪なものとされているが、それを凝縮したような圧倒的な魔力の塊を目にして、逃げるという選択肢を取らない幻獣など存在しないのだ。
「……ぐ……はああっ……我は幻獣ガルム族のユル……辺境の翡翠姫と契約した唯一の存在だ……!」
「……ユ、ユル……! 大丈夫か?!」
「我の幻獣としての本能が目の前の存在に強い恐怖を感じています……! 圧倒的な存在、邪悪……こんな存在は初めてです……」
『……面白い、そこなガルムは勇者の器の従者ではないのだな……契約者……ふむ……』
魔王は何かを深く思考するかのように黄金の瞳を閉じると、深い深い息を吐くと瞑想するかのようにその身を揺らす……その深慮遠謀は人間のみであるクリストフェルには理解ができない。
何を考えているのか、何を想うのか……果たして人間と同じ思考をしているのかすらわからない。
ふと思い出した幼い頃に読んだ勇者の物語……一〇〇〇年前の魔王は世界を滅ぼすために混沌の軍勢をこの世界へと招き入れ、そして全世界を滅ぼすための大戦争を開始した。
人類はギリギリまでその生存権を脅かされ、最後に残った希望である勇者アンスラックスが立ち上がり、魔王とその軍勢に戦いを挑んでいった。
勇者を旗印に人類は反抗を開始する……混沌の軍勢との戦いの中で、英雄と呼ばれるものたちが生まれ、勇者と共に混沌を押し返していく。
数多くの国が勇者と共に戦い、魔王の軍勢は次第に劣勢になっていくとついに人類の前に魔王と呼ばれる存在が立ちはだかった。
『勇者よ、我は魔王……貴様と我の一騎討ちに似て世界の命運を決しようではないか』
その姿は形容し難い恐怖として語り継がれていたが、本にする際には流石にその姿では難しかったようで、今現在残っている古書の挿絵には大きな巨人のような姿で描かれていた。
イングウェイ王国だけでなく、この世界の人間であれば魔王とはイコール漆黒の肌を持ち、角を生やした邪悪な巨人だと認識している。
そして物語が進むと、魔王と勇者アンスラックスの戦いは激しさを増していく……英雄たちは勇者の側で戦い、そして傷つき……斃れていったが、それでも勇者は諦めずに魔王へと立ち向かい、そしてついに魔王の喉元に剣を突き立てることに成功したのだ。
『うおおおお……! 見事なり! だが勇者よ……我は魔王、決して破滅することはなく世界を混沌の虚無へと誘うために、我は再び蘇るであろう……!』
勇者に討たれた魔王はそう告げると、黒い汚泥となって崩れ落ちたとされ勇者はそれを持って魔王の討伐を宣言している。
勇者に関する古書はここまでで終わるのだが、その後勇者やその仲間、そして大陸の各国はお互いの領土を巡って争いを開始し、結果的には勇者自身も命を落とすという結果になっている。
それがクリストフェルが知っている勇者と魔王の物語……子供の頃に埃をかぶっていたその本を読んだ後、彼は勇者の器として認定されることになった。
ずっと勇者の器であるという言葉を重責のように感じていたが、それも今では感じない……隣に立つ強い女性がいるからだ。
「……魔王がこんな肉塊だとは思わなかった……」
『……ん? そうかそうか人の言葉ではこの姿は理解できぬであろうよ……だがこれはあくまでも繭と似たようなものだ、時が来れば真の姿を見せることもあろうよ』
「真の姿ね……そんなもの見る前に倒して見せるッ!」
勇者としての本能なのか、それとも恐怖を振り払うためなのかクリストフェルは次第に恐怖で硬直し始めるユルを押し退けると、一気に前に出る。
その手に握られている虹色の刀身を持つ名剣蜻蛉は、魔道ランプの淡い光に照らされて不可思議な光を放つが、それを見た魔王の瞳が興味深げに開かれる。
クリストフェルは裂帛の気合いと共に魔王へと踊りかかったが、まるで魔力による防御結界が展開されたようにその身に触れることなく一撃は弾かれてしまう。
「くそっ……!」
『……興味深い……勇者アンスラックスの仲間が持っていた美しい刀剣……ふむ、興味深い……』
「なんのことだ……!」
魔王の瞳はクリストフェルの手に握られている蜻蛉へと注がれており、その瞳にはまるで懐かしいものを見るかのような心地よさのようなものが漂っている。
蜻蛉は王家に伝わる刀剣……虹色の刀身を持ち、淡く輝くとされており勇者アンスラックスが所持していた、とされていた。
だが魔王の言葉を信じるのであれば、仲間の所持していたもの……どうして勇者の所持したものとして伝わったのかはわからないが、確実に目の前にいる肉塊は一〇〇〇年の時を超えて蘇った魔王そのものなのかもしれない。
魔王はブルブルと身を震わせると、剣を構えるクリストフェルへと黄金の瞳を向けて、にい、と笑うと彼に向かって語りかけた。
『……それでは問おう……我は魔王トライトーン……勇者よ、我と手を結び世界の半分を手に入れる気はあるか?』
「神滅魔法、聖なる七海ッ!」
「混沌魔法血塗れの楽園」
俺と闇征く者が同時に魔法を発動させるとともに、領域の押し合いが始まる……天界の大渦と渦巻く血液が衝突すると共に、周囲の構造物を震わせていく。
圧倒的とも言える質量だが、双方の魔法で召喚された大渦は双方の莫大な魔力量が示すかのように、押し合いを続け、そして次第に領域そのものがその圧力に耐えきれなかったかのように、幾つもの光の粒子となって対消滅を開始する。
一瞬遅れて双方の魔力が弾け飛ぶが、それを見ていた俺の目の前から闇征く者の姿が消える。
「……どこへ……あッ!」
「よそ見はいかんなぁ?」
衝撃と共に俺の腹から黒い刀身が突き出した……少し遅れて凄まじく熱い何かが肉を割き、内臓を引き裂く形容しようのない凄まじい痛みが身体を包み込む。
ほんの一瞬だったはずなのに、魔法を放った後にあれだけの速度で動けるとは……だが、俺の肉体に剣を突き立てたということはお互いの攻撃が届く距離にいるということだ。
俺はその黒い刀身を素手で掴む……魔力を集中させ指が落ちないように強化しているが、それでも魔剣の放つ漆黒の魔力が肌を引き裂き、血が飛び散る。
そのまま刃を引こうとした闇征く者だったが、まるでびくともしないことに驚いたのか、思わず息を呑んだ。
「……ぬ? これは……うがああっ!!」
「捕まえた……ぁ♡」
そのまま俺は全力の肘打ちを背後にいる闇征く者へと叩き込む……ドゴン、という鈍い音と共に訓戒者の腹部に突き刺さった。
背後にいるためにその姿は捉えられないが、手応えは十分……そしてチラリと視線を動かした時に見えたのは、鳥を模した仮面の開いた嘴から、どろりとドス黒い液体、おそらく血液だろうがそれが地面へとぼたぼたと落ちるのが見えた。
血液が流れる生命なのであれば……確実に殺せる、俺は痛みに耐えながら、自らの肉体に突き刺さった刃を軽く押して引き抜くと、そのまま肉体を修復していく。
「……さあ、殺し合おうぜ混沌の眷属サマよ……俺がお前をぶっ殺して魔王そのものも滅ぼしてやる」
_(:3 」∠)_ あれ? 初めて攻撃当たった?
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