第三三五話 シャルロッタ 一六歳 序曲 〇五
「……あれでよろしかったので?」
「なんのことだ?」
隣を歩くクリストフェルへと少し心配そうな表情を浮かべて見上げる幻獣ガルム族のユルは、逡巡しつつも思い切って彼へと話しかける。
ユルはシャルロッタの侍女頭であるマーサより貴族や王族の在り方というものを聞いたことがあり、特に王族は子孫を残すことも責務の一つであり、愛妾や側室などを持つケースが多いと聞かされている。
現在のクレメント・インテリペリ辺境伯においても愛妾は少なからず存在しており、表舞台には決して出てこないが血縁であることを利用して各分野で活躍しているという。
シャルロッタ自身にそのことを聞くと「貴族ってそう言うものらしい」という返答をもらったこともあり、おそらくマリアン・ドナテロを側室もしくは愛妾にしても彼女は文句を言わないと思うのだ。
「シャルなら彼女を妾にしても文句を言いませんよ」
「……それは僕の気持ちと違うよ」
「不可抗力ってのもあると思いますし、生物は子孫を残すことが欲求としてありますからね」
「……わかってるよ」
ユルの放った言葉にクリストフェルは軽い舌打ちをしてから目を背ける……彼がこのような態度をとるのは珍しいが、横を歩くガルムの性格を理解している故に怒りは全く湧かない。
マリアンがずっとクリストフェルへと恋慕の情を抱いているのは彼もちゃんと理解していたが、ずっと幼い頃から友人として付き合っていた彼女を性的な対象として見ることはできなかった。
しかし……悪魔の囁きは彼の奥底に眠っていたであろう、マリアンを欲望のままに弄ぶと言う自分ですら気が付かなかった欲望を曝け出したのだ。
クリストフェルはその欲望に気がついた時に、マリアンを単なる友人として見れなくなりつつあったのだ……それに気がついたからこそ、ひどく不機嫌で動揺すらしている。
「……僕はシャル以外を愛せない、そう思ってたんだ」
「まあ、そう仰られてましたな」
「……でも父や兄と一緒だったな……マリアンをそういう対象として見てしまった、悪魔はそれにつけ込んだってことか」
おそらく彼は今後マリアンが側にいる時に、いつものように声をかけられた時に、二人きりで政務を行う際に、どうしても先の出来事を意識をしてしまうに違いない。
元の友人関係にはどうやっても戻れそうにない……だからこそクリストフェルの代わりに、ヴィクターがマリアンへとその気持ちを伝え、自分の欲望から彼女を守って欲しいとさえ思ってしまっている。
思考の海に沈み込んでしまったクリストフェルを見上げながら、ユルはこういう時にシャルロッタであればどう声をかけるのだろうと考え始めた。
彼の契約者であるシャルロッタ本人は恋愛観や思慕といった感情をあまり表に出したりしない人間である。
貴族令嬢とのお茶会に呼ばれた際に、彼女たちの話題は恋愛や憧れの存在についての話題を中心にしているが、シャルロッタはそういう時は黙って微笑んでいることが多い。
少し歪な存在……クリストフェルも高潔であろうとして少し変わっているが、シャルロッタも貴族令嬢としては奇妙な存在であるな、とユルは思った。
「悪魔は心の隙間に食い込んで無理やり広げて歪めます、だからそこまで気に病むことは……婚約者殿」
「……ああ、僕も気がついた」
クリストフェルが腰の剣へと手を伸ばしたのと、ユルが匂いに気がついて唸り声を上げ始めたのはほぼ同時……その行動を見て、奇襲が難しいと判断したのか暗闇の中からずるり、ずるりと引きずるような音を立てて肉塊にしか見えない何かが姿を現す。
ヌメヌメとした外皮にはいくつもの腫瘍がぶら下がった、肉塊に手足をつけたような醜い怪物……悪魔がその姿を現す。
ユルはその形状からディムトゥリアの眷属である死病の悪魔であることに気がついたため、瞬時に周囲へ魔力による防御結界を展開した。
「死病の悪魔です、婚約者殿気をつけてください」
「ケヒヒッ! ワシの名はスキアザン……ディムトゥリア神の眷属たる存在」
「……ひどい匂いだな……」
スキアザンの身体中に生えている腫瘍は脈打っており、時折その皮膚が破れてドロリとした緑色の体液を噴出するのだが、その度にこの世の悪臭という悪臭を煮詰めたようなひどい匂いがあたりへと撒き散らされており、そのひどい匂いにクリストフェルは思わず咳き込む。
腰に下げていた名剣蜻蛉を引き抜くとクリストフェルは先ほど前のモヤモヤをぶつけるかのように一気に前に出る。
鋭い閃光とともに彼は横凪に剣を振ると、その鋭い一撃に対応しきれないのかスキアザンは腫瘍の一つを切り裂かれて、よたよたと後方へと鈍重そうな肉体を後退させる。
「クヒャアッ!」
「外した……?! く、くそ……ひどい匂いだ」
「破滅の炎ッ!」
切り裂かれた腫瘍はどぱっ、という鈍い音を立てて内容物を吹き出した後急速に縮小するが死病の悪魔の肉体は強力な再生能力とともに再び新しい腫瘍を出現させる。
間髪入れずにユルがその口元から稲妻状の炎をスキアザンに向かって放つ……契約者であるシャルロッタが愛用する炎系魔法の一つではあるが、炎を操るガルムにとっても馴染み深い魔法の一つである。
幾重にも伸びた稲妻状の炎が悪魔の肉体を貫く……この魔法は炎を放つが、人の肉体程度であれば容易に貫き内部から爆発するという特性を持っており、スキアザンの腫瘍がいくつも連鎖的に爆発すると、周囲に緑色の飛沫が撒き散らされる。
「……ケヒヒッ!」
「……? ユル、こいつは……!」
「……し、しまった……!」
飛沫は瞬時に蒸発して煙となって消えていくが、その際に周囲に異臭とともに特殊な効果をまき散らした。
軽く吸い込んだクリストフェルはぐらりと視界が歪むのを感じ、立っていられなくなると片膝をついて口元を押さえた。
だが微量ながら魔力による防御結界を通り抜けた飛沫は彼の肉体に強い影響を及ぼす……視界がぼんやりとぼやけると上下感覚が失われたのか、急に周りの風景がぐるぐると回る。
平衡感覚に干渉し異常を起こす飛沫……これは効果としてはそれほど強くないが、特に接近戦を好む敵を狩るために死病の悪魔が使用する状態異常の権能である。
同様にユルの肉体にも強い影響が出ている……幻獣ガルムの尻尾に灯った炎が次第に小さくなると、大きな体は金縛りにあったかのようにどすん、と横向きに倒れた。
「ユ、ユル……!」
「……ぐ、迂闊……体が言うことを……」
ユルに与えられた状態異常効果は麻痺……同じ匂いの飛沫ながら対象によって効果が変わるのはディムトゥリアの眷属ならではと言える。
スキアザンは再び腫瘍を生やすとその細すぎる腕でまるで喜ぶように拍手をしながら大きすぎる口で笑う……その姿はどことなく滑稽なものではあるが、だがそれゆえに外見では想像もつかないほどの強さや異常さを物語っている。
クリストフェルはグラグラと揺れる視界が少しおさまったことに気づくと、蜻蛉を構え直すと未だ状態異常の影響を受けてふらつく体を叱咤して立ち上がった。
「……悪魔め……!」
「ケヒヒッ!? 人間ではワシ、殺せない!」
スキアザンはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながらクリストフェルとの距離をジリジリと詰めていく……悪魔の放つ状態異常の権能は相手を確実に仕留めるための罠のようなものだ。
彼らは弱りきって動けなくなった対象をその細い腕や、大きすぎる口に生えた異臭を放つ歯によって食いちぎることもできる。
最も好むのは相手が弱って死を迎えるまで苦しむことではあるが、おそらくスキアザンは別の命令を受けている故に苦しめることはしない、確実に仕留めにくるだろう。
クリストフェルは背後で横たわっているユルに意識を向ける……幾度かの覚醒によって彼の感覚は鋭く研ぎ澄まされ、魔力の流れを視界に捉えることができるようになっている。
「……いくぞッ! おおおおっ!」
「ケヒヒッ!」
クリストフェルが駆け出すと同時に、その鈍重そうな見た目とは裏腹に恐ろしく素早く前に出るスキアザン……だがそれを予想していたのか、クリストフェルは蜻蛉を構えて間合に入り込むと同時に、剣を立てたまま体を滑らせるように地面に這わせる。
突然視界から消えた彼の行動に驚いたスキアザンの意識が一瞬彼に向く……死病の悪魔の肉体は恐ろしく俊敏に動けるが、非常に体重が重く急激な方向転換にはついていけない。
クリストフェルはそのまま滑る勢いを使って悪魔の肉体を一気に切り裂く……だが踏ん張りの効かない攻撃では浅く肉を削ぐ程度の効果でしかない。
スキアザンはすぐに後背へと移動した金髪の王子へと向き直る……だが、その一瞬の隙があれば十分だった。
「バカが……こちらは二人、しかもそこらの魔物なら蒸発させることのできる魔法持ちだ」
「ケ、ケヒッ!?」
「紅の爆光」
すでに起き上がっていたユルの口から爆炎が撒き散らされる……ゴオオオッ! と言う凄まじい音とともに死病の悪魔の肉体が炎に包まれる。
だがその一撃だけでは混沌神の眷属は即死しない……肉を焼き焦がす嫌な匂いを立てながらも幻獣ガルムへと一撃を入れるために再び方向を変えたスキアザンの背中へ、クリストフェルの一撃が叩き込まれる。
肉を切り裂きめり込んでいく手応えの先に、悪魔の中心たる核に切先が触れた瞬間、一瞬身を震わせた死病の悪魔の肉体が溶け落ちていく。
クリストフェルはその魔力の流れを見切り、スキアザンの生命をつなぐ核の位置に寸分違わぬ一撃を叩き込んで見せた。
悲鳴もあげる間も無く溶け落ち消滅していくスキアザンを見ながらクリストフェルはほっと息を吐いた。
「……いくら悩んでるとはいえ、この程度で僕は死なないぞ……まだやらなきゃいけないことがたくさん残っているのだから」
_(:3 」∠)_ 急につよく……(まあちゃんと強い王子様なので)
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