第三一九話 シャルロッタ 一六歳 地下水路 〇九
——イングウェイ王国の王都の中心に聳え立つ王城……その歴史は古く完成から七〇〇年近くが経過した王国内でも最古に近い建造物である。
「……さて歴史を勉強しようか、まずこのイングウェイ王国の拡大に寄与したのは勇者アンスラックスだ」
鳥を模した仮面、漆黒のローブに身を纏った一人の男……訓戒者の筆頭にしてリーダーである闇征く者は至高の玉座に座らされているアンダース・マルムスティーンに向かって話しかけた。
アンダースはその言葉など耳に入らないかのように、焦点の合わない瞳を謁見の間の空間へと向けているが、その姿は明らかに何らかの魔法による影響を受けているようにも見えた。
闇征く者はアンダースへと歩み寄ると、懐から小さな皮袋を取り出すと、そこから伸びた管の先にある小さな針を国王代理の腕へと差し込む。
痛みもすでに感じていないのか、その行動にも気がついていないかのようにアンダースは左右にフラフラと頭を振っており、口は何かをつぶやくようにモゴモゴと動いている。
「アンスラックスは魔王様を倒した……そう、倒したのだよ国王代理……クフフッ! 人の身にして魔王を倒す器……どうしてそれがあそこまで弱体化したのか、理解ができない」
「う、あ……ああ……」
「……ああ、すまない痛みを感じたか? さて続きだ……倒されたはずの魔王様は滅びなかった……滅びとは我々混沌の眷属の概念になくてね、まあ……訓戒者のように滅びをプログラムされているものもいるのだが」
それまで冷静かつ冷淡であったはずの訓戒者は機嫌がいいのか、笑いを漏らしながら革袋を玉座から伸びる柱へとくくりつける。
管は半透明のものだったが、皮袋から次第に何らかの液体がじわじわとアンダースの腕に向かって伸びていく……だが彼は全く反応すらしない。
そんな彼の顔を満足そうに見つめると、闇征く者は手のひらから何かをこぼすような動作を見せると、何もなかったはずの場所からまるで染み出すようにずるり……と腫瘍とも肉塊ともつかない脈動する組織が地面へと鈍い音を立ててこぼれ落ちた。
「だが勇者との戦いにおいて魔王様は肉体を失ってしまった……肉体というのは魂の拠り所でね、なくなるとその魂の存在自体が消えてしまうのだ」
「あ、あああ……」
「ああ、液体が体に入り始めたようだ……ここから先は君の知るところではないが……歴史の勉強を続けようか、国王代理よ」
それまで見たことがないくらいに闇征く者は機嫌が良かった……そしてその視線は床を這うように動く肉塊に注がれている。
肉塊は意思があるかのようにずるり、ずるりと床を這うと玉座に座るアンダースの元へと近づいていく……それは遙か過去に魔王と呼ばれた成れの果て。
肉体のほとんどを失っても、増殖する腫瘍のようにしぶとく、そして密かに生き続けてきた混沌の神格であり、この世界を闇へと落とそうとする邪悪の化身でもある。
「……魔王様は今床を這う肉塊のみを残し全てを失った……いや、正確には今君の肉体に注入している血液、この肉塊、そして意思と魂がこの世に残されていた」
魔王とは不滅の存在ではないが、勇者アンスラックスは一〇〇〇年前に魔王との戦いにおいてその全てを滅ぼすことができなかった。
彼自身も気が付かない場所に、密かに肉体の一部や血液を魔王は保管していた……自らが一度滅びるという啓示を受けたのかもしれない。
否、単なる気まぐれだったのかもしれないが……それでもその行動が彼を完全に滅ぼすという最悪の未来を回避することに成功させた。
事実はすでに一〇〇〇年の時を経て風化し、魔王本人ですら大いなる微睡の中、その時の記憶は消え去っているのだろう。
「……そして、実はイングウェイ王国の王族には勇者アンスラックスの血脈が残っているのだよ、誰もが忘れてしまっていることだが、初代国王の側妃の一人はアンスラックスの姪にあたる人物だ、つまり君にもほんの数滴ではあるが勇者アンスラックスが残っていると言える」
混沌の儀式ににおいて自らを滅ぼした相手の血を取り込むというのは、儀式において非常に重要なファクターとなる。
復讐、征服、蹂躙……それが儀式の成功確率を向上させ、より強い力を取り戻すための鍵となる……アンダースの体を這い上がる肉塊は、だらしなく開かれた彼の口の中へと入っていく。
アンダースとクリストフェルだけでなく王国の誰もが失念していることではあるが、初代イングウェイ王国国王と正妃の直系の子孫はすでにいない。
実は王国の拡大期において直系王族の戦死や病死で、アンスラックスの血脈を受け継ぐ傍系の子孫がおよそ四〇〇年ほど前に王位についている。
そこから脈々と傍系の王族による継承が為されており、実はアンダースやクリストフェルにもアンスラックスの血脈が受け継がれてきていたのだ。
「それ故にクリストフェルが勇者の器になったのだがね……残念ながら兄はそこまで出来が良くなかったが、それでも今ここで役に立ってもらえるのだから……満足であろう?」
闇征く者はクフフッ! と引き攣るような笑い声を上げるとアンダースの体に異変が起き始める。
玉座に座り心ここに在らずといった様子を見せていた彼が、突然痙攣をし始める……身体中の血管が浮き上がりドクドクと脈打ち、そして苦しさからなのか玉座の上でもがき始めるアンダース。
肉体への侵食……魔王の肉塊と体内に混入した血液がアンダースというアンスラックスの血脈に反応してそれを取り込もうと暴れ出したのだ。
儀式の完成には少し時間がかかるため、すぐには魔王の復活は起きない……だが、長い時間をかけて肉体を書き換え、そして魂を呼び集めた魔王は必ず復活する。
呻き声をあげてもがくアンダースを見つめていた訓戒者は再び引き攣るような笑い声を上げるが、それと同時にゴオオオンッ! という大きな地響きの音と共に王城がガタガタと揺れた。
イングウェイ王国では地震が滅多に起きない……発生するのは辺境と呼ばれる場所が主で、地盤が非常に強固に、そしてしっかりとした場所に王都を建築しているのがよくわかる。
だが……今の振動は、と訓戒者はじっと地面を見つめるが、仮面の奥の赤い瞳がギラリと光ると彼は満足そうに黙ったまま頷いた。
「……今シャルロッタ・インテリペリは星幽迷宮の中にいるが、その破壊力の凄まじさに狭間を超えて衝撃が外に漏れたのか……これは素晴らしい」
星幽迷宮を守備しているのは同じ訓戒者である欲する者だが、彼女はあの強き魂、勇者そのものと戦って勝てるだろうか?
以前闇征く者は直接彼女と邂逅し、実力を確認したが……あの時のままであれば、彼の見立てでは欲する者の方が強いと思える。
だが、それでもなおシャルロッタ・インテリペリはほとんどの訓戒者を倒し、滅ぼしてきている。
油断はできない……そして欲する者が滅びたとしたら……直接自分が彼女と対決をしなければいけないだろう。
「……所詮訓戒者は駒である、それ故に強者との戦いは心踊るものだ」
あれほどの強者と戦える……一〇〇〇年間闇征く者は退屈してきていた、魔王復活のための駒として生まれ、ひたすらに策謀を巡らせ邪魔者を排除する。
アンスラックス以上の器はこれまで存在していなかった……イングウェイ王国の弱体化は彼ら訓戒者の策謀の結果ではあるが、それでもなお強者との戦いという欲求は彼に飢えを感じさせていた。
本当に数人、彼と直接対峙するものが出てきたことがあった……偶然や神のいたずらと言える予期せぬものではあったが、そのような相手は敵とはなり得なかった。
一方的な蹂躙と虐殺……それはすでに飽きたのだ、と訓戒者は考えていた、互角以上に戦える相手がいない。
アンスラックスが生きていれば……そのような戦いを楽しめたかもしれないが、不死者に堕としたことで勇者は力を大きく損ない、最盛期の強さは感じられなくなった。
それではいけないのだ、と闇征く者は考えている……敵とは己の全てをかけて戦える相手でなくてはいけない。
そのような相手がすでに世界に存在しない、などという悲しむべき事実はあってはならないのだ。
「……そういえば生きの良い冒険者がいたな……」
エルネット・ファイアーハウス……インテリペリ辺境伯家が契約する王国でも最強格の剣士にして冒険者、そして今王都で民衆を守るために駆け回っている。
地下水路に入らなかったのは正解だ、彼では星幽迷宮の悪辣な罠を回避することは難しいだろうから。
アンスラックスに及ばないだろうが……辺境の翡翠姫を本気にさせるには彼を使うことも良いだろう。
正義感が強く、今もなお民衆のために駆け回りながらもシャルロッタへと付いていなかったことを後悔しているようだ。
「……彼が王城へ来てくれれば楽しめるのだがな……まあそれも微睡の夢か……」
呻き声と小さな悲鳴をあげながらもがき苦しむアンダースにはすでに興味がないとばかりに、闇征く者はため息をつくと、次なる準備のために懐から取り出した小さな水晶に魔力を込めていく……次の瞬間、玉座の間に染み出すように影が広がるとそこからずるり、ずるりと数体の悪魔達が姿を表す。
その姿はそれまでこの世界に出現した混沌四神の眷属達の姿を踏襲しており、彼らは目の前に立つ闇征く者に向かって恭しく頭を下げた。
満足そうに訓戒者は頷くと、首を垂れる悪魔に向かって話しかける。
「さあ、諸君……魔王様復活前の魔宴を始めよう……人間は全て食い殺せ、肉を撒き散らし、内臓を叩きつけ、魂を混沌神へと捧げるのだ」
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