第三一四話 シャルロッタ 一六歳 地下水路 〇四
「うーん、スッキリ……」
わたくしの視界に映る広大な空間……先ほどまで地下水路をベースとした迷宮の部屋だったはずの場所は、何もない空間へと変化している。
イスルートはチリも残さずに消滅したし、迷宮の壁だった場所はがらんどうの空間となっており、かろうじて床面が広大な地平線の彼方まで伸びているのが見える。
空に当たる部分……そこには漆黒の渦が渦巻く奇妙な空間が広がっており、ここが完全に異空間になっているというのが見ただけでわかるな。
だが、その空間に壁面が生えてくるのを見て、空間内が再び混沌の魔力によって元の形へと戻ろうとするのを見て、わたくしは手に持っていた不滅を空間の狭間へと仕舞い込む。
「……とりあえず元に戻るまでは襲撃はないわね」
異世界という言い方が正しいかわからないが、星幽迷宮は世界と世界の狭間に位置するあやふやな空間の中に存在しており、不定形でありながら基本的には最初の設計に従った形を保とうとする。
聖炎乃太刀の強大な聖なる魔力によって一時的に星幽迷宮全体のバランスが崩れただけで、時間が経てば元通りに戻っていくのだ。
そして元通りに戻る前のこの場所を進むのは非常に危険で、位置が不安定になっているといきなり出現した壁の中に閉じ込められる可能性だってある。
人間は文字通り壁の中に閉じ込められたら生きてはいけない……まあわたくしは防御結界があるから大丈夫だけど、少なくとも脱出にはそれなりに面倒だからねえ。
「……だいぶ元に戻ってきたわね……」
その場でと止まっている間に迷宮はその姿を変え、先ほどまでイスルートと戦っていただだっ広い部屋の形へと復元されていく。
少し違うのは壁や床面には焦げたような跡が残っており、わたくしが放った聖炎乃太刀の爪痕がまざまざと残っているという点だろうか?
とはいえ時間が経過すれば混沌の力による侵食が始まり、全ては元通りへと復活するだろうからさっさと核をぶち壊しに行ったほうがいいな。
床面が有機的に蠢くと同時に、部屋の形状がゆっくりと変化し細長い通路がわたくしの前へと伸びていく。
「……進めってことか、じゃあお言葉に甘えて歩くとしますかね」
親切設計だな……わたくしはのんびりと歩き出すが、歩き出すと同時に通路は左右にカーブを始め、まるでうねる蛇のようにその姿を変えていく。
まるで生きてるみたいに形が変わるが、これがこの星幽迷宮ならではの構造とも言えるが、自由自在に通路を変化させられるとあとどのくらいかかるのかがわからなくなるんだよね。
何度か通路が蛇行して……坂になって上がったり降ったり……一〇分くらい歩いていて変わり映えのしない光景に微妙な飽きが生じてくるのがわかる。
前世の勇者ライン時代も似たような感じになったんだよね……と、昔のことを思い返してため息をつくが、とにかく光景が変わらないというのは人間の意識に強い影響を与えるものらしい。
そしてその弛緩した意識は注意力を削り取り、本来気が張っている時には見逃さない小さな変化なども簡単に見逃してしまうようになる。
斥候などを生業にしている人はすごいよなあ、とさえ思ったくらいだ……残念ながらわたくしは前々世から変わらずそこまで集中力が続く方ではないので。
そこでいきなりバコン! という大きな音と共に通路に大穴が開いたことでわたくしは瞬時に魔法陣を展開して落下を防ぐ。
「……変わんないわねえ……」
魔法陣に乗ったまま足元を見ると、まるで生き物が獲物を捕らえるかのようにバクバクと大きな穴が口を開けており、その穴の奥にはこちらをじっと見つめる金色の瞳がギョロギョロと蠢いているのが見える。
趣味が悪いことにその瞳の周りには鋭い牙のように鈍い光を放つ突起が何十本も生えており、その間から細い蛇のような舌がチラチラを蠢いていることだ。
この穴は生きていると言ってもいいだろう、フツーの冒険者なら穴が開いた瞬間に落下してあの突起に突き刺さって即死だろうな。
で、あの舌みたいに動いてる器官で血を吸い取り、そして肉を消化して残った骨は吐き出すんだろう……最高に趣味が悪い。
「……破滅の炎」
「ぎょワアアアアアッ!」
指先から稲妻状の炎を放ち、その穴の奥へと叩き込むと悲鳴と共に大きく開いた穴が閉じていく……生き物を焼き焦がした時に発生する匂いと、ドブや汚水が蒸発しているような嫌な匂いが混じり合って気分が悪くなる。
空中に展開した魔法陣から少し先へと跳躍して地面へと降り立つと、わたくしは軽く両手で口元を押さえて咳き込む。
嗅ぎたくもない嫌な匂いが鼻の奥に残っているような気分になってしまい、再びため息をつきたくなるが、この星幽迷宮を抜けるまでの辛抱だからな。
わたくしは大きく深呼吸をして気分を入れ替えると再び通路を歩き出す……通路は先ほどよりも横に広くなっていき、その先に再び部屋のような形に変化していく。
「さ、次の出し物は何かしら? つまらないものだったらお題は返してもらうわよ?」
わたくしがその部屋状の場所へと足を踏み入れると、再びその空間は巨大な空間へと変化していくのが見える……その先に一つ奇妙な物体、いや生物か何かだろうが奇妙なものがいることに気がついた。
漆黒に見える肌には渦を巻くように変化する色が映し出されており、中心にあるのは人を模した姿……そしてそのあちこちから蜘蛛の巣のように粘着質らしい体組織を薄く伸ばしたような物体があちこちへと伸びている。
顔に当たる部分はあるのだが、そこにギラギラとした光を浮かべる黄金の瞳は本来ついている場所ではなく、少し歪んだ形状で配置されており、その中心に当たる部分には鼻ではなく口のような器官が縦に配置されており、時折開いた際には真紅の口内がチラチラとのぞいている。
「……来タか強き魂……君を待っていた……カンタいをするために……」
「随分ひどい見た目ね?」
その中央に配置されている口から思ったよりも流暢な大陸標準語が流れ出したことで、わたくしは目の前の生物らしきものが高い知能と知識、そして明らかに混沌由来の生物であることを理解した。
だが過去の知識を探っていても同じような生物については聞いたこともないし、もちろんみたことすらない……なんだこいつは。
混沌の生物というのは基本的になんでもあり、の連中なのはわかっているが、そもそもその総数がどれだけいるのか、どういった生態なのかなんてのは誰も知らないのだ。
だってこんな奇妙な連中のことを大真面目に研究したところで、自分がその深淵に取り込まれるか、もしくは食われるかしかないからだ。
「……私は名前がなイ、それ故に名乗りはしないが君のこトは知っている」
「名無しってことでいいかしら?」
「呼びたいヨウにヨぶといい、私は君をかンたイすることを命じラれた」
「か、かんたい……ええと歓待? どなたにかしら、恨みを買うようなことはしておりませんのよ?」
名無しは時折細かく不規則に痙攣するのだが、それが特に不気味さというよりは気持ち悪さを感じさせてわたくしは思わず眉を顰める。
ついでに言うと言葉の端々が時折聞き取りにくくなる……大陸標準語の発音ではなく別の言語に近しいもののように聞こえるが、おそらくそれは名無しが完全に言葉をマスターしていないことによるものだろう。
そんなことを考えていると、名無しがあちこちへと伸ばした体組織を自らの体へと取り込んでいく……ずる、ずる……という耳障りな音と共に名無しは二本の足で直立する人型となるとその場に立ちすくむ。
一番不気味なのはその外見だけでなく、まるで敵意を感じられないことにある……通常生物は殺意とか敵意を持って相手を殺そうとするため、はっきりと害意を伝えてくるものなのだ。
これはどんな生物……魔獣だろうが魔物だろうが、不死者だろうが変わらないので、動きが読みやすくなる。
「……で? あなたは何のためにここにいるの?」
「かンたいをするため……シャルロッた・イんテリペリをそうせよと聖ジョから命じラレ……」
「聖女……ねえ……どんな人なの?」
出方がわからない以上こちらから仕掛けるのは悪手でしかない……それに聖女とやらがどんな存在なのかまだわかっていないからできるだけ情報を引き出したい。
わたくしが尋ねると名無しはその歪んだ顔をこてんと横に倒すように首を傾げるが、その顔に浮かぶ表情はまるでなく無表情と言っても良く……はっきり言えば気持ち悪い。
ビクビクと不規則に痙攣しつつ名無しは小刻みに震える手を頭へと添えると、ゆっくりとたたき始めた……最初はトントン、という軽いものだったが、次第にゴン! ゴン! と強めの音が響くようになる。
何なんだこいつ……正直生理的な嫌悪感を感じてわたくしは思わず一歩だけ後ずさると、いつでも反撃できるように防御結界に込める魔力を少しだけ強化した。
「き、気持ちわる……」
「思い出しマした……カんたイとはあなたヲ殺すコとデす」
「……ッ!」
その言葉と同時に名無しがいきなりわたくしの真横に出現する……ノーモーションもいいところだ、しかもわたくしの真横に突っ立ったままその体から触手のように体組織が伸びる。
それは鞭のようにしなるとわたくしの防御結界に叩きつけられドガアアッ! という鈍い音を立てながらわたくしの体を衝撃で吹き飛ばす。
なんて強靭な一撃……名無しが空中にいるわたくしへと痙攣しつつ黄金の瞳を向けると、先ほどまで無表情だった顔、その中心にある縦に配置された口がぐにゃりと歪んだ気がした。
「……殺シ合い、アなタをコロしてセイ女に褒めてもラう……カンたぁい!!」
_(:3 」∠)_ 混沌の奇妙なお友達
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