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第三〇八話 シャルロッタ 一六歳 王都潜入 〇八

 ——黒い巨体と凄まじい威圧感を前に、魔物だけではなくその厳重に守られる冒険者たちも驚きで身動きが取れなくなっていた。


「ガ、ガルム? 幻獣ガルムか!」

 冒険者の一人が思わず口にした言葉で、その場にいた全員が自分達を食い殺そうとしていたマンティコアが怯えたような表情を浮かべてあとずさりを始めたことに驚いた。

 幻獣ガルム……辺境の翡翠姫(アルキオネ)ことシャルロッタ・インテリペリが契約する幻獣であり、古き時代よりこの世界では度々目にすることのできる存在。

 地方によっては神の使いとされ崇められることすらある幻獣だが、見た目の恐ろしさからイングウェイ王国では不吉な存在のように扱うものすらいる。

「我が契約者辺境の翡翠姫(アルキオネ)の名前と共に、冒険者の諸君……我は貴殿らに助力する」


「……辺境の翡翠姫(アルキオネ)!」

「シャルロッタ・インテリペリか!」

「た、助かった……!」


「冒険者たちよ! 見ての通りインテリペリ辺境伯家が助力するのだ王都における異変をここで食い止めるぞ!」


「「「「うおおおおおっ!」」」」

 絶望の淵にいた冒険者たちの目に活力が戻る……それまで死を目前にした獲物のような気分を味わっていた彼らの目には恐ろしい外見をした幻獣ガルム族のユルはまるで神の使いであるかのように感じられる。

 ギルドマスターであるアイリーン・セパルトゥラは戦斧(バトルアックス)を頭上に掲げて味方を鼓舞すると、それに応じて冒険者たちが怒号に近い歓声を上げる。

 それを見たマンティコア達の表情が曇る……それまでは簡単な狩であったはずの場面が、たった一手でひっくり返されてしまったのだ。

 しかも現れたのは巨大な体を持つ幻獣ガルム、本能的にマンティコアは目の前にいる黒い怪物が恐るべき捕食者であることを理解しているのか、怯えや恐怖によって震えている。

「グギギ……オマエッ、ナンナンダ!」


「先ほども言ったとおり……我は辺境の翡翠姫(アルキオネ)の契約する幻獣である、下等生物どもに告げる、死にたくなければ大人しく逃げるのだな」


「グガガッ……グオオオオッ!」


「愚かな……だがその意気やよし」

 マンティコアのリーダー役が苦し紛れにユルへと飛びかかる……それは群を支配するリーダーとして状況を好転させるにはそれしかなかったからだ。

 だが元々ガルムとマンティコアには生き物としての格に大きな差があり、幻獣と魔獣には本能的にその格の差を感じ取り従うことがある。

 それに逆らうだけの理性を持ったリーダーは明らかになんらかの影響を受けているのだとユルは理解し、そしてその鋭い牙を持つ口を開くと、逆にリーダーへと向かって見せた。

 次の瞬間二頭の獣が交差するとマンティコアリーダーの首が引きちぎれ血飛沫が舞う……ユルは傷ひとつ負っておらず、地面へとドオオン! という重量感のある音を立てて倒れたリーダーの体はまだ自分が命を失ったことを理解していないのか、足を何度かばたつかせ地面へと転がり落ちた頭は驚愕の表情を浮かべている。

「……アフェ? バ、バカナ……」


「マンティコア如きが我に傷をつけられるとでも? 愚かな……」


「ウソ……オレハツヨクナッタト……アノオンナハイッ……タ……ノニ……」

 ビクンと一度大きく体が痙攣したと同時に体が動かなくなり、引きちぎれた頭も命の灯火を失う……それを見たマンティコア達は慌てて逃げ出していく。

 幻獣ガルムには絶対に勝てないと刷り込まれた本能が必死に生きるために元来た道へと逃げることを選択したのだ。

 それを見た冒険者がほっと息をつくが……後に残された仲間たちの引きちぎれた遺体を前に、現実に引き戻されたのか喜びよりも悲しみの声が広がっていく。

 ユルはアイリーンの側へと近寄ると彼女に向かって首を垂れ、話しかけた。

「差し出がましいかとは思いましたが、苦戦されていたのようなので……我が主人は後ほどやってきます」


「いや、助かったよ……これほどまでに強力な魔獣が現れるとはね……」


「……悲惨な光景ですな……」


「だが我々は生きている……この経験をもとに王都の冒険者はより強く団結するさ……」

 アイリーンの言葉は勇ましいが目はそう言っていない……むしろ未来ある若者を失ったことへの悔恨や悲しみが強く感じられ、ユルはそれ以上何かを言うのは野暮だなと感じた。

 彼女自身も無傷ではない……返り血と自分の血と汗にまみれており、顔色もそれほど良くないのだ。

 だがギルドマスターとしての責務がその場で倒れることを許さず、すぐに彼女は冒険者たちへと号令をかけていく。

「……仲間の遺留物を集めて冒険者組合(アドベンチャーギルド)へと戻るぞ……!」


「マスター……この先へは進まないんですか?」


「犠牲者が多すぎる、それにここから先は本当に慣れた人物以外は立ち入れないよ……少なくともアンタや私たちは招待客じゃなさそうだ」

 悔しさに歯噛みしながらアイリーンは冒険者の言葉に首を横に振ると、その真意を理解した冒険者たちは黙って頷いた後、まだかろうじて原型を留めている仲間の遺体を拾い集めていく。

 片付けないとこの場所に再びマンティコアだけでなく、別の魔物が呼び寄せられてしまう可能性があることを彼らは経験上よく知っていた。

 冒険者パーティで死人が出た場合、その死体を持ち帰ることが難しい場合遺品や身元の分かるものを拾い集めて、遺体を焼却するなどは最初に教えられる知識の一つなのだ。

 その作業を眺めつつ、アイリーンは懐からパイプを取り出して煙草の葉を詰めていく……だが手元が震える、若い冒険者を目の前で数多く失ったことに良心の呵責を覚えているのだろう。

 火打石を使って火を灯そうとして何度か失敗するのを見て、ユルは黙って彼女のパイプに尻尾に瞬いている火を灯した。

「……私も耄碌したね……若い連中が目の前で死ぬのを見てるしかできなかった」


「貴女のせいではない」


「……私の責任さ……少なくとも全てが終わったら私はもう……」

 パイプを使って軽く紫煙を燻らせるとアイリーン・セパルトゥラは大きくため息と共に煙を吐き出した。

 王都における冒険者組合(アドベンチャーギルド)のギルドマスターとして活動してきた彼女の実績は高く、若い冒険者から慕われる良き相談役でもあったが、この内戦の間に起きている出来事は確実に彼女の手に余る事態へと急変している。

 ユルはそんな彼女の様子を横目で確認しながら泣きながら仲間や友人の遺留品を集め、死体をまとめている若い冒険者達の姿を眺めていた。

 年齢もまちまち……シャルロッタほど若いものは流石にいないが、まだ二〇代になったばかりだろうかあどけなさを残した彼らが、悔しさと恐怖そして帰れるという安堵が入り混じる表情を浮かべている。

 少し落ち着いたのかアイリーンが何度か大きく息を吐いた後、ユルはそっと彼女へと語りかけた。

「……まだやってもらわねばならないことは多いです、シャルも貴女のような協力者が必要でしょう」




「……喧騒が静かに……そう、やはり……」

 薄暗い部屋の中、虹色に輝く巨大な多層面結晶体の前で跪く少女がポツリと呟く……青い髪に青い目をしたあどけない少女は結晶体をうっとりとした目で見つめながら微笑む。

 多面結晶体(トラペゾヘドロン)と一般的には呼ばれる巨大な立方体……複数の面によって構成されたその結晶は、どことなく歪みを感じさせて健常な人間であれば生理的な嫌悪感を感じずにはいられない異形の物体ではあるが、それを前にまるで美術品でも眺めるかのようなうっとりとした目つきで少女はそっと手を伸ばす。


「先に来てよかった……あの子が来てしまう前に準備を済まさなければ……」

 少女が優しくその多面結晶体(トラペゾヘドロン)の表面へと手のひらを滑らせると、それに応じて七日虹色に輝く光がふわりふわりと瞬く。

 それは次第に漆黒の渦となって渦巻き、その中からずるりずるりと音を立てて這いずる生物にも似た何かが染み出してくる。

 それは次第に不定形から形を成していき、呻き声とも悲鳴ともそれとも歓喜の声ともつかない奇妙な声を上げながら次第に人型へと変化していく。

 完全に変形が収まった後、不定形だったものは人を模した姿へ、そして奇妙な歯軋りの音をあげて時折痙攣する直立した生物へと変化した。

「あ……お……、め、命令を……」


「……お客様を歓待して」


「……カンタァい……カンタァああい」

 ずるりずるりと足を引き摺りながら、歪んだ顔に不揃いの瞳を金色に輝かせながらその生物は笑顔を浮かべて暗闇の中へと消えていく。

 少女はその様子を見ながら薄く笑みを浮かべているが、その笑みは歪んでおり人ならざる者と同じ姿であるように思える。

 薄暗い部屋の中に多面結晶体(トラペゾヘドロン)の輝きが一層強くなるが、その少女の影は持ち主とは似ても似つかない長い髪の女性の姿として伸びている。

 光の中に浮かぶ彼女の影はまるで何かを笑うかのように、そしてこれから起きるであろう出来事を期待しているかのようにほくそ笑むようなそぶりを見せると、ゆっくりとその形を変える。

 少女は再びうっとりとその多面結晶体(トラペゾヘドロン)を眺めながら、そっと赤子を抱くかのように頬を寄せて優しく撫で始める。


「……もうすぐ、もうすぐ来るから……もう少し、もう少しだよ……」

_(:3 」∠)_ 最新部にはこんなものが……!


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