第二八九話 シャルロッタ 一六歳 使役する者 〇九
「……巨大な魔力が消えた? まさかのう……」
ふと遠くに感じていた強大な魔力……訓戒者が発する存在感のようなものが消え失せたことで、六情の悪魔フェリピニアーダはその美しい眉を顰めた。
第二階位の悪魔である彼女からしても恐怖を覚えるほどの圧が一瞬にして消え去るなど本来はあり得ないことなのだ。
混沌神の元へと一時的に戻ったなども考えられるが、最も有力な答えは一つしかない……訓戒者が敗北したという恐るべき事実。
辺境の翡翠姫ことシャルロッタ・インテリペリがそれほど前の力を有しているというのは、誰もが予想外に思うことだろう。
「……まずいな、妾の手札はそれほど多いわけではない……」
フェリピニアーダが現状持っている手札は精神支配が済んでいるソフィーヤと、彼女が振るう破砕のみだ。
あとは持ち前の精神操作能力と、悪魔らしい魔法行使能力が武器といえば武器と言える……だが、一度精神操作能力は辺境の翡翠姫に見せてしまっている。
あの時は奇襲に近い形で行使しため彼女も抗しきれなかったようだが、次は正面からの衝突となるため警戒はされているだろう。
あとは、とフェリピニアーダは美しく白磁のように滑らかな右手へと視線を落とす……悪魔の膂力は人間を遥かに凌駕し、この細腕であっても人間を粉砕することは可能だ。
「だが、それは相手も同じ……」
正面切手の殴り合いで勇者の血脈に勝てるかどうか……だが、彼女には切り札として使えるものが一つだけ残っていた。
そう……とフェリピニアーダはニタリと笑いながら無表情で戦いを続けるソフィーヤへと視線を向ける……精神操作による強化で歴戦の戦士に匹敵する近接戦闘能力を発揮しているが。
元々肉体はそれほど強靭ではなく、次第に荒い息を吐き始めている……元々騎士としての訓練を受け、勇者として覚醒しているクリストフェルに比べれば付け焼き刃のようなものだ。
「……やはり到着とともに奥の手を出すか?」
「……奥の手などやらせんッ!」
「ッ!?」
いきなり背後から凄まじい殺気と共に凄まじい斬撃のようなものを受け、フェリピニアーダは慌ててその場から飛び退る……そこには美しく黒い毛を持つ巨大な幻獣ガルムの姿があった。
確かこいつは……とフェリピニアーダは記憶の中を探っていくが、そうか辺境の翡翠姫の契約している幻獣か、と予想よりも大きな肉体を持つガルムとの距離を測る。
先ほどの攻撃で背中に強い斬撃を受けたが、それはガルムの持つ前足に生えそろう切れ味鋭い爪によるものだろう……悪魔にも痛覚はあるが、その痛みで怯むことはなく、ただ攻撃を受けたという情報のみがフェリピニアーダが知覚できている情報だ。
「……ガルムの爪か……コレクションにはちょうどいいのう?」
「コレクションされるのは、お前のほうだ悪魔よ」
「クハッ、クハハッ! 第二階位の悪魔を前に余裕じゃのう? ほれ」
フェリピニアーダは軽く手を振るような仕草を見せるが、それに伴ってユルの肉体に変化が生じる……ムズムズとした衝動が彼の体を駆け巡っていく。
だが、ユルは一度大きくぶるぶると身震いをすると威嚇するようにダンッ! と前足を地面に叩きつける……強力な権能である精神操作ではあるが、幻獣ガルムが元々保持している強い魔法抵抗力が、シャルロッタとの契約で底上げされており小さな影響のみで済んだのだ。
とはいえ完全な影響からは逃れ得ないようで、ユルは舌を出しながら荒い息を吐いて少しだけ苦しむ。
「……これは、強力な……ぐ……」
「ほほう? さすがガルム……まあ、この能力で幻獣が操れるとは思えなんだがな」
「……昔の我なら操られたでしょうが、今は違いますよ」
ユルは口元をニヤリと歪めるとその秘められた炎の魔力を一気に解放していく……一介のガルムとしては破格の魔力と凄まじいまでの存在感、その強大さにフェリピニアーダは内心驚きを隠せない。
以前見かけた時はこれほどの魔力を発していなかった、いやあの時はその存在感はここまでではなかったが……時間もそれほど経過していないのにもかかわらず、これほどの圧力を感じるのはやはり辺境の翡翠姫の影響力が増しているということなのだろう。
ガルムの尻尾に炎が瞬き、いつでも彼女へと飛びかかれるような姿勢で威嚇を始めるのを見て、フェリピニアーダは口元を歪めた。
「以前とは違う……そうかそうか、ではその以前とやらに戻してやろうぞ」
「やれるものならやってみろ……」
グルルと威嚇をするユルと相対するフェリピニアーダもその魔力を解放しつつある……それは強大で不気味すぎる圧力となって周囲へ波及を始めた。
ミシミシという音を立ててユル、フェリピニアーダの肉体がそれまで以上に膨張するかのように一回り大きくなる……六情の悪魔の美しかったはずの体にはビクビクと脈打つ血管が浮き出る。
双方ともに睨み合った次の瞬間……地面を蹴って前に出たガルムと、六情の悪魔の爪と拳が激突する。
ゴオオンッ! という鈍い音を置き去りにしてその位置を入れ替えるように交錯するが、ユルの前足の爪には小さな綻びが生じ、フェリピニアーダの拳には鋭い傷跡がくっきりと残っていた。
「クハハッ!これはこれは……妾の肉体に傷をつけた幻獣などここ最近おらぬわ」
「我の爪に傷を……? さすがは高位の悪魔ということか」
「そう、妾は第二階位……六情の悪魔フェリピニアーダよ」
「第二階位……そうか、天使ほどではないということだな」
「ほざけ犬っころが……死ねっ!」
「……火炎炸裂!」
その言葉と同時に再び前に出るフェリピニアーダ……その姿形に似合わなぬ俊敏な速度に驚きつつも、ユルは冷静に彼女の進行方向を予測して火炎炸裂を撃ち放った。
契約者であるシャルロッタが話していた「相手の進路を予測しある地点に向かって魔法を放つ」という技術……この世界においても狩人が進路を予測して射撃をすることがある。
だが、そもそも大火力、高威力である魔法を使った偏差射撃をするというのは魔法使いたちでは発想に至るケースは少なく、実行に移すものはさらに少ない。
圧倒的に弓矢よりも攻撃範囲が広く、到達地点ごと焼き払える魔法があれば事足りるケースが多いからだ。
だが、転生者であるシャルロッタはよくそういった行動をとっていた……魔獣を狩るときに、進路に向かって魔法を撃ち放って仕留める様子を見せていたのだ。
それは熟練の狩人のようにユルは思えたが、高火力の魔法でそれを実行するには瞬時に到達地点を計算しなければならず、詠唱を必要とする魔法使いにはかなり難しい芸当といえよう。
着弾地点に火線が到達するのと、偏差射撃を受けたフェリピニアーダの表情が変わるのはほぼ同時……特に魔法自体の射撃速度が速い火炎炸裂は回避することを許さない。
ゴアアアッ! という炎が爆発する爆音と共にフェリピニアーダの肉体が燃え上がる……だが、第二階位の悪魔は元来魔法抵抗力に優れ、人間の魔法使いでは傷ひとつ付けることすら難しい。
炎に包まれたままのフェリピニアーダは焦げる肉体をものともせずにユルに狙いを定めると、一気にその淫靡なる魔力を解放する。
「混沌魔法……罪なる愛欲」
その言葉と同時にフェリピニアーダとユルを包み込むように、暗く蠢く泥濘が空間を侵食し出鱈目に生える腕や足、そして淫猥な喘ぎ声とも悲鳴ともつかない出鱈目な声を発する口や、狂気と欲望に濁る目をもった顔が無数に浮き上がる。
剥き出しの器官や内蔵からは血液と独特の臭気を発する液体が交互に吹き出し、あまりの悍ましさにユルは思わず顔を顰めた。
シャルロッタが何度も打ち破ってきた悪魔が行使する恐るべき魔法は、ユルの本能に凄まじい恐怖と混乱を心に植え付け、元来魔法抵抗力が高いガルムとはいえその恐怖と肉体へと加わる恐るべき魔力の本流が、その場から逃げ出すことも許さず釘付けにしていく。
ユルは知らなかったがこの魔法は以前シャルロッタが肉欲の悪魔オルインピアーダより受けた魔法であり、高度な結界魔法により取り込んだ対象を汚染する恐るべき効果を持っている。
「こ、混沌魔法……!?」
「クハハ! 罪なる愛欲は敵対者を取り込み精神と肉体を汚染する……人間なら空間に取り込んだ段階でイキ狂い廃人と化すが、さすがは幻獣じゃの」
「……ぐ……グルウウウッ……こ、こんな……」
「ガルムがここまで魔法抵抗能力が強いとはな……やはり契約したものの魂の強さに引き上げられるのか……だが、チェックメイトじゃよ」
フェリピニアーダはニタニタと笑いながらゆっくりとその手を挙げると、その動きに呼応して泥濘と蠢く腕や足が獲物を狙うかのようにバタバタと蠢き、狙いを動けなくなっているユルへと向ける。
泥濘に包まれたあとはどうなるのか……幻獣ガルムの肉体が汚染され作り変えられて自我を失い、そのまま快楽の絶頂の中で魂ごと滅ぼされる。
はっきりとした恐怖、そして空間に響く淫猥なる喘ぎ声と、絶頂に至る悲鳴、そして苦痛と狂気が渦巻く泥濘は徐々にユルを包み込もうと迫り来る。
だが……次の瞬間、ドゴン! という轟音と振動……そしてそれまでのたうつ様に蠢いていた泥濘がゆっくりと消滅を始めるとともに、空間を引き裂いて一人の少女がその場へと飛び込んできた。
それは……滑らかな銀髪とエメラルドグリーンの瞳を持つ美しき戦乙女……辺境の翡翠姫ことシャルロッタ・インテリペリその人だった。
「……ずいぶん汚ねー空間おっ広げてますわね、うちの飼い犬いじめてるやつはぶっ殺しますわよ?」
_(:3 」∠)_ ようやく執筆完了……お待たせしました
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