第二七話 シャルロッタ・インテリペリ 一三歳 一七
「……疫病の悪魔よ、貢物だ……受け取れ」
暗くジメジメとした地下水路、王都の地下にある地下水路は元々王都からの排水などを近隣にある河へと流すために構築された場所だが、王国の歴史が長くなるに従って次第にこの場所は国民の大半は立ち入ることがない。
すでに迷路化した場所でもあり、公式の地図などがないため入ったが最後出てくることすら難しいからだ……それでもこの場所に立ち入るものは少なからず存在しており、その大半が訳あり……犯罪者の巣窟と化している。
それ故に王国の暗部……古き時代から貴族の一部からはこの場所が後ろ暗い陰謀や犯罪の隠れ蓑として使われてきたわけだが、その暗闇の奥底に不気味な怪物の姿があった。
「……グフッ……貢物……お前、いいやつ……クヒヒッ!」
ドサリ、と床に投げ出された袋はちょうど人が一人収まる程度の大きさをしており小刻みに震えている、そしてその袋を投げ出した人物は黒い外套で顔を隠してはいるが、その腰に下げられた剣は装飾が施されており王国でも高位の貴族であることを証明している。
袋の前には不気味にヌメヌメとした外皮をもち、ところどころが腐った腫瘍のように膨らんだ、かろうじて人型と呼ばれる肉塊が表面に下卑た笑みを浮かべて座っている。
肉塊に見えるその化物は疫病の悪魔……病気と腐敗を象徴する混沌神の眷属にして魔界の住人である。
悪魔はその権能に合わせて仕えるべき混沌神が存在している、カトゥスは黒書の悪魔だったため魔法と秘密を司る混沌神の眷属の一つで、この場所にいる疫病の悪魔とは別の混沌神の眷属にあたる存在である。
この疫病の悪魔の権能は病と呪術、呪いによって疫病のような症状を起こし対象を弱らせる能力を持っていて、今回は顔を隠した人物の意思を受けてこの王都地下水路に潜伏しているのだ。
「……王子はどのくらいで死ぬ?」
「病、時間かかる……数年かけて弱らせるの、普通……それ故もっと贄よこせ、ケヒヒッ!」
疫病の悪魔が袋をまるで丸呑みするかのように、歪み切ってところどころに歪な歯の生えた口を大きく開け、一口で食べてしまうのをみて黒衣の人物は軽く舌打ちをする。
一年程前よりじわじわと疫病の悪魔による病によってあの第二王子クリストフェルを弱らせてきているが、目の前でゆっくりと咀嚼している不気味な化物はここ数ヶ月病の進行を遅らせており、贄ばかりを求めるようになってきている。
もう少しであの第二王子……勇者としての素質を持つ忌々しい人物がいなくなるというのに、どいつもこいつもちゃんと働こうとしないなんて。
予言された勇者……一〇〇〇年前に現れた建国の英雄にして魔王を滅ぼした勇者アンスラックス……王国ではアンスラックス子爵家という既に断絶した貴族家にその血筋が残っていたが、初代アンスラックス以降勇者という存在は現れていない。
なぜ王族に勇者の素質を持つものが生まれ出でたのか、は判らないがそれでももう少しで勇者という存在を滅することができるというのに。
再び舌打ちをするが、目の前に座る疫病の悪魔はそんな黒衣の人物を見て、ニタニタと笑う……悪魔との取引はこういうことが起きやすい、と歴史書には書かれていたのに。
彼の主人にあたる人物が反対を押し切ってこの作戦を立案し実行に移させた……全く、こんな回りくどい方法で王子を暗殺するなど……黒衣の人物は首を振ってその不敬な考えを頭から飛ばす。
だが目の前の巨大な腐る肉塊が身じろぎをした後に、不気味な嗄れた声で彼へと話しかける。
「お前と主人に、忠告……強い魔力が向かっている……ワシ、殺していいか?」
「強い魔力? この場所を何者かに嗅ぎつけられたということか?」
黒衣の男がそう答える間もなく、地下水路全体に大きな音が響き渡った……この地下水路は設計が古く増築に増築を重ねた年代物の建築物だ。
補強は幾重にも入っているとはいえ、強力な魔法の直撃などがあれば崩落する危険すらあるが、高い位置から重い物を落としたかのような音のようにも聞こえた。
黒衣の男がすぐに立ち去ろうとすると、疫病の悪魔はニタニタと笑いながら彼に声をかけた。
「ケヒヒッ……早く逃げるといい、この匂い、女と獣……うまい肉食える……クヒヒッ!」
「ちょっとユル! どうして最後の着地だけ失敗するの?!」
「いたた……足が滑りました……申し訳ない」
わたくしはびしょびしょに濡れた外套を絞りながら、同じく濡れ雑巾のようになったユルに文句を言う……地下水路の入り口は兵士で固められていたので、別の方向……街の外縁部に存在している地下水路への斜面となった通路を降りることになったのだが、そこでユルとわたくしは通路にびっしりと生えた苔に足を取られ、そのまま地下水路へと思い切り転落してしまった。
わたくしは水の中に落ちたが、ユルはそのまま地面へと落ちたために辺りに大きな音が響いてしまい、敵がいたら気が付かれてしまうだろうなあ……とちょっと残念な気分になってしまう。
この地下水路は都市排水などを河川へと誘導するために作られているが、噴水や貧民街に供給される水源なども合わせてながされており、わたくしは運よくそこへ転落することとなったわけだ。
とはいえ少し水が停滞している場所であったため、水自体はお世辞にも衛生的とは言い難く、一張羅に近い服には異臭がこびりついて離れないと言う割と令嬢としては耐えられない状況に陥っている。
「全く……帰ったら湯浴み確定ですわ……でもこの地下水路、変な匂いがプンプンしてるわ」
「明らかに魔の匂いがしますな……」
ブルブルと大きく身を震わせながらユルが辺りをキョロキョロと見渡すが、単下水などが流れているとかではなく、明確な魔力、しかもあまりまともな物ではなく、死や腐敗の力に起因するおどろおどろしい力が緩やかな流れと共に漂っているのが理解できる。
わたくしの感覚にもこの手の魔力は割とタチが悪い、と伝えてきておりここになんらかの悪意が住み着いていることだけは理解できた。
「ねえユル、貴方疫病の悪魔について、どこまで知ってる?」
歩きながらユルに質問してみるがユルは、んー。と少し考えるような仕草をした後、軽く首を振ってよくわからないと言う意思を示した。
まあ、幻獣であるガルム……しかもまだ年若い彼に聞いてもこんなもんだろうな、わたくしは自分の前世に纏わる知識を改めて思い返しつつ彼に説明していく。
疫病の悪魔は混沌神であるディムトゥリアの眷属であり尖兵だ。
ディムトゥリアは腐敗と疫病を象徴する腐った肉塊であり、全てを恐怖に陥れる永遠の歪みでもあり、悪臭の源とされる神の一柱でもある。
この混沌神は不衛生極まりない眷属を多数飼っており、気まぐれに人間の信奉者へとその眷属を貸し与えるという割と厄介な神格なのだが、基本的には怠惰で働くことを嫌うため眷属もその神の思考に従って割と怠ける傾向が強い。
前世での話だが疫病の悪魔に呪いをかけさせたが、相手を呪い殺すまでに一〇年近く供物を捧げてようやく瀕死に追い込んだとか、疫病を流行らせるのに数年がかりで一地域に蔓延させたなど、策を弄してもとにかく時間がかかることでも有名なのだ。
ただ疫病の蔓延と侵食は時間を追って加速していく、小さな病を放置するとやがて大病へとつながることと同じで、早めに対応しないと取り返しのつかない出来事が起きる可能性を孕んでいる。混沌神の中でも最も混沌に近い存在と言われるのはその証左だ。
それ故に疫病の悪魔なんて厄介な存在が王都の地下水路に隠れている場合、今は王子への呪いだけで済んでいるかもしれないが、そのうち力をつけた悪魔の能力で都市全体を腐敗させてしまうような巨大な災害へと発展する可能性がある。
「それは避けないとダメよねえ……とはいえ王都の地下でそんな化け物が住んでたなんて想像もしたくないでしょうけど……」
「幻獣界では疫病の悪魔は汚れとして認識されていますね……放置されたことがないのでよくわかっていませんが、我は見たことがありません」
「わたくしは前世で見たことがあるのよ、とにかく絵面が独特でして、お下品な顔でグフフ! って笑うキャラなの」
顔を顰めて気持ち悪いって表情でユルに伝えると、ユルはクスッと笑うがこのガルム時折人間臭い表情するんだよね、ここ数年で色々な表情を見て、ガルムという幻獣の色々な顔を見た気がしている。
付き合いも三年目か……割と領地では一緒にあちこち飛び回っており、黒い魔獣の目撃話がインテリペリ伯爵領では囁かれるようになってしまった。
領民にはまだわたくしがガルムと契約したという話はオープンになっていない……まあ、今以上に大っぴらにする気もあまりないんだけどさ。
そんなことを考えて歩いていると一際通路の奥から強い腐敗臭のような匂いが漂ってきたことに気がつき、わたくしとユルは表情を変える。
お互い顔を見合わせて軽く頷くとわたくしは長剣を引き抜き、ゆっくりと歩き始める。
「やはりここに……いらっしゃいますわね疫病の悪魔……」
_(:3 」∠)_ 次回ようやく悪魔との戦い
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