第二六話 シャルロッタ・インテリペリ 一三歳 一六
「殿下、ご機嫌ですね……そんなにあの令嬢……シャルロッタ様をお気に入りに?」
「ん? ああ……自分でも驚いているよ」
マリアンが上機嫌ながら、時折咳き込むクリストフェルが座る机の前に、紅茶を注いだカップをコトッと置くと敬愛する主の顔を心配そうに見つめる。
下町に身分を隠して通っていたクリストフェル、当時はクリスと名乗っていたが明るく元気な男子と共に遊んでいたその時期から、マリアンにとって特別な存在である。
初恋の相手と言ってもいい……マリアンは彼が王子だとわかってもその気持ちを捨て切ることはできず、彼の侍従として支えてほしいと言われた時には本当に嬉しかったのだ。
そんな主が非常に機嫌よく紅茶を口に運ぶが、その姿にほんの少しだけ胸の奥で痛みを感じつつも黙って彼の言葉を待つ。
「正直驚いた……僕は今までこんな気持ちになったことはなくて、どう表現していいのかわかないんだけど……それでも彼女を側に置きたいと思ってしまった、これが恋焦がれるという気持ちだろうか?」
「そう……ですか……」
「ま、まあでも本当に噂に違わぬ美しい令嬢でしたね、あれが国一番とされた女性なんですねえ」
少し悲しそうに目を伏せるマリアンを見て慌ててヴィクターがクリストフェルに話しかける。
マリアンがクリストフェルに淡い恋心を抱いていたのを知っているのはこの場ではヴィクターだけであり、身分の差もあって彼女の望みは決して叶えられることがない、ということも彼は知っている。
しかし今日初めて会った令嬢にいきなり婚約を申し込むほど、クリストフェルは軽薄でもない……ソフィーヤ嬢との婚約破棄前であっても、礼節を忘れることなく彼女に優しく接していたのだから。
結果的には裏目に出たかもしれないが、心優しい第二王子がこれほどまでにシャルロッタへと傾注する姿を見るのは珍しい、と思った。
「美しいが、その奥にある素顔……僕はそれを見てみたい、と思った。気が付いてたか? シャルロッタは婚約したくないって感情を隠しきれずに出していたぞ、正直なのだろうね……僕は素直な女性が好みだよ」
「……それは不敬なのでは? ご命令とあらば……」
その言葉にマリアンが表情を変えるが、そんな彼女の肩に優しく手を当てたクリストフェルは苦笑いのような笑みを浮かべて首を振る、まるで気にするなと言わんばかりの顔にグッと言いたいことを堪えて黙るマリアン。
おそらくそのこと自体が彼自身は本当に面白かったのだろう、クスクス笑いながら紅茶を口に含み、シャルロッタの顔を思い返す。
美しい、というにはあまりに整いすぎている女神の造形物かと思えるくらいの美貌、だが本人は本当に婚約など興味がないのだろう……目に映る感情が割とダダ漏れだった、作り笑顔の奥にある感情が割とはっきり表に出ていた。
年頃の令嬢なら見せないあの表情と、感情は興味深い……王宮にはいないタイプだな、とは思う。
クリストフェルは少し咳き込むと紅茶を軽く啜り、昼間にあった美しい令嬢の顔を思い返す……手放し難い花というのは本当に存在するのだな、と自分のことながら感心してしまう。
「あの美しい花が僕のことを見てくれるには、この原因不明の病魔をどうにかして彼女に見合う男にならないといけないよね……」
「つーかーれーたー! もう王都嫌だー……早く帰りたーい……」
殿下との婚約前の面会が終わり、王都にあるインテリペリ辺境伯家の別宅の一室、わたくし専用にあてがわれた部屋の寝台にボフッと音を立てて倒れ込むとわたくしは思わず言葉を漏らす。
あの場の雰囲気に呑まれて思わず婚約を受けてしまい、お父様は何故か夕食の時も涙を流したまま喜んでいた……いやいや、あんた聴いてただろ? わたくしは「殿下に相応しい令嬢が現れたら即座に破棄できる」って条件飲ませたんだぞ。
つまり……いざという時は殿下にそこら辺の令嬢共々わたくしが直々に精神操作魔法魅了ぶちかまし、殿下と令嬢を相思相愛にさせて婚約破棄するのだ、フーハッハッハッ!
「しかし……出会った時に感じたあの不思議な力、気になりますね……」
ユルが久しぶりに影から姿を見せると、軽く寝台に横たわったままのわたくしのそばへと近寄って座ると話しかけてくる。ユルはここ三年ですっかり寝台の柔らかさに慣れてしまったように時折主人であるわたくしを押し退けて寝台の真ん中で寝ていることがある……まあ、暖かいから一緒に寝るのはいいんだけどね。
さてユルの話に出ていた不思議な力、呪術でもかけられているかのような不気味な黒いもやは、面会の時にはあまり感じていなかったが、あれはなんのために殿下にまとわりついていたんだろうか。
「ユルからみてどんな感じに見えた?」
「そうですな……本人の生命力を大がかりに吸い取っているように見えました、何故なのかは理由がわかりませんが……人間の違和感や思考に干渉せずにあれをやってのけるというのは、とんでもない技巧かと」
「うーん……殿下の生命力を奪い取って何がしたいのかわからないのですけど、調べてみる価値はありそうですわね」
わたくしは自宅から持ち込んできている巨大な無地の箱を堆く積まれた荷物の中から引っ張り出すと、魔術的な鍵を設定したキーワードで開放し箱の蓋を開ける。
まあなんでこんな手の込んだことをしているかというと、この中には変装用というか令嬢としては推奨されない活動用に作り上げた武器と衣服、そのほか諸々が入っていて流石に侍女たちに見られるのは憚られるからだ。
「そういえば王都で活動するのは初めてですから、顔は隠したほうがよろしいですわね……」
箱の中から取り出した服に着替えながらわたくしはどう動くかを考える、殿下にかけられた呪いはまあ放置してもいいのだけど、気が付いてしまったからにはなんとかしておかないといけないという気になってしまっている。
これはもう前世の勇者時代を引きずっているわたくしの性のようなものだ……それにもし王国に危機が迫っているのであれば、それをなんとかしておかないと領地での安穏な生活が壊れてしまうかもしれないしね。
「よし、準備はこれでいいかな……フードを下ろせばわからないと思うし」
活動用に髪の毛を軽くまとめると、わたくしは外套のフードを下ろし騎士服の上に身元がわからないようにするための革鎧を纏ったスタイルで窓を開ける。
この格好ならば、ぱっと見は冒険者か何かのように見えるはずだ、うん大丈夫自分を信じよう……ふわりと夜風が部屋の中へと流れ込んでくるのに合わせてわたくしは屋敷の外にあるポイントへと次元移動する。
屋敷の壁の外、木陰に出現したわたくしは周りの気配を察知しつつ暗闇の中を移動していく……気配を消して走るのももう慣れっこで、おそらく相当に鍛え込まれた戦士以外ではわたくしを感知することなどできないはずだ。
「シャル、我に乗って屋根を移動していくのが効率良いでしょう、どうぞ」
わたくしは黙って頷くと、ユルの背中に飛び乗るとふわふわの毛皮にしっかりとしがみつく。
次元移動は移動魔法としては相当に便利なのだが領地と違ってわたくしは移動先のポイントをマークしていない、サボったというよりは今までは大してやる意味がなかったのでやっていないだけなのだが、今回に関してはそれが裏目に出た。
学園に通う二年後まで別にポイントなんかマークしなくてもいいだろ、めんどい……なんて思ってたのは正直間違いだったな。
「……あの匂いが漂っていますね……そちらへ行っていいですか?」
「ええ、大元を突き止めてみましょう」
ガルムであるユルの体は三年前よりも遥かに大きく、本来の大きさは四メートルを超える巨体となっており狼とはとても言えないサイズになっている。
普段は威圧感を与えないようにと大きさを変えているのだけど、今の大きさは本当のユルのサイズなんだろうな……夜に舞う強風のように王都の屋根を飛ぶように走り抜けていくユルとわたくし。
殿下の咳……あれは単なる病気とかそういうものではないな、本当に呪いの匂いがしていた……あの場ではなんともし難かったが、大元になる呪いを解ければ治るんじゃないかな。
「悪魔かもしれないわね……」
「疫病の悪魔ならあのような呪いをかけることは容易いでしょうね」
ユルの言葉にわたくしは黙って頷く……悪魔にも複数の種類がいて、わたくしが一〇歳の頃に殴り飛ばした悪魔カトゥスは黒書の悪魔と呼ばれる個体で、文字通り魔術に特化したタイプ。
病気や疫病を撒き散らす個体は疫病の悪魔と呼ばれ、人間社会の奥底で日々苦痛と恐怖を撒き散らす存在である。
この世界マルヴァースと前世の世界レーヴェンティオラに生息する生命体や魔物はほぼ同じ、違いなどはわたくしにはわからない……カーカス子爵家事件で出てきたキマイラも、異形種、突然変異などの現象も同じだ。
もしかしたら細かい部分でかなり違うこともあるかもしれない……今のところ一三年生きていて違いがわからなかったので、レーヴェンティオラの疫病の悪魔が相手だとするとちょっと厄介だ……戦闘能力とか、そういうのではなくその見た目が、本当にわたくしは苦手なのだ。
「できれば会いたくないお相手でしたけど……仕方ないですわね……」
_(:3 」∠)_ ということでぇ、次回悪魔さんが出てきます。
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