第二三〇話 シャルロッタ 一六歳 煉獄 二〇
——メネタトンの街に迫っていた大暴走の危機は去ることとなった……白銀の炎が全てを焼き尽くし、魔獣達は一掃されていた。
「……一時はどうなることかと思ったが、辺境伯家へ借りが出来てしまったな」
ビョーン・ソイルワーク男爵は守備隊や、避難から戻ってきた住人達と共に大暴走の後片付けをしながらその時の様子を思い出していた。
突然砦に匿っていたシャルロッタ・インテリペリが目覚めると、窓から飛び出して空を飛んで魔物の群れへと飛び込んでいくのを見た。
空を飛ぶ魔法……シャルロッタが空を舞った時に白い光の帯を引いており、神々しい姿であったと一部の兵士たちは囁きあっているのが聞こえる。
「……ラッシュ司祭は彼女のことを女神の使徒だと話していたな……」
『女神様が遣わされた神の使徒が辺境伯家に降臨されたのです! 私はその奇跡をようやく目にする事ができました……女神様は私たちを見捨てません!』
ミルア・ラッシュ司祭は戦いにおいて邪悪なる悪魔を聖なる炎を使って滅ぼしたシャルロッタを神格化しており、その神々しさや美しさを熱心に説いていた。
元々教会司祭としては優秀だったが、彼女は異動を常としている立場であったため布教などについてはそれほど熱心ではない印象があった。
だがあの戦いを経て彼女はシャルロッタの信奉者と言ってもおかしくないくらい熱っぽく教えを説くようになっている……それは大きな変化と言えるかもしれない。
『冒険者を引退してもずっともっとやれたのではないかと思っていました……そしてそれは正しかった』
彼女の夫であり護衛戦士でもあるリオン・ラッシュもそれまでは妻を守る以外には興味がなく、訓練場にも時折顔を出す程度だったが、今では積極的に自主的な訓練を再開するようになっている。
悪魔との戦いでの動きは見事であったし、剣技も素晴らしかったが引退してからのブランクは多少影響していた……それを改めて自覚したのだろう。
また、彼も異動を常とする生活に慣れていたのか守備隊とも積極的には交流を持とうとしていなかったが、今では若い兵士達と談笑する程度には打ち解けるようになった。
「……本当に変わる時が来たのかもしれないな、メネタトンは辺境伯家の為にあるべきか……」
ソイルワーク男爵の視線の先に美しい黒い毛皮の幻獣ガルムのユルと共に城壁の上へと立って遠くを見つめているシャルロッタの姿が見える。
白銀に輝く長い髪が風に靡いている……辺境の翡翠姫の愛称は伊達ではないと思わせる神秘的な美しさを持つ横顔。
だが一度戦いともなれば想像を絶する能力を発揮し魔獣を薙ぎ倒す……人を軽く屠る悪魔すら一撃で倒してのけるまさに英雄とも言える存在。
彼女の婚約者であるクリストフェル・マルムスティーン第二王子も勇者の器であると言われ、戦争でも英雄的な活躍をしている。
「……今世代は何が起きているのか……王都に座す陛下も姿を隠されているし、聖女はいい噂を聞かん」
『全てを認め、全てを取り込め、神はいつもあなた達を見てそしていつか取り込む、信じよ崇めよ……』
王都にて認定された聖女ソフィーヤ・ハルフォードは第一王子派の領地を回り、神の教えを説いていると言われるがその教えはそれまでにないものだ。
元々女神を信奉する聖教はこの国だけでなくマルヴァース全体でも勢力が大きい宗教として知られており、信じることで奇跡をもたらすがその根幹にあるものは全てを愛するとされる女神の言葉だ。
それを変えることは基本的に許されていない、いや女神は気にしないとされるがやはり歴史の中で連綿と紡がれてきた教義はそう簡単に変わることはない。
聖女ソフィーヤはそれまでの聖教で使用されてきたシンボルではなく、四つの柱をもつ奇妙な像を配るようになっている、それが女神の認めた新しいシンボルなのだと伝えて。
実際に聖女としての能力は高く病に苦しむ人を救ってはいる、だが……ソイルワーク男爵は以前遠目に見たことのある聖女のジトッとした妖しい雰囲気が好きになれずにいた。
どことなく不安感を感じる雰囲気、そして取り巻きの人間は彼女の学友だったと言われる令嬢が多い中、一人だけ特別に平民の少女を連れ歩いていることに違和感を感じた。
その少女はぼうっとした虚な瞳で聖女のそばにいる……護衛のように見えないが、時折思い出したように鋭い目を周囲に配っている。
たまたま目があった時にソイルワーク男爵の背筋が凍りつくほどの殺気を放ったが、無害だとわかるとすぐに興味をなくして目を逸らしていた。
青髪の少女……聖女の友人とされる彼女ではあるが、本当に友人関係なのか怪しいところだ……それに彼女の首には首輪が巻かれており、まるで奴隷のようにも見えるからだ。
「閣下! そろそろ片付け終わりますよ」
「ん? ああ……すまない考え事していた」
「お疲れでしょうから、この後街全体で炊き出しをやろうって話になってます、無事街を守ったことを住人も喜んでますので」
「そうか、砦の備蓄を出すといい、酒も許可しよう。残念ながら命を落としたものへの供養も兼ねてな」
男爵の言葉に片付けを終えた兵士達と街の住人達がわっと湧き立つ……命を繋げたことに対しての喜び、街を無事に救ったことへの高揚感、そして残念ながら命を落としたもの達への供養。
心を込めて酒と温かい食事で死者を弔い明るく新しい生へと向かえるように送り出す……女神はかつてそう伝えたとされており、女神を信仰する聖教では比較的一般的な葬送の儀式である。
死は終わりではない、死は次なる生への旅立ちでもある故に、聖教では葬送の儀式での飲食を認めている。
ふと男爵の元へと辺境の翡翠姫ことシャルロッタ・インテリペリが近づいてくるのが見え、彼は彼女へとひざまずいた。
「……ご苦労ですねソイルワーク男爵、周囲には魔獣の気配はありませんので安心して葬送の儀式を進めてください」
「シャルロッタ様……承知いたしました、それであなた様はどうされますか?」
「クリス……いや殿下も心配されているでしょうしすぐにエスタデルへと戻りますわ、元々数日の予定でしたから」
「そうですか……街の者やラッシュ司祭が悲しみますね」
「あー……その、ラッシュ司祭が少しわたくしのことを誤解されてるようで……ちょっと会いにくいというか」
少し困ったような顔で頬を掻くシャルロッタは苦笑しながら少し離れた場所で、炊き出しの準備に参加しているミルア・ラッシュ司祭へと視線を向ける。
それでもラッシュ司祭を見つめるシャルロッタの目は優しく、使徒扱いに困っているだけで別に彼女自身を遠ざけようとはしていないのが印象的だった。
今内戦状態へと突入しているイングウェイ王国だが、王都にこもって一方的に布告を連発しているアンダース・マルムスティーン国王代理への印象は悪く、二度の小規模な衝突を制しているインテリペリ辺境伯家の名声は次第に高まりつつある。
もし内戦が終結し、クリストフェルとシャルロッタが王位についた場合どうなるだろうか? 彼女は国母として相応しい慈愛と寛容さを持つのではないかと思える。
「シャルロッタ様、ソイルワーク男爵家及びメネタトンは総意をもって辺境伯家のお手伝いをいたします、閣下にもそうお伝えください」
「そう……男爵の決断を嬉しく思いますわ」
そう言って微笑むシャルロッタだが、歳の離れた男爵でも見惚れそうになるほどの美しい笑顔だと思った。
クリストフェル第二王子が婚約者にと望む気持ちもわかるな……と感心してしまうが、そんな思考を一度振り払うと彼は改めて臣下の礼を行う。
メネタトンの勢力は小さいが内戦においては重要な補給拠点、そして物流の一部を担うことになるだろう。
この戦いがいつ終わるのか男爵には全く想像がつかないが……少なくとも冬が終わる時期に最大の衝突が待っているのだろう。
シャルロッタは優雅に男爵へとカーテシーを披露すると、にっこりと微笑んだ。
「ではわたくしはエスタデルへと戻りますわ、男爵のお言葉お父様に伝えておきますね」
「……あー、まじ辛え……神様扱いやめてって言ってるのに……」
「……とても令嬢と思えない言動ですね……」
空を駆ける漆黒の幻獣、ガルム族のユルと共に白い光の帯を引いて空を飛ぶわたくしはため息を吐きながらやれやれと言ったふうに肩をすくめる。
メネタトンから離れた場所なんで別に誰も見てねえだろ、空飛んでるんだし……わたくしは少し前の出来事、疫病の悪魔との戦闘のことを思い返す。
煉獄から帰還したわたくしは砦にあったベッドの上に寝かされた状態で目覚めた……そりゃそうだ、魂だけが堕とされたんだから肉体はこっちに残ってたというわけだ。
実際には肉体があるように感じたけど、それも魂に紐づいた情報を参照し再構成されているということなのだろう。
「で、どうして寝てたんです?」
「寝てたんじゃないわよ、煉獄に堕とされてたの」
「へー」
「……アンタ最近反抗的よね?」
「そんなことはないです、ただその煉獄というのがよくわからなくて……」
ああ、そっか……わたくしも知識でしか知らなかったが煉獄自体、概念はあったが空想の産物とされてきたのだから仕方ない。
幻獣であるユルですらよくわからないというのは意外だった……まあそんな場所に堕とされるような罪を被るガルムなんかいないか。
メネタトンで目覚めてすぐに邪悪な気配に気がついて飛び出したけど、大暴走のバタバタでわたくしの着替えなんかしている暇がなかったのだろう。
いつもの服装で寝かされてたからほんのちょっとだけ服が型崩れしてて悲しい……新しい服を作るか買うか、それにエスタデルですぐに着替えたいな。
「……さてもう少しでエスタデルね……クリスも心配しているでしょうし、無事だって伝えないとね」
_(:3 」∠)_ お待たせしました! 次回からは幕間を更新する予定です
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