第二一〇話 シャルロッタ 一六歳 暴風の邪神 一〇
——メネタトンの街にまで聞こえる轟音はある時を境に聞こえなくなっていた……。
「……音は消えたな……心なしか雪の量も減ったか?」
メネタトンの街の中心地、居城としている小さな砦ヴァルケヒエッテンの窓から外を眺めつつ、ビョーン・ソイルワーク男爵はほっとため息をついた。
ソイルワーク男爵……年齢は三〇代中盤で鍛えられた細身の肉体と仕立ての良い衣服を身に纏った赤髪の男性であり、このメネタトンの街を治める領主である。
衛兵からの報告で警戒態勢を強めていたが、これでようやく一息つけるだろうか? 内戦に突入している第一王子派と第二王子派の争いから少し距離を置きたがっている身としては、領地で起きる異変に辺境伯家の力はあまり借りたくはないのだ。
インテリペリ辺境伯家の寄子貴族の身ではあるが、戦となっても兵を出すことはしないと通達をしているため、介入を招きかねない事態は避けたいとも考えている。
「……衛兵に連絡を、警戒態勢を解いてよろしい」
「はっ!」
ビョーンの言葉に頷くと、執事を務めるエルメントは静かに頷くと執務室を出ていく……メネタトンは辺境伯領の中でも北部に位置しており、冬の間は雪に閉ざされることも多い秘境とすら称されることの多い山地に建設された街だ。
人口は二〇〇名程度だが、周辺の山地を住処にしている魔獣などを狩り加工することなどで生計を立てる民が多く、さらには魔獣を狙って冒険者が集まるため冒険者組合の支店が建築されている。
そのため人口よりも来訪者が多い街でもあり、辺境伯家にとっても重要な都市の一つになっている……それ故歴代ソイルワーク男爵の権限は大きく、他の寄子貴族とは格式が異なっている。
「……そういえば先日衛兵がシャドウウルフを連れた女を見たと話していたな……」
ビョーンは衛兵達が話していた噂話をふと思い出した……シャドウウルフはメネタトンでも多く狩猟の対象となる魔獣だが、冒険者が連れている従属された個体は珍しい。
美しく輝く黒い毛皮をもつシャドウウルフを連れている冒険者の噂話などここ数年聞かなかったな……と辺境伯領で活動する冒険者の記録を思い出す。
魔物使いとして登録されている冒険者の数は非常に少なく、冒険者組合のリストにも数えるほどしか載っていなかった。
しかもその中で女性となると……とそこまで考えると、ビョーンは一つだけ思い当たる節を思い出した。
「……確かシャルロッタ嬢はガルムを連れていたな……」
インテリペリ辺境伯家の誇る辺境の翡翠姫ことシャルロッタ・インテリペリは幻獣ガルムをどういうわけか従属しており、その能力は未知数だと言われていた。
だが王都において第一王子アンダースによって第二王子であるクリストフェルが政変に巻き込まれ、脱出……その後紆余曲折がありハーティにおいて戦闘が繰り広げられ、第一王子派をなんとか追い返した。
その際に辺境の翡翠姫が凄まじい活躍をした、という噂が流れてきている……男爵は昔見たことのあるシャルロッタの顔を思い出す。
美しい少女だった……銀色の髪にエメラルドグリーンの瞳、母親似の整った顔立ちは辺境伯領だけでなく、王国すべての男性の憧れとも言われていた。
「……まさかな」
彼女が素晴らしい能力を隠し持っていた、ということは辺境伯領だけでなくハーティの戦いを知るものには次第に知れ渡っているのだが、男爵の治めるメネタトンは内戦に積極的な介入をしていないこともあって詳しい情報を手に入れることができていない。
それ故にシャルロッタが人外の能力を持ち、相手をねじ伏せる凄まじい強さを持っている……という本当の内容を知ることはなかった。
せいぜいガルムを使役しているのだから、それなりに戦えるのだろう……という評価ではあるが、この街に彼女がきているのだとしたら、寄子貴族としてもそれなりの応対をしなければならない。
その時、扉がコンコンと叩かれたため男爵は「入れ」と声をかけると……先ほど出ていったはずのエルメントが少し困った表情で部屋へと入ってきた。
「旦那様……実はお耳に入れたいことがございます」
「どうした? 衛兵には伝達が済んだのだろう?」
「はい、その際に聞いたのですが……シャドウウルフの背に乗った女の話を伝えられまして……」
エルメントによると先日街に訪れた魔物使いの女冒険者が一旦は街の外へと出たものの、あの轟音や雷光などが収まったあと、シャドウウルフの背に乗せられて気を失ったまま街へと帰還したのを衛兵が見ていた。
銀髪の女性で顔ははっきりとは見えていなかったが、少なくとも普通の冒険者には見えなかったと報告してきていた……さらにそのシャドウウルフは特別な個体らしく、衛兵が止めようとしたところ言葉を話し説明をしてきたのだとか。
『おい、待てっ!』
『我主人が疲弊していて……先日泊まった宿に戻る予定です』
『喋れるのか?』
『主人によると我は特別な個体だとかで……確かこの辺りに冒険者の証が……』
そう言って口元で背に乗せた女冒険者の首元から青銅級を表すペンダントを引っ張り出して見せたのだという。
不審ではあったものの、女性の容態が心配だという特別個体のシャドウウルフはそのまま冒険者達が常宿にしている「暁のコブラ亭」にいるとだけ伝えて、そのまま立ち去ったそうだ。
「……言葉を喋るシャドウウルフだと……?」
「はい、かなり流暢に喋っていたそうですが……」
「……そんなものいるわけがなかろう……まずいな、馬車の準備を急げ!」
男爵が報告を聞いて顔色を変えたのを見てエルメントは少し驚くが、すぐにビョーンはメイドを呼ぶと着替えの準備を始める……シャドウウルフを名乗る喋る魔獣、銀髪の女性……男爵には思い当たる人物が一人しか思い浮かばなかった。
辺境の翡翠姫シャルロッタ・インテリペリ……インテリペリ辺境伯家の令嬢にして、第二王子の婚約者にしてハーティの戦乙女……先日の異変ももしかしたら彼女がこの地に現れたことから始まったものかもしれない。
そして主家であるインテリペリ辺境伯家の令嬢を無碍に取り扱ったとしたら、どういう言いがかりをつけられるかわかったものではないのだ。
まずはシャルロッタがどうしてこのメネタトンへやってきたのか確認をしなければいけない……そして早々に立ち去っていただかなくては。
「……本当にまずいぞ……下手をすると、このまま主家の娘を匿っていると第一王子派の矛先がこの街へと向くやもしれぬ」
「……さて……どうやらシャルロッタ何某はメネタトンへと到着したようだ」
小さな街の明かりが見える場所、高台の上にて不気味な姿をした使役する者が黄金に輝く瞳をぎょろぎょろと動かしながら呟く。
あえて手出しをせず、足取りを追っていたが辺境の翡翠姫は疲弊しているらしく、道中幻獣ガルムが背負ったまま全く動こうとしなかった。
暴風の邪神も存外に役に立つ……と内心ほくそ笑みながらも、メネタトンを遠巻きに見つめてどうするべきか思案を巡らせる。
この地は第一王子派の所領からは少し離れており、最も近い場所でも数日はかかる位置になっている……冬の間は陸の孤島とさえ言われるこの地に辺境伯家に察知されずに軍勢を呼び出すことはかなり難しい。
「……なら手駒を作り出すか……」
使役する者はパチン、と指を鳴らすと地面に急激な勢いで汚泥のようなものが渦を巻いて出現する……そしてその汚泥は次第に形を成していき、でっぷりと太った体とあちこちが歪に歪んだ、ニタニタと笑顔を浮かべる悪魔がそこに出現する。
疫病の悪魔……以前この世界に顕現したサルヨバドスとは違う個体で、色合いが紫色を中心とした少しカラフルな色合いの第四階位に属する悪魔があたりを興味深そうに見回しながら目の前に立つ訓戒者へと首を垂れる。
「ケヒヒッ! ……ブラドクススが召集に応じた」
「久しいな病原菌にして汚泥の一つよ」
「我が神が愛する訓戒者の召集に答えぬ者いない」
「ふむ……一つ仕事を任せたい、やれるか?」
「何なりとお命じを」
ブラドクススは笑顔を浮かべると、まるで待っていましたとばかりに両手を擦り合わせてまるで媚を売るかのような仕草を見せる。
第四階位疫病の悪魔はディムトゥリアの眷属そして最弱の尖兵にして、病原菌を撒き散らす汚物である。
以前呼び出されたサルヨバドスは呪いという分野に精通したものだったが、今回のブラドクススは病魔に長けたものである……彼を使う意味は一つしかない。
「では疫病の悪魔に命ずる……冬の魔獣へと病魔を忍ばせ、我の合図にてメネタトンへと襲撃を仕掛けさせる」
「大暴走を起こすのですな」
「そうだ……お前の権能にあるだろう?」
恭しく首を垂れたブラドクススはニタニタと笑うと、その場で肯定を意味するのか楽しそうに小躍りを始める……彼の存在意義は病気を蔓延させること。
病気となるものはなんでも良く、訓戒者に言われた大暴走を起こす病原菌を魔獣に植え付けていくのは喜びを感じる仕事なのだ。
嬉しそうに小躍りを繰り返しながらその場をさっていく疫病の悪魔を眺めながら、歪んだ笑みを浮かべた使役する者は、まだ何も知らないメネタトンの街を眺めつつほくそ笑んだ。
「……さあ、この小さな街をお前が守って見せよ辺境の翡翠姫……早く目覚めねば人々が死んでいくぞ、クハハハッ!」
_(:3 」∠)_ 暴風の邪神編は今回で終わりで次回からは新章になりますー
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