第一九〇話 シャルロッタ 一六歳 侵攻作戦 二〇
——暗く静かな部屋の中、鳥を模した仮面を被った闇征く者がふと書類を確認する作業を止めて入り口へと視線を動かした。
「……どうした」
入り口の扉が開き、三叉に分かれた奇妙な頭部をした細身の怪物が音もなく進み出てくる……使役する者と呼ばれる訓戒者が歪んだ笑みを浮かべて筆頭へと軽く頭を下げる。
その仕草は優雅でどことなく気品を感じさせるものだが、作業の邪魔された闇征く者はふん、と鼻を鳴らすと書類へと視線を戻す。
だが部屋に現れた使役する者はそれには構わずに両手を広げて彼に向かって話しかけ始める。
「……ハーティ近郊で侯爵軍と辺境伯軍の本格的な衝突が始まります、内戦で初の主力軍同士の戦いになる予定です」
「ああ、そうなると話していたな……前回のハーティ攻撃は主力とは言い難い規模だったからな」
「はい、まあ兵力などどうでもいいことなのですが……それと打ち砕く者と這い寄る者がそれに乗じてシャルロッタ何某を倒す予定です」
その言葉に書類を処理する手を止めると闇征く者は訝しがるような視線で使役する者を見るが、その視線に怯むことなく不気味な外見をした怪物は再び恭しく頭を下げた。
闇征く者の脳裏にシャルロッタ・インテリペリの姿が思い起こされる。
確かに知恵ある者との戦いの際、あの時点で戦ったならば……訓戒者二人を相手に勝てるほどの力は感じなかった。
しかし人間の潜在能力は計り知れない……特に勇者の系譜に属するものの爆発的な成長はこちらの予想を簡単に超えてしまう。
「そうか……策を弄したのだろう? なら黙って見ていることだ」
「……クリストフェル王子は殺さぬように厳命してあります」
「あの愚かな第一王子の指示か?」
「左様でございます……観衆の前で死刑に処するのだと息巻いているそうで、全く……」
「それを宥める欲する者も大変だろうな」
欲する者は人を支配し思うように動かせるが、それでも人の欲望はいつしか大きくなる……当初は控えめに心弱き者であっても次第にその自我は肥大化し、本人の意思を超えて際限なく広がる。
彼らからするとアンダースは心弱き者であり、操るのは容易いが……元々の生まれと生活環境を考えると支配しているにもかかわらず操作できない怪物が生まれてしまうかもしれない。
そういえば……と闇征く者は何かに気がついたのか使役する者へと視線を戻し問いかける。
「……堕落の種子を持ち出したようだが?」
「……混沌の戦士を作り出すためだとか」
混沌の眷属は基本的に神の元より染み出した汚泥の中より生まれるが、人の身でありながら混沌の眷属へと至る道が存在している。
堕落の種子と呼ばれる果実はそれを可能にすると信じられており、現代においてもその在処を探すために人間だけで構成された混沌教団では捜索が続いているのだ。
この果実より生まれる眷属は人の姿でありながら、人ではなくなったもの……混沌の戦士と呼ばれる無慈悲な戦士か、堕落の落胤と呼ばれる意思なき肉塊などが生み出せるようになる。
その果実の在庫が減っていることに闇征く者は少し前から気がついていた。
「……普通の人間に分け与えても腐れた肉塊程度しか生み出せないだろう」
「人相手にはそれでも十分かと」
その言葉に再び鼻を鳴らしてから書類を整理する作業に戻り始める闇征く者を見て、一度頭を下げると使役する者はゆっくりと影の中へと姿を溶け込ませていく。
完全に姿がなくなったと判断したのか仮面を被った魔人は処理が終わった書類をまとめて燃やすと、椅子から立ち上がり大きく背伸びをするように手を伸ばす。
打ち砕く者は強い……単純な戦闘能力だけでなく、ワーボス神が本来象徴する狩人としての能力にも長けている。
負けることはあり得ない……はずだが、それでもあの銀色の戦乙女が醸し出す雰囲気と何らかの予感が魔人の心に深く期待感を持たせている。
「……願わくは我と戦える器であると信じているよ、シャルロッタ・インテリペリ……お前と殺し合いをしたらどれだけ心躍るのだろうか?」
「シャル……! 早く軍に戻りませんと!」
今この瞬間にもクリスやエルネットさんのいる主戦場では激戦が行われているのだろうけど……だが動くわけにいかない。
ユルが慌てたようにわたくしへと話しかけてくるが、今ここを動くのは良くないと自らの感覚が告げていることでわたくしは眉を顰めて死体だらけとなっているこの場所に視線を向ける。
頭を潰したギーラデルスの肉体がぴくりと動いたことでわたくしはにっこりと笑顔を浮かべてからその死体に向かって話しかけた。
「ねえ、生きてるでしょ? わかっているわよ」
「シャル! 何を頭のおかしいことを……」
「なぜわかった」
首のないギーラデルスの死体がゆっくりと立ち上がったことで、ユルは飛び上がりそうなくらいの勢いで驚くが……わたくしはにっこりと微笑む。
っていうかユルはわたくしが頭おかしいとか思ってるわけだな、こいつ絶対におやつ半分の刑にしてやろ。
わたくしが硬い意思を持って契約している幻獣ガルムの待遇を考え直している間、ギーラデルスは頭がないままの体でゆらゆらと揺れながらも頭を失った首から新しい頭……それも前と寸分違わぬヤギに似た頭部を生やすと驚いたようにわたくしへと話しかけてきた。
「……我ら下級悪魔の権能があれば頭ではなく、人間で言うところの心臓に当たる部分を破壊しなければ復活できると言うのを知っているとでも?」
「まあ散々倒しているしね……貴方はそれなりに強力な個体だから戦場に乱入されても困るのよ」
「ふん……随分と買い被り過ぎだ……単純な戦闘能力では敵わないかもと思ったからこそ欺こうとしただけよ」
ギーラデルスは不満そうな表情を浮かべると鋭く尖った爪が生えた指を使って頬をガリガリと掻く。
だがわたくしは笑みを浮かべたままギーラデルスとの距離を測る……いや、こいつ雑魚ではあるが相当マシな方の雑魚とわたくしが認定してやろう。
死を偽装し頭を吹き飛ばされても復活できる権能は相当なレア個体に許された特権……ギーラデルスは軽くため息をついてから二本の腕を使ってバキバキと指を鳴らし始めた。
「……後で戦場に戻ってきていいところでわたくしの背後でも突いてやろうって算段でしょう?」
「……よくわかっているな、闇討ちこそ弱者の戦法だからな……だがお前は勘違いしている」
「何をですの?」
「正面切って戦ってもこれまで負けたことはほとんどない! はああああっ!」
ギーラデルスは再び魔力を集中させ始める……先ほどと同じ黒い魔力が集約していく。
お前さっき負けたし降伏したじゃねーか、と言うツッコミを入れるか否かほんの少しだけわたくしも迷ってしまうが、先ほどよりも強大な魔力の渦にちょっとだけ彼が何をしようとしているのか見てみたくなった。
動こうとしないわたくしを見てギーラデルスは怒りを覚えたのか、表情を歪めてさらに魔力を集約していく……おーおー、こりゃすごい下級悪魔にしちゃ破格の魔力を兼ね備えた個体だ。
こいつあと一〇年くらいお勤めすれば階位を持つ悪魔にでも昇格できたのかもな。
「……へえー! すごいすごい、これだけの魔力よく集めたわねえ」
「シャル……! そんな悠長に見ていては……!」
「笑顔でいられるのも今のうちだ……いくぞ! 混沌魔法……忍び寄る死ッ!」
下級悪魔の四つ腕から放たれた漆黒の魔力が空間を塗りつぶしていく……結界魔法? 地面と周囲の空間を黒い魔力が侵食し、無機物有機物関係なく全てを腐食させていく。
地面が腐食し灰色へと変色しそのまま軽い音を立てて崩れ落ちていくのが見える……ふむ、この魔法は急速に生命力を空間ごと削り取って腐食させていく効果があるのか。
わたくしの防御結界へと触れた黒い魔力がパチパチと火花をあげていくのを見て、わたくしは少しだけギョッとした……結界を侵食している?
「……どう言うこと? この程度の魔力で……」
「この空間に閉じ込められたもの全て……我の魔力により腐れ落ちる……魔力でできた防御結界は素晴らしいがそれでもこの魔法の必中効果からは逃れることはできぬ!」
侵食の具合はかなり遅い……そうだな、わたくしの肌に触れるまで二分程度というところか? あまり広範囲に展開しても仕方ないからって体表ギリギリに結界を張り巡らせたことが仇となってそれほど猶予がなくなって来ている。
だけど……わたくしはチラリとギリギリ効果範囲外にいたユルを見るが、腐食の度合いが凄まじいらしく彼は中へとはいることができない。
シュウウッ! という音を立てて先ほど倒したメルドルメルの死体があっという間に骨になるのを見て、ギーラデルスは高笑いを始めた。
「……クハハハーッ! この魔法から逃れられたものは我の魔生に置いて一人もいない……まずは公然ストリップショーから初めて、骨だらけになってもらうぞ小娘っ!」
_(:3 」∠)_ 次回からお話としては「打ち砕く者編」となります〜
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