(幕間) 虹色に光る影 〇五
——エルネットの背筋にゾワっとした寒気が広がる……何度か彼を助けてきた直感、それが彼らに迫る危険を察知しているのがわかった。
「……なんだ? 殺気?」
エルネットのつぶやきにリリーナがハッとした表情を浮かべて、弓に矢をつがえて辺りに視線を配る……井戸の底にある洞窟、ドラゴンスネイルを倒した後洞窟の奥へと歩いていた彼らの前に、深く青い水を湛えた湖が空洞内に広がっているのが見えた。
そこへ到着した瞬間……エルネットの背中には強くこちらを見て、まるで獲物を狙うかのような視線を感じている。
戦場のような雰囲気……いや、それとも少し違う、超強大な魔物の巣に紛れ込んでしまったかのようなじっとりとこちらを値踏みする視線、駆け出しの頃に先輩冒険者と迷い込んだドラゴンの巣にいるかのような感覚。
「……空気が重い……何かがおかしい」
「エ、エルネット……水の中に何かがいます……邪悪な何かが……」
エミリオが青ざめた表情で体を震わせる、神の信徒である彼に備わる加護が自らに迫る危険を感知して強く警鐘を鳴らしているのだ。
邪悪な何かが水の中からじっと息を潜めてこちらを見ている……エミリオは槌矛を握る手に知らず知らずのうちに強く力が籠るのを感じる。
視界に入る湖には何もいるようには見えない……水面は漣一つ立っていないのに、なぜかそこには不可視の何かがこちらをじっと見ているような気分にさせられる。
「……なんだ、これ……い、いや……何かいる……エルネット……」
「……大丈夫、不可視であっても命を食う怪物だ……必ず倒せる」
震える手をなんとか抑えながら腰にある長剣を引き抜く……この剣は駆け出しの頃から大事に使っている既製品に近い武具だが、それでも彼の命を幾度となく救ってきた相棒だ。
不可視の生物に対して、どれだけの効果があるかわからないがそれでも相手は命を喰らい弱らせる怪物だ。
もうすでにこの世にいない先輩冒険者がよく話していた『命を食うものであれば剣で殺せる』という言葉を信じて彼は泡立つように感じる殺気の方向を感じ取ろうと油断なく武器を構える。
「……くああっ!」
ふと水面に波紋が広がった気がした……それが合図なのか殺気の塊のような何かがエルネットをめがけて襲いかかってきた。
声もなく音もなく……姿すら見せずに襲いかかる謎の怪物……だがエルネットの目に空気が揺らぐような、虹色の何かが映った気がした。
咄嗟に彼は手に持った長剣を横なぎに振るう……驚くべきことに、何もないはずの空間に剣が触れた瞬間まるで水を切ったかのような重い手応えが伝わり、彼は目を見開く。
「……な、手応えがあるッ!」
「いたああああい!」
彼らの目の前に虹色に光る不定形のモヤのようなものが浮かび上がる……それは人でも獣でもなく、まるで大気に漂う煙のような不気味な何か、がそこにはいた。
足はない……いや手に当たる部分も存在しない……ただその空間に漂う不気味な虹色のモヤは明確な殺意を持ってエルネットをじっと見ているのがわかる。
なんだこれは……こんな魔物が存在するなんて知らない、冒険者組合ではこんな怪物がいるなんて教えてはいないはずだ。
「な、ん……うわああっ!」
虹色のモヤがまるで触手を伸ばすかのように、エルネットへと迫るとその虹色の怪物に触れた彼の鎧が白く変色し煙を上げ始める……まるで火に炙られたかのような鋭い痛みを感じて彼はその場を離れようとするが、恐ろしい力で全身を引き込まれそうになり悲鳴を上げる。
わからない、わからない……! なんだこれは! エルネットは混乱する頭で必死に逃げ場を探して左手に持った盾で虹色の怪物を殴りつける……手応えがあり怪物はその形を変形させながらも、すぐに盾を持つ腕に食いついて離れない。
焼け付くような痛みとともに腕から白く煙のようなものが上がり、彼は声にならない悲鳴をあげて苦しむ。
「エルネット!」
「炎よ踊れッ! 火球」
デヴィットが火球を撃ち放つと同時に、リリーナがモヤに掴まれて煙を上げ続けるエルネットの腕を無理やり掴んで引き剥がしにかかる。
火球は虹色の怪物に衝突するとまるで吸収されたかのように爆発せずに消滅していく……デヴィットはその光景を見て、唖然となりながらも目の前にいる怪物が持つ特性は、力の吸収であることに気がついた。
リリーナの手がエルネットの腕に触れた瞬間、皮膚を直接炎に炙ったかのような凄まじい痛みが走る……顔を顰めながらも必死に彼を虹色の怪物から引き剥がした。
頬や肩、そして手から白い煙をあげながらも憎からず思っているリーダーの顔を見て、少しだけ嬉しそうに微笑むリリーナ……彼は幼馴染で大事に思っている彼女を抱きしめると、すぐに後ろで困惑している二人に叫ぶ。
「手応えはある! 攻撃をするんだ!」
「神よ……その力を我にッ!」
エミリオの言葉と同時に彼の持つ槌矛が白く光り輝く……治癒や解毒など神の加護として知られる力だけではなく、信徒が求めれば神はその力を持って神罰を与えるための武器を与えるという。
神聖なる力を降臨させたエミリオは両手で武器を構えると、雄叫びと共に突進する……元々神官の道を選ぶ前はなうての荒くれ者として知られていた彼だ、エルネットからも「俺よりも戦士らしい性格」と揶揄されるくらい、彼は場馴れをしているのだ。
その力、神罰を与えるための加護を武器へと宿したエミリオは虹色に光る怪物へと武器を振り下ろす……その攻撃で怪物の形が変形し、苦しむようにゆらゆらと揺れ動き悲鳴をあげた。
「ひいいい……ごはんがぶった……!」
「喋る知能がある? いや幼児レベルか……だったら!」
リリーナをデヴィットへと預けたエルネットは剣を構えて突進する……先ほど焼かれた腕はまだ痛みを発している、だがこの不可視に近い強力な魔物をここで倒さなければ被害は大きく拡大するに違いない。
勇気を振り絞り彼は片手で剣を突き出す……水の中へと武器を突き入れたような感覚のあと、肉を断ち切るような感触が生まれ、虹色の怪物が絶叫をあげる。
「ひぎゃあああああっ!」
「お前は……地獄へと帰れっ!」
突き入れた剣を横に振り払う……その一撃は不可視の怪物に確実に致命傷を与えたのだろう……血液などもこぼすこともなく、まるで煙が払われた時のように虹色の光はゆっくりと透明なものへと変化していく。
それと同時に先ほどまで感じていた強い圧迫感や、殺気がゆっくりと消滅していくのがわかる……デヴィットが何らかの呪文を唱えた後、慎重に辺りを見てからふうっ! と大きく息を吐いた。
「……倒せ……たのか? いや倒したなこれは……不可視だが命があったんだろう……」
「……リリーナ! 大丈夫か?!」
「ああ、安心しろよ……生きてるわ」
「ってお前顔に火傷ができちゃっているじゃないか、軟膏塗るからちょっと待ってろ!」
「……いいって、自分で塗るよ!」
リリーナの頬にひどい火傷とそれに合わせてまだ血液が沸騰しているような臭いと、煙が上がっている……彼女を心配しているエルネットの左腕もひどい火傷で同じように煙を上げているような状況なのだが、痛みを忘れてしまっているのか彼は慌てふためいて自分の荷物から火傷を治療するための軟膏を取り出そうとしている。
エミリオとデヴィットはそんな二人を見てからお互い目を合わせて苦笑いを浮かべるが……すぐに先ほどまでいたはずの虹色の怪物が倒れていたであろう場所へと視線を向ける。
「しかし……こいつは何だったんだ?」
「魔法生物か? でも虹色の光で不可視……生命を食うなんて生物初めて聞いたぞ?」
「混沌の生物ですかね……」
この世界に存在する混沌、混沌神の使役する眷属や生物は世界にいる魔獣とは少し違う生態系や、外見をしたものが多く存在している。
過去の記録にも形容し難い外見をした不気味な怪物がこの世界に出現し、大きな災厄を撒き散らしたと言われている……明確な殺意と、幼児程度の知能、だが物理で排除できる不可視の怪物のことを冒険者組合にどう報告すればいいのだ?
考え込む二人に、嫌がるリリーナの頬に精一杯優しく軟膏を塗っていたエルネットが答えた。
「……調査結果は謎の怪物が現れて襲われたが対峙した、目に見えないから持ち帰ることもできなかった……俺たちの傷を見れば嘘をついているなんて言われないだろう?」
——それは水の中に住んでいた。
冒険者たちは不可視の怪物を倒したことで当面の脅威は去ったと判断し、村に戻った後怪物がいたことやそれの影響が水や動物に出ていたことを告げると、王都へと報告のために戻ることになった。
だが、彼らは水の中までは調査をすることはできていなかった、傷を負ったことや報告を優先したためなのだが……誰も知らなかった、深く冷たい水の底に虹色の球体が残っていたということを。
誰も知らないうちに、その球体はまるで中から食い破るかのようにカタカタと揺れている……今はまだ生まれ出でることはないだろう、だがいつの日か成長した怪物が生まれる日が来るのを、誰も知ることはない。
_(:3 」∠)_ ということでエルネットさん達の過去話を少しだけ紹介……コズミックホラーっぽいの書きたかったんや
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