第一一九話 シャルロッタ 一五歳 知恵ある者 〇九
——ずるり、ずるりと紫色の血を滴らせながら、必死に地面を這いずるものがいる……それは混沌の眷属として君臨していた訓戒者の一人であった。
「……素晴らしい、あれは素晴らしい……一〇〇〇年かけて辿り着いた魔の境地はまだまだ道半ば……」
大きく体を欠損した知恵ある者はボタボタと血を垂れ流しながら必死に這いずる……かろうじて残っている左腕と右脚をなんとか動かしながら前へ前へと進んでいく。
口から血液が溢れ出て咳き込むが、ここまでのダメージは何年ぶりだろうか? あの勇者アンスラックスですら彼をここまで追い詰められなかったはずだ。
あれほどの膨大な魔力、そしてそれを自在に操る脅威的な能力は……まさに最強の勇者として完成された存在なのだと、思い知らされた。
「ごふっ……どれほどの研鑽を積めばあれだけの力を得られる……しかも人の身で、まだ一四、五年しか生きていないあの小娘がどうやってあれだけの力を手に入れたと言うのだ……」
魔力はもう枯渇した……あの凄まじい攻撃で七国魔道騎は核ごと蒸発した。
彼もかろうじて体を保護するので精一杯だった、前回戦った時はまるで本気ではなかったと言うことか? それとも何か条件があるのか……だが、今回は引き下がってでも体を休めなければいけない。
生きていれさえすれば、時間をかけさえすれば知恵ある者は再び元通りに復活できる、それが混沌の眷属たる訓戒者の特権。
一度や二度の敗北で引き下がることは決してない、勇者や英雄を前に一〇〇〇年間生き延びてきたのには理由があるのだ。
「クハハハッ! だがあの攻撃で私は死ななかった……それ故次の戦いでは確実に勝つための作戦を立てられる……次はどうしてやろう……」
歪んだ笑みを浮かべながら、ずるりずるりと必死に進む……欠損した体の部位がないのは不便だ、私の魔力が回復するまでの辛抱だ。
知恵ある者はあの銀髪の美姫をどうやって殺してやろうか、心の中で悲鳴をあげ苦しむ彼女の顔を想像してニタニタと笑う。
あの美しい女を自らの手で嬲り、苦しめ……犯して最後には殺すのだ、どうやって殺してやろうか今から復讐することを夢想するだけでも楽しくて仕方がない。
だがその手がガツン、と固いものにぶつかったことに気がついて思考を止めてその固い何かを見る……黒い外套、恐ろしく仕立てが良いがこの世のものとは思えない黒い外皮を持った生物の皮をなめして作ったブーツに手が触れている。
「……随分とひどく痛めつけられたな」
「闇征く者……」
見上げたそこには、鳥を模した仮面の奥から冷たく光る赤い目をした人物……漆黒の魔人たる闇征く者が感情のない目で傷ついた知恵ある者を見つめて立っている。
どうしてここにと思考が混乱する……訓戒者は独立独歩、お互いの行動にあまり干渉することはしない、前回シャルロッタとの戦いに彼が干渉してきたのは本当に珍しいことなのだ。
冷たく光る赤い目が紫色の血液を垂れ流す知恵ある者をじっと見つめているが、どことなくその視線に居心地の悪さを感じて軽く目を逸らす。
「何をしにきた……私の敗北を笑いにきたと言うわけでもないだろう……」
「クフフッ! ……俺はお前に忠告したはずだ、あれは勇者の器、アンスラックスすら退けた強き魂なのだと……お前は目の前にある事象しか見ないな?」
「俺? ……随分と珍しい物言いをする……ああ私は負けた、だがそれは次なる戦いに備える充電期間にしか過ぎない、だから多少でも魔力をよこせ闇征く者」
「次? 次とはなんだ?」
「あの女を殺すために力を蓄える……当たり前だろう、私たちは混沌神の僕、死ぬことなどあり得ない……」
知恵ある者は歪んだ笑みを浮かべて黒き魔人を見上げる……だが闇征く者が自らを見る瞳が恐ろしく冷たく冷やかなものであることに気がつき驚きを隠せなくなる。
なんだこいつは……どうしてここまでくだらない物を見るかのような視線を、自分に向けているのだ……と困惑を隠しきれなくなる。
闇征く者はクハッ! と吹き出すとゆっくりと膝をついて知恵ある者へと右手を伸ばした。
「死ぬことがあり得ない……そうだな、お前はいつだってそう思っているのだろうな」
「……私はターベンディッシュの眷属だ、一〇〇〇年の間我が神に仕えてきたのだぞ」
「愚かな……お前の神はお前を見捨てたぞ」
知恵ある者はその言葉にギョッとした表情を浮かべる……ターベンディッシュが自分を見捨てると言うのか? 長きにわたって神のために働き続けた自分を見捨てると?
信じられない、と言わんばかりに濁った瞳を黒き魔人へと向けた知恵ある者を見つめる瞳はそれまでの彼とは違ってどこか面白いものを見ていると言わんばかりに細められている気がする。
闇征く者は左手でその不気味な仮面に手をかけ、固定金具を外す……その顔を見て、知恵ある者は本当に自ら仕えるべき神が彼を見捨てたと言うことに気がついた。
「タ、ターベンディッシュ神よ……私はあなたに一〇〇〇年以上仕えてきたのに! これがその終わりということなのですか?!」
「……お前は失敗した、ただそれだけだ」
「い、嫌だ! 私はまだ生きていたい、この世の中にある知識を、叡智を私のもの……ウギャアアアアアアアアアアッ!!!」
冷たく宣告する闇征く者がでっぷりと太っている知恵ある者を、まるで巨大な爬虫類が獲物を捕食するかのように飲み込んでいく。
訓戒者の長い悲鳴と、全身の骨を砕き咀嚼する耳障りな音を立て、紫色の血液を撒き散らしながら敗北した知恵ある者はその胎へと飲み込まれていった。
全てが闇征く者の中へと消え失せた後、少し野太い噯気を吐き出すと彼は再び仮面を顔に装着して固定金具を元に戻した。
「第三階位以上の悪魔を吸収すると神の力へと変換される……それは我々でも同じこと、ターベンディッシュの最も愛した眷属の力、我が神へと献上させてもらおう」
「あらあら……随分怖いことされますわね、筆頭……」
「欲する者か……どうした」
「いいえ、随分と醜く不味いディナーをお楽しみだったようで……王国の上層部については手筈通りに進んでおりますわ」
恭しく欲する者は所作の美しいカーテシーを見せるが、興味がないのか闇征く者はフン、と鼻を鳴らしてからその赤く光る瞳をもう一人の訓戒者へと向ける。
だがその底冷えするような冷たい視線にすら動じず、欲する者は歪んだ笑みを浮かべてニタニタと笑うと、ゆっくりと首を垂れた。
そしてその背後からもう一人の影が、巨大な漆黒の体を持つ、直立二足歩行するゴキブリの姿をした怪物這い寄る者が姿を表す。
「……珍しいなお前が姿を見せるとは、どうした?」
這い寄る者はその顎と口元にある器官を使って、不思議な摩擦音でその言葉に応える。
声帯機能を持たないと言われている彼は、この摩擦音で相手へと意思を伝える……混沌の眷属であれば、この摩擦音は意味のある言葉へと自動的に変換され伝わるのだ。
シャルロッタとユルが使う念話とは違ってこの能力は一方的で尚且つ不快感を伴うものだ、彼らの横で黙ってことの成り行きを見ている欲する者は不快感から表情を歪める。
彼の言葉にふむ……と少し考えるような仕草を見せる闇征く者だったが、考えがまとまったのか黙って頷くと這い寄る者へと語りかけた。
「承知した、ではお前の好きなように動くが良い、見えざる神が眷属の能力を見せてもらおうか」
這い寄る者はその言葉に感謝の意を伝えるか如く、恭しく首を垂れると影の中へと姿を消していくが、その姿を見て欲する者は「不愉快だわ、ゴミ虫が……」と呟き軽く唾を吐いた。
その姿を見てクフッ! と引き攣るように笑うと闇征く者はゆっくりと歩き出す……その背後について彼女も歩き出す。
彼らが歩いていく道の脇に生える草が命を吸われたかのように萎びて枯れ果てていく……そしてその枯れた草は黒く変質した不気味に捩れた植物へと変わっていく。
「……筆頭、シャルロッタ何某はいかがでしたか?」
「期待以上だ、あれは素晴らしい……クリストフェルは未完の器、シャルロッタ・インテリペリは完成された器といったところか」
「完成された器……それほどですか? それは楽しみですね……」
「ああ、あれは女神が遣わした新たな希望なのだろうな……だからこそ殺す、殺して魔王様の贄へと捧げる……働いてもらうぞ欲する者」
闇征く者は彼へとついて歩く彼女を見ずに応える……その言葉に欲する者は歪んだ笑みを浮かべて笑うと、ゆっくりと沈み込むように影の中へと姿を消していく。
誰もいなくなった変異していく森の中で闇征く者は一度立ち止まると、空を見上げてクフッ! と再び引き攣るような笑いを漏らすと、ドス黒い闇の魔力を展開してその場から消えていく。
「……さて、勝つのはどちらかな? 貴様ら女神と、我々混沌の僕か……盤上に駒は揃っている、あとは殺し合うだけなのだから」
_(:3 」∠)_ 闇征く者「お仕置きだべ〜」 知恵ある者「伏字! 伏字して!」
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