第一一二話 シャルロッタ 一五歳 知恵ある者 〇二
「いやー、これはすごいねえ」
「ででで……殿下?! そんな呑気なこと言わないでくださいよッ!」
笑顔で馬を走らせるクリストフェルと、必死の形相で彼についていくヴィクター、マリアン、プリシラ……彼らの後方には凄まじい数の兵士達が砂塵を上げながら第二王子一行を追いかけている。
数は二〇〇人を超えているだろうか? 第一王子派の追手はいくつかの部隊に別れて追跡を行っておりその中の一部隊にクリストフェル達は見つかってしまい、容赦のない追撃を受けているのだ。
だが追いかけられているはずのクリストフェルは時折追いかけてくる兵士たちの方を確認しつつ、苦笑いを浮かべて速度を調節してギリギリの速度を維持し続けていた。
彼に従う三人は追っ手の数に内心恐怖を覚えているのだが、それを見越してなのかクリストフェルはあくまでも笑みを絶やさずに爽やかだ。
「だってさ、これ見ようによっては僕らが軍隊を動かしているようにも見えるよね」
「追いかけられてるんですよ?!」
「あはは、だから捕まるわけにはいかないよねー」
プリシラの悲鳴に近い叫びにも緊張を見せないクリストフェルだが、マリアンは彼の頬に軽く汗が伝っているのを見逃さなかった。
そりゃそうだ、とは思う……彼からしてもこれだけの数の兵士に追いかけられた経験はなく、恐怖を覚えているに決まっている。
だが彼自身、彼の立場、そして矜持がそれをおくびにも見せないように必死に我慢をしているのだ……敬愛するクリストフェルは常に優しい、部下のことを思って彼自身の気持ちを奥底に押し込みあくまでも能天気な反応をみせているだけなのだ。
彼は何かに気がついたかのように空を見上げると、なぜか失笑したように軽く噴き出し苦笑しながら何事かを呟いた。
「……殿下……どうされました?!」
「ったく……まぁ、大丈夫だよ、僕はなんていうか、運がいいんだ」
「……え?」
「勇者の器って言われたのも、こんな状況でもそばにいてくれる部下がいるのも、王国で最も美しいとされる美女との婚約さえ僕にとっては幸運だった」
まるで今の状況にそぐわない言葉にヴィクター達は困惑したような表情を浮かべる……彼らの先には深い森が広がっており、そこに逃げ込めれば大軍はそう簡単に追いかけてこられないかもしれない。
クリストフェルは一度追撃してくる兵士の方をチラリと見てから、彼についてくる部下へと微笑むと、腰の剣を引き抜いた。
彼の手に握られた名剣蜻蛉は陽の光を虹色に反射して美しく輝く……剣を掲げたクリストフェルは逃げるのを止めたかのように手綱を引くと、追撃してくる兵士たちへと馬首を向けた。
彼が諦めたと思ったのだろう……追っ手は大きな歓声を上げながら猛然と彼らに向かって突進を始める……全員が手に武器を持ってクリストフェルの前へと出ようとするが、彼は手でその動きを制するとゆっくりと剣をまっすぐに空に向かって差し伸ばした。
「……イングウェイ王国第二王子クリストフェル・マルムスティーンが命じる……我と共に王国を取り戻さんとする勇者よ……進めッ!!!」
「「「「おおおおおおおおおおおおおおおッ!」」」」
朗々たるクリストフェルの言葉が放たれ、剣を振り下ろした次の瞬間、深い森の中から怒号とも歓声ともつかない鬨の声が辺りに響き渡る……そして地響きをあげるかのように森の中から完全武装の軍勢が飛び出していく。
凄まじい数……五〇〇人近い歩兵を中心とした部隊が森から飛び出して武器を片手に突撃を始めた。
いきなり軍勢が出現したことで、ヴィクター達はポカンと口を開けて間が抜けた表情を浮かべ彼らの横を通り過ぎて全力で駆けていく兵士達を見ている。
それまで追撃をしていた兵士たちは、新手の登場に武器を抜こうとするが、森の中からさらに多くの兵士達が現れたことで形成不利だと判断したのだろう、慌てふためくように踵を返すとそれまで来ていた方向へと走り出す。
「で、殿下……これは……」
「殿下……遅くなり申し訳ありません」
兵士鎧に身を包んだ銀色の髪にヘーゼルナッツ色の目の男性が彼らの元へと馬を進めてくる……その胸には捻れた巨竜の紋章が美しく刻まれている。
彼の名はウゴリーノ・インテリペリ……インテリペリ辺境伯家次男としてイングウェイ王国の騎士となった彼は、父親の襲撃事件の後辺境伯領へと戻っていた。
長兄ウォルフガングは当主代理として辺境伯領の政務を担当し、ウゴリーノは軍事全般を統括したことで大きな混乱もなく辺境伯軍は実働状態へと移行していたのだ。
「義兄上……いや、ウゴリーノ卿出迎えご苦労……でも、よくわかったね?」
「王都を出立する前に頂いた手紙から推察しましてね……間に合ってよかったです」
柔和な顔立ちのウゴリーノは優しく微笑む……優男と言っても良い顔立ちなのだが年若い頃から辺境伯領の魔物討伐などに参加しており、剣の腕もそれなりに高いと評判でもある。
ただ彼は一人の剣士というよりは軍指揮官に才を発揮するようで、王国騎士の記録によれば「武器の扱いは人並み以上、強者以下」という少し残念な記載が残っている。
ここに現れたのはウゴリーノが指揮する歩兵を中心とした部隊約一〇〇〇名で、練度は申し分ないインテリペリ辺境伯軍の中核とも言える精鋭揃いであった。
当面の危機は去ったと判断してヴィクター達は武器を納めてから大きくため息をつく……気がつけば追っ手は必死に逃げ惑い、逃げ遅れた少数の兵士がインテリぺリ辺境伯家の軍勢に取り囲まれ、武器を投げ捨てて降伏しているのが見える。
「……まさかこんな場所まで来てくれるとはね……他家への威圧にならなければいいけど」
「事前通告はしておりますから問題はないかと、ただ長居は無用ですな」
ウゴリーノは軽く頭を下げると、兵を指揮するために馬を走らせていく……その後ろ姿を見ながらクリストフェルは大きく、静かに息を吐いた。
ようやく緊張から解き放たれる……ドッと背中に汗が滲み出るのがわかる「運が良かった」と言ったのは本心からでもあるが、少しでも方向が違う……時間が少しでもズレていたらウゴリーノに会うことすらできなかったのではないか? と恐怖すら身を擡げてくるのだ。
彼が馬上で少し疲れ切った表情を見せたのを見て、マリアンが心配そうに彼の元へと馬を寄せてきたことに気がついたらしく、クリストフェルは力なく微笑むと気を取り直そうとして何度か自らの頬を軽く叩く。
「殿下……」
「ごめん、少し疲れた……シャルは無事だろうかね」
「この軍の中にはいらっしゃらないようですね……」
そうか、とだけ呟くとクリストフェルは背筋を大きく伸ばして表情を引き締め直すと、踵を返してウゴリーノの元へと駆け出す。
そんな主君の後を追うようにヴィクターとマリアンは慌てて走り出す……だが二人の表情は追撃を受けている時よりも晴れやかだ。
そしてこれまでの状況に茫然自失といった表情を浮かべていたプリシラは、それまでのことを思い返し危機的状況から脱したことを女神へと感謝するのだった。
「女神様……奇跡を、奇跡を本当にありがとうございます……こんなことが本当に起きようとは思いませんでした……」
「……国王陛下は謎の病魔に侵され現在昏睡状態となっている、国王不在の際には王太子として認められたものが代理で国政を担うと法で定められている」
オーヴァーチュア城に設けられた巨大な広場に力強く堂々たる声が響きわたる。
アンダース・マルムスティーン第一王子は礼服に身を包み、演説台の上に立ち羊皮紙の書状を片手に傅く第一王子派貴族と集まった民衆を前に演説を行っていた。
国王アンブローシウスは現在昏睡状態となり国政の場に出てくることができない状況、王妃も同じように部屋から出られないのだが、ここ数日は一部の貴族達以外にはその状況は公にされていなかった。
だがこれ以上の政治的空白は許容できないとばかりに、民衆に現状の状況が伝えられることとなったのだ……国王が病気、という話を聞き広場にざわめきが広がる。
「安心しろ我が民よ……私アンダース・マルムスティーンはイングウェイ王国国王代理として、今この時よりイングウェイ王国を護り、そして現在起きようとしている混乱の決着をつけると約束する」
アンダースの演説は続く……先日王都で暴動を計画していた貴族や商人たちの自宅を彼の命令で襲撃したこと、それにより暴挙は未然に防がれ王都に火の手が上がることはなかったこと。
だがその計画の首謀者を調査する中で自らの弟であるクリストフェル・マルムスティーンとその婚約者シャルロッタ・インテリペリが計画に参加していたこと……捕縛を恐れた二人は王都から逃げ出して行ったことなどを話していく。
「安心して欲しい我が愛しい民よ、私はここに宣言する……私と私を支持する貴族により悪の芽は必ず摘み取られるということを、王都に住む諸君には必ず安全を約束するということを……これより我々はクリストフェルとその仲間、叛徒を倒すために立ち上がるのだということを!」
「「「「お、おおおおおっ! 国王代理万歳ッ!」」」」
アンダースの言葉には奇妙な説得力があった。
それは彼が王となるべく育てられた青年であったことも関係していたが、それ以上に彼の中から放たれる奇妙な求心力、一種のカリスマとも言ってもいいそんな不思議な力がその場に集まった民衆達の意識を捻じ曲げていった。
その様子を見ながらアンダースは額に汗を滲ませながら、力強くそして次第に熱狂的な渦の中心として大きく両手を広げ、恍惚とした表情を浮かべながら叫んだ。
「……さあイングウェイ王国を愛する諸君、我が民よ……私と共に立ちあがろう、私と共に逆賊を皆殺しにして……この国を二つに割ろうとする悪魔を倒すのだッ!」
_(:3 」∠)_ 胆力については圧倒的な殿下(15)
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