3・真実の愛と弱った薔薇と手鏡
さて「真実の愛」とは、なんだ。
そもそものくくりが大きすぎる。
「真実の愛」の定義を理解すればそれで解決なのか。「真実の愛」に「目覚めれば」いいのか、または手に入れなくてはいけないのか。それすら分からない。
この一ヶ月考えるうちに「真実」と「愛」すら、わからなくなりつつある。
ヒュー様は長年、哲学的な観点から理解しようと試みたり、実感を伴うべきかと植物を育てる事に心血を注ぐ日々を送っていたらしい。
とりあえず恋愛小説から何か得ようと本を読む私を「今までになかったアプローチだ」と誉めて下さる。
「今は、どんな様子だ」
ヒュー様はヒュー様で別の書物に目を通しながら、時折尋ねる。
「はい、他国の王妃に恋い焦がれた王子が彼女を拐いました」
答える私の手は、先ほどからずっとモフモフとした毛並みを堪能していた。
こちらに身を寄せて数日した頃、ヒュー様の読むご本を隣から覗いていた時に、つい近所の猫を撫でる要領でヒュー様の手の甲を撫でていた。
はっと気づいた時には、かなりの時間が経過しており、その間ヒュー様は広いお心で咎めもせずに堪能させてくれていたのだ。
その後も集中すると知らず知らずの内に、ヒュー様を触っており、それが私の癖なのだと、もはや諦めたらしく「好きにしてよい」とお許しを得て、堂々と触りまくっている。もちろん手だけだ。
見た目より柔らかいかと思えば、見た目通りの剛毛だった。日々触るうちに艶と柔らかさが増してきたけれど、「特段なにもしていない」そうなので、私の気のせいだと思う。
「薔薇が弱っている」
「ですね」
ヒュー様と私は庭の薔薇を眺めていた。
「これが枯れる時は、私の寿命の尽きる時だ」
悲壮感を漂わせるヒュー様。でも毛深くて、半年共に暮らしていても私には表情は読み取れない。
「老婆がそう言いましたか」
ヒュー様が考え込む。
「――いや?」
ご高齢といっても何でも知っているわけじゃないのだと、妙に納得した気になりながら教えて差し上げる。
「薔薇の木には寿命があります。その辺りの大木とは違うのです。通常は二・三十年と聞きますから、百年もったのなら、お手入れが良かったのでは」
驚きながらもまだ不安そうにしているので、提案する。
「別の薔薇を育てればよいのでは? これじゃなくても育てている内に愛着もわきますよ、きっと」
成る程、とヒュー様が呟く。
「そなた『ベル』と呼ばれたくないと言っていたな」
なぜ今それを。私は確かにそう言った。
ベルとは「美しい人」という意味だと説明してしまったせいで。
父が「美しい娘がおります」などと名を掛けて下らない事を言って、ヒュー様を期待させたせいで。
この名を呼ばれる度に、からかわれている気がして素直に聞けなくなっていた。
「そなたの呼び名を『アリスタ』にするのはどうだ。この薔薇の名だ。そなたが嫌でなければ」
庭はヒュー様の魔力が薄まり薔薇には寿命が来るけれど、館内でヒュー様のお側で過ごす事の多い私は老化が止まるらしい。
ならば薔薇より私が長寿なのは間違いない。
それでご安心なさるのなら、呼び名などお任せする。常は「そなた」と呼ばれるのだし。
「薔薇ほど美しくはありませんが、それでよろしければ」
即答する私に、そうだともそうでないとも言わずに、ヒュー様はただ薔薇を深刻な目つきで眺めていた。
ある時、自宅の様子が気になった私はヒュー様に訴えた。「一度様子を見に帰りたい」と。
難色を示された。
「まだ考察も半ばなのに、ここで去られては『真実の愛』の端緒も掴めない」
すぐに戻るからと言っても、良い返事がないのは里心がつくことを恐れてか。長く生きていらっしゃるヒュー様から見れば、十七の私など小娘だろうから、そう思われるのも無理はない。
あまり我が儘を申し上げてはと、引き下がったつもりだったのに、お優しいヒュー様は手鏡を差し出した。
「帰してやることは出来ないが、様子ならこれで見られる」
館内の鏡という鏡には白い覆いがされており、私はここに来てから鏡を見たことがなかった。
ふとした拍子に鏡に映る獣人姿に慣れずに、自分でも驚くことを繰り返したヒュー様が、覆ってしまったという。
「この手鏡は、そなたの姿を映すのではなく、見たい場所を見られるものだ。持っているといい」
まさか行かずして見られるそんな便利なものがあるとは。大喜びして受け取る私を、ヒュー様は複雑な瞳の色で見詰めていた。
それから数日後。毎日入り浸っているヒュー様の部屋で、珍しいお菓子を頂きながらお茶をしていた。
本でレシピを読み作り方を理解すると、その通りのものが出せると聞き、見つけては「これを食べたい」とねだるようになった。
ヒュー様は面倒がりもせず「そなたが来てから食事に多様性がうまれて飽きない」などと、嬉しい事を言ってくれる。
「もうヒュー様がいない生活は考えられません。ヒュー様なしでは生きていけない」
熱く感謝の気持ちを伝えると、しばらく無言の後「そうだろうな」と深く頷かれた。
分かって頂けて何よりである。
「家に帰りたいか」
気遣わしげにヒュー様が聞く。
どこからそんな話になる。戸惑う私に言葉を重ねる。
「そなたは、よく手鏡を見ながらため息をついているだろう」
ああ、そういう。私は首を横に振った。
「――言えないのか。そなたがどうしても帰りたいと言うのなら――」
どこか決意を滲ませるヒュー様の言葉を慌ててさえぎる。
「ちがいます! 置いてきた姉の結婚資金を心配しておりました!」
ヒュー様の動きが止まる。誤解されるくらいなら、隠す気はない。みっともない話だから言いたくなかっただけで。
「父と姉は『あればあるだけ使う人』なのです。母が亡くなるまでそれを心配していたので、台所の壺の中にお金を隠して来たのですが。お金には匂いがあるってご存知でしたか?」
「いや」と短く答えるヒュー様に、真実を告げる。
「あるんですって。うちの父はお金の隠し場所を見つけるのが得意で『金の匂いがする』と言うのです」
ヒュー様が何もおっしゃらないのは、言葉が見つからないのだろう。
「そのお金だけが心配で、鏡をのぞいていたのですが。姉が新しい服を着たり、髪飾りや靴に見慣れないものが増えています。もう見つけられてしまったようなので」
この鏡はお返ししましょうか、と尋ねる。
「いや、それはそなたに与えたものだから」
苦労したのだな、と同情してくれる。
「永久貸し出しされた私は、あの家には戻りません。なので、もしご用が済んで返却ご希望のおりには、どうか敷地内に小屋でもお造りいただいて、隅にでも住まわせて頂けますと……助かります。なんなら森の中でもかまいません」
徐々に声が小さくなるのは、図々しいお願いだという自覚があるせい。
「遠慮せずとも、館は広い。外など行かずに好きな部屋を使うといい」
ヒュー様の優しさは天井知らず。
食べるのも飲むのもモフモフするのにも好都合だと、楽をして朝から晩までこの部屋にいる私を、邪険にすることもない。
「ありがとうございます。私はヒュー様が大好きです」
感謝の気持ちを込めて伝えると、ヒュー様は思案するように首を傾げてから。
「そうか」
と一言返してくれた。