回復魔法の実習をする話
あれから何日が過ぎた。
この頃になると生活ルーティーンも決まってくる。
日々のトレーニングに加えて、魔法教育、淑女教育、歴史授業を日替わりで受けて、暇な時間には図書館で文字を勉強し、孤児院を訪れる。
魔法教育は基礎から練習している。魔力の扱い方とかコントロールから始めている感じだ。
お陰でこの半月は新しい魔法を覚えていない。
淑女教育では基本「俺」という一人称を使わないように指導されてしまった。お陰でトーヤ達と話す時も「私」だ。
講義内容は積極的に女性らしさを磨くというよりは、目上の方と話す際の振る舞いや、基本の態度が主な印象がある。
口調についてはTRPGのロールプレイをイメージして、身内以外の前ではですます口調を徹底するようにした。孤児院で子供達と話す時もですます口調だ。
……元から丁寧な話し方をしているサイカとのキャラ被りが気になるこの頃である。
歴史授業は淡々と進んでいる。
この国の成り立ちや、文化レベル、王都の特色や他の国についてを教わった。
どうやらこの世界には大きく四つの国があるようだ。
一つ目はここ、アークライト王国。
東の国と呼ばれ、アーク教と呼ばれる宗教が国教に認定されており、いわゆる分かりやすい西洋の国である。広大で豊かな土地があり多くの穀物を栽培、輸出している。街道整備も整っていることで、陸路や海路から貿易を行なっているそうだ。
二つ目にカイナヴァルデ王国。
南の国と呼ばれ、海に面した大きな国で、他国との貿易が積極的に行われているらしい。海産物の輸出量は世界トップで、陽気な国民性なんだとか。
三つ目に聖都フォリア。
西の国と呼ばれるが、実質的には王政ではなく、法皇と呼ばれる存在が信徒達と共に神を崇める国らしい。教えの書と呼ばれる本を国民に配り、一日に一度は祈りを行うなど信心深い国だとか。ちなみに宗教はアーク教を名乗っているが、こちらのアーク教とは内容が違うらしい。フォリアこそ総本山だと主張しているとか。
同じキリスト教でもカトリックとプロテスタントの違いのようなものだろうか。宗教とか法皇って言葉だけで胡散臭くなるの何でだろうな。
最後は北の国、ドルボロス帝国。
こちらも独裁体制の国らしい。数十年前まで複数の国が覇権争いをしていたそうだが、数年前になって小国であったドルボロス王国に現国王が就任した途端、恐ろしく苛烈に周囲の国に攻め込むと、あっという間に他国を滅ぼし手中に収めてしまったとか。
その後帝国を名乗り、現在に至るそうだ。
帝国ってワードもなんか悪そうな感じするよね。
アークライト王国的にはカイナヴァルデ王国とは仲が良く、聖都フォリアやドルボロス帝国とはあまり心象が良くないといった感じのようだ。
歴史の講義はこんな感じ。
ついでに文字については絵本を読めるようになった。単語や物をひたすら覚えていくフェーズである。
孤児院通いの方は子供達とだいぶん仲良くなった。ただアレからライルは突っかかってこない。平和といえば平和だが、てっきりもうちょっと食いかかってくるものだと思っていた。
それと、トラウマについてだが、結論から言うとまだ完治していない。
人と話すことは問題無いほど回復したが、暗い場所や火が怖いのだ。
……とはいえ発狂しないだけ、実害はほぼない。
むしろトーヤから教わった怯えた御令嬢に見せかけてぶすりと刺す抜刀術を考えると、治す必要も案外無いんじゃないかとも思う。
男に押さえつけられたら再発するかもだけど、それはまた追々試すつもりだ。
というわけで異世界に来てから三一日目。
ついにこの世界に来てから一ヶ月が経過した日のこと。
俺は魔法の授業を受けていた。
「解毒」
「ふむ、魔力の扱いも上手くなってきましたな!」
微弱な毒を呑んで、治す。
毒の強さから、適正な量だけの魔力を込めて流すとそれだけで体内の毒は消え去った。
その様子を見てウォルドルフが頷く。
どうやら上手くやれたらしい、上達を実感して嬉しくなった。
……さて、今やっているのは魔力運用の練習だ。いわゆる魔力の使い方の勉強である。
というのも半月前。
その時にウォルドルフに指摘されたのだ。
「……ユクモ殿は、魔力の使い方を教わったことはありますかな?」
「いえ、一度も」
「なるほど、どおりで。はっきり申し上げますと、貴女の魔力の扱い方は非常に下手です」
これまでの俺は相当に効率の悪い魔力運用をしていたみたいだ。
ウォルドルフから以下の説明を受けた。
普通の人がコップ一杯の魔力量だとしたら、俺はどれだけ少なく見積もってもバケツ一杯分くらいの魔力量はあるらしい。
だがその扱いが下手なせいで魔力があっという間に空になっているのだという。
そもそもコップ一杯の魔力量でも上手く魔力が扱えれば数回は人を癒したり、大怪我の人でも治すことが出来るそうだ。
例えるなら、コップを少しずつ傾けて水をやるのが、上手い魔力運用だとすれば俺がやっているのはバケツをひっくり返して中身を全て浴びせているのだとか。
……確かに言われてみると全身にある魔力全てを集めて、全力で力を使っていた。
そうするものだと思い込んでいたが、本来は少しずつ力を使うのが正しいようだ。
言われてみるとド○クエも最近は攻撃魔力や回復魔力という概念があるが、昔のやつは唱える魔法ごとにMPが決まっていて、威力はいつも同じだった。
そんなわけで魔力運用の練習を始めたのが半月前のこと。
ついに習得したぞ。
いやったー! と内心で喜んでいるとウォルドルフが提案してくる。
「……ユクモ殿。良ければ今日は実習に行きませんか?」
「実習ですか?」
「えぇ、この城では訓練で傷ついた兵士を治癒術師が癒しているのですが、その役目をやっていただきたいと思いましてな」
なるほど、兵士さん達を治癒か。
それは是非やりたい。自分で毒を飲んだり、飲んでもらったりして治すのも良い練習になるが、実際に人を癒すのはまた良い訓練になるはずだ。
それにこの城に来てからというものの俺はずっとタダ飯食いで、何の貢献もできてなかったから、この城の人のために出来ることがあるなら是非やりたかった。
「はい、是非やらせてください」
「では決まりですな! 訓練場に参りましょう」
そんなわけで日々の日課に実習が追加された。
訓練場に行くと兵士さん達が疲れた表情で集まっていて、やれ片づけだ、やれ飯の準備だと慌ただしく動いている。
そんな中を通り過ぎて医務室に向かうと、何人か怪我をしたらしい兵士さん達が居た。
部屋に入ると俺に視線が突き刺さる。
ウォルドルフさんが俺を紹介してくれた。
「彼女は治癒術師です。さ、ユクモ殿」
「はい……治癒術師のユクモと申します。これからお世話になります」
そう言って頭を下げつつも、怪我をしている兵士の観察をする。
怪我の度合いによって必要な回復量も変わるのだ。可能な限り魔力に無駄なく回復しなければならない。
そんなわけで一人目の兵士さんだ。腕に切り傷があった。剣で切られたのだろうか?
「新人さんか。腕を少し切っちまってね、頼むよ」
「はい、すぐ治しますね」
男の腕にヒールを唱える。柔らかな光が腕を包み、その皮膚が元通りになった。とはいえこれで終わり、ではない。
「お手を失礼します」
「あ、あぁ」
ちゃんと治っているかを確認してから次に行かねば。傷のあった場所を触り、痛みはないかと元通り腕が動くかを尋ねる。
……うん、問題無いようだ。
「良かった。お大事になさってくださいね」
声を掛けて、次の兵士さんの元に行く。
これを全員癒やし終わるまで続けた。これが少しでも恩返しになると良いんだけどな。
そして医務室を後にする。
「中々良い手際でした。ちゃんと治っているか確認したのもグッドですな。彼らも喜んでくれていると思いますぞ!」
「そうであれば良いのですが……」
ちゃんと治ってるのか確認するのは当たり前だ。
国を守る兵士さん達なんだから万全で居てもらわなくてはならない。
喜んでくれたかは……うん。
最初の視線がやや突き刺さるようなものだったので、内心どう思われてたかは分からないけど、新参者よりも慣れた治癒術師の方が安心だという人も居るだろうな。
でも、それでも良いや。これが誰かの役に立っていれば、それで。
そう受け答えしながら宿舎を出て、訓練場に差し掛かると見覚えある姿が見えた。
「トーヤ……?」
トーヤが誰かと戦っていた。
赤髪の青年だ。見覚えを感じてふと思い出す。いつかの日にもここで訓練していて、大怪我してしまった青年である。
確か名は……ジークだ。
ジークは赤く燃える大剣を手に、トーヤに切り掛かっていた。
「紅蓮斬ーーーーっ!!!!」
飛び上がり、上体を反ったような体勢から勢い良く縦に振り下ろす。
あの時は途中で俺と目があって放たれることが無かった技だが、いざ解き放たれると離れた位置からなのに熱風を感じた。
轟っ! と風をぶった斬り、燃え盛る炎の音が響く。
見ているだけでも分かる破壊力と、激しい炎を見た瞬間にビクリと身体が震える。
だが、それ以上に驚いたのは……そんな凄まじい一撃を前に、トーヤは立ったままだったことだ。
……不味いと思った。だって、あんなのが直撃したら死んでしまう。心臓が止まりそうなほど凍り付いて、顔がこわばった。
何も考えられなくなって、手を伸ばして慌てて駆け出そうとするが間に合わない。間に合ったところで何も出来ないが、それすら分からないくらい混乱していた。
そして目の前で、炎を纏った剣が直撃する寸前にトーヤがブレる。
その動きを、視認すら出来なかった。
「ーーーーえっ?」
直後のことだ。
ガキンッ! 反響するような金属の音が響き渡る。目の前で起きた出来事が信じられず俺は驚愕する。
受け止めていた。トーヤが片手で構えた剣が、いとも簡単にジークの炎剣を受け止めていたのだ。一瞬ブレたように見えた瞬間に剣を突き出したのだろう。
……全く見えなかった。
そのままトーヤが剣を振るとジークが吹っ飛ばされて、空中で身体をひねって着地する。
「クッ、これでも駄目か……っ!」
「前より良くなっている。そろそろ片手で受け止めるのはキツいな」
「……片手で受け止められる時点で、僕もまだまだだよ。そろそろ両手か、技の一つくらいは使わせたいんだけどね」
「お前ならいずれ出来るさ」
そう言って彼らが話している間も俺は動けなかった。
恐怖で心臓がドクドクと早鐘を立てていたし、混乱した頭が整理を付けるのに時間が必要だった。
視線が、剣を受け止めたトーヤから離れない。
トーヤはこの国で最強と言われていた。
その片鱗を始めて見たような気がする。強さが全く測れない。
だが、それ以上に怖かった。
……なんで怖いのかは分からない。炎がトラウマのトリガーとなったのか、それともトーヤが死んでしまうと思ったのが怖かったのか。
「ユクモ殿、泣いているのですか?」
「えっ……?」
ウォルドルフさんが俺を見て、そんなことを言う。
意味が分からない。そんなわけがあるか。
そう思った時、ふと視界が涙で滲んでいるのに気付く。
あれ? おかしいな。俺は、何で泣いているんだ?
慌ててハンカチで目元を抑える。
その様子を見て、なにかを察してくれたらしい。ウォルドルフは言及することなくこう言った。
「……勇者殿に今のお顔を見せるわけにはいきませんな」
帰りましょうぞ、と言う彼の言葉に頷く。
あいつには変な心配を掛けたくない。泣いていたと分かればすぐにどうしたのか聞いてくるだろう。
でも、俺だって何で涙が出たのか分からないのだ。何でこんなに怖いのか、分からないのだ。
心が落ち着かない。
早く部屋に戻っていつもの表情に戻らなくては。
そう思って、部屋に戻った。