孤児院で子供達とたわむれる話①
孤児院内部は、大きく礼拝堂と生活スペースに分けられていた。
礼拝堂はステンドグラスの並ぶ大きな広間だ。結婚式の時に新郎新婦が入場してくる部屋というかそんな感じ。
そして俺の手を握って歩く黒髪の少女は、明るい場所で見ると快活そうな笑みをたたえた素敵な子だ。
可愛いというよりは、雰囲気が明るい。
「あたし、ルシカ。今年からここで働いてるの。あなたの名前は?」
「私はユクモです。よろしくお願いします、ルシカさん」
彼女の名前はルシカというようだ。
見た目は高校生くらいで、非常に若々しい。あの地下牢で見た時は表情に怯えもあったが、今はもうそんな素振りは全く無かった。
「そっか、ユクモさん。あの時はありがとね。ずっと後悔してたの。私より小さい貴女を置いて逃げたこと……貴女が助かって本当に良かったわ」
「……いえ、私の方こそ。あの時は庇ってくれてありがとうございます。トーヤ達を呼んでくれて、助かりました」
これは本心だ。
正直、助けを呼ぶにしても衛兵さんとかが来るとばかり思っていたのに、まさかトーヤ達を連れてきてくれるなんて。
じゃなきゃ、多分間に合わなかった。きっと俺は生贄にされて殺されていたはずだ。
仮に助かったとしても、儀式とやらは成功していただろう。
そう考えると彼女がトーヤ達を呼んできてくれたのは超ファインプレイだ。
……それと俺は少しだけルシカに罪悪感がある。自分から残るって決めたはずなのに、少し身体を痛みつけられたくらいで放置して逃げれば良かったなんて考えを持ってしまったからだ。
なんとも情けないし、申し訳なさを感じていた。
そんな俺の内心はつゆ知らず、明るい表情でルシカが孤児院を案内してくれた。
「ほら、ここから先が居住スペースよ。ここに居るのは皆、親が居ない子供達ばかりなんだ。まぁでも元気な子達だから、気にせず遊んでやってくれると嬉しいな」
「分かりました、頑張ります」
俺はむん、と手を握る。
なるほど、この先に子供達が居るのか。
こういう機会は過去に一度だけあった。学校のイベントで、福祉施設に赴き、幼稚園児と遊ぶという内容で、あの時もどう接したものかと悩んでいたが、子供は割と素直なものだ。
遊ぶぞ、の一言でわあっと群がってきて、鬼ごっこだの何だのと遊んだ記憶がある。
今回もそんな感じにやれば良いかなとか考えながら、微妙に空いた横開きの扉をガラガラ開けて中に入ろうとした時だった。
「わっ!?」
ポスっと、頭に何かが落ちてくる。同時にぼふんと白い煙が広がった。思わず悲鳴を上げる。
落ちてきたものは黒板消しだった。それもご丁寧にチョークの粉をアホほどまぶしてあるやつ。
……身長が低くなったせいで全く気付かなかった。
扉が微妙に空いていたのは、このトラップが仕掛けられていたからなのだろう。
「やーい! ルシカが引っかかっ……アンタだれ?」
「あんた達! お客さんに何やってんの!?」
黒板消しを仕掛けたらしいいかにもやんちゃそうな男の子がニヤニヤしながら口を開いて、俺を見て首をひねる。
どうやら元の狙いはルシカらしく、俺のことは知らなかったようだ。
さしずめ気になるお姉さんであるルシカに悪戯をしているんだろう。
分かるぞ少年、でもそれ間違いなく逆効果だし黒歴史になるからやめた方がいいと思う。
ルシカが怒鳴る横で、俺は無言で頭を払った。
元々真っ白い髪に真っ白い服だ。チョークの粉なんか目立たない。
もちろん、子供のやったことだ。俺は怒っちゃいないとも。こんなことで怒るほど俺の心は狭くない。
地面に落ちた黒板消しを拾い上げて、にっこり笑って俺は言う。
「まぁ、とっても元気ですね」
「ユクモさんごめん、ほんとうちの子がごめん!」
「ふふ、これくらいで怒りませんよ。これは気合入れて遊ばなければなりませんねっ」
「ユクモさん、笑顔なのに怖いよ!? やめてね!? あの時みたいにヘッドバットするのはやめてね!?」
「そんなことしませんってば。ちょっとお灸をすえるだけです」
いや、ルシカは俺を何だと思ってるんだ。
あんなのやるわけないじゃないか。かなり痛いんだぞ。両手と両足が拘束してたから仕方なく頭突きしただけだし。そもそも子供相手にやるか、あんなもん。
それは置いといて、黒板消しを仕掛けたクソガキの元に近づく。
俺と同じくらいの身長だ。小学生四年生くらいだろうか。じーっと見つめる。
「な、なんだよ」
「これ返しますね。えいっ!」
「はっーーーー!?」
言うが早いが、俺は後ろ手に隠していた黒板消しを少年の顔面に押し付けた。
ぼふっと音がして残っていたチョークの粉が舞う。それをゆっくり戻すと、顔が真っ白な少年が出来上がりだ。
俺はしれっと言った。
「……あら、ごめんなさい。手が滑りました」
「絶対わざとだろうが!? えいって言ってたぞこの女!」
少年は思いっきり突っ込んできた。
白いはずの顔が、怒りで赤く染まっている。
「私、そんなこと言ってません。幻聴では?」
「その嘘は無茶だろ! この場の全員聞いてたぞ!?」
ボケを重ねると少年は律儀に突っ込んでくれた。
こいつ、案外ツッコミ役として大成するかもしれない。とりあえず俺の気は満足した。
「そうです、わざとです。でも私に黒板消しを落としたでしょ? これでおあいこです」
「ふっざけんな! お前、ユクモって呼ばれてたな! その名前覚えたぞ、絶対泣かしてやるから後で覚えてろ!」
そう言うと少年は腕で顔をゴシゴシ擦って顔についた粉を払うと、その場を離れていく。
まぁこんなもんだ。大人気ない対応だったが、この世界にはPTAも無いから文句言われることはないだろう。
後ろからルシカがはぁー、と感嘆の息を吐く。
「ユクモさんは、相変わらずね……真正面からやり返すなんて」
「当たり前のことをしただけです。やられたからやり返しただけ。ちょっと大人気なかったですけど、男の子はあれくらいの対応でも大丈夫でしょう」
これで学んでくれれば良いんだけどな。
粉たっぷりの黒板消しを当てられて良い気分にはならないって。
まぁこの話はもう良いや。当初の目的に戻ろう。
俺は孤児院で子供達と触れ合いに来たのだ。
子供相手には流石にトラウマも発動しないらしい。さっきのやり取りでよく分かった。
大人相手だとやや恐怖が残るが、子供相手なら大丈夫そうだ。
改めて教室を見回すと十人くらいの子供が居る。みんな小さな子供だ。多くは小学一年とか、二年。中には幼稚園くらいの子も居る。さっきの少年が多分一番年上だろう。
そんなことを考えていると小学校一年くらいの緑髪の女の子が近寄ってきて、キラキラした目で見つめてきた。
「お姉ちゃん、すごいね! ライルのやつをおいかえすなんて」
「ライル?」
「うん、お姉ちゃんが追い返したやつ、ライルっていうの」
なるほど、ライルとはさっきの少年の名前だったか。
お姉ちゃんという慣れないワードはいったん棚に置いといて、せっかく寄ってきてくれたんだ。まずはこの子と話をしよう。
目線に合わせてかがむと、彼女は言う。
「あいつ、いっつもえらそーなの。それにルシカさまにいっつも、いじわるするんだよ!」
やっぱり見立て通り、ライルは思春期だったか。
これは確定だな。ルシカのこと好きで悪戯してるパターンだ。こういうのってやり過ぎると取り返しつかなくなるんだよな。
ルシカは大人だけど、見た目まだ高校生くらいだし、あんまり続くようなら可哀想だ。
そんなことを考えつつ、幼女に向き合う。
見ただけでほっぺがもちもちだ。可愛いなあ。
「そうなんだ。ところで、あなたの名前を教えてくれる?」
「うん、いいよ! わたしはリア! よろしくねお姉ちゃん」
「リアちゃんね、私はユクモです。よろしくね」
そう言って手を握って、頭を撫でてやる。
前世基準だと明らかな事案だけど、今の俺はカワユイ女の子。既にルカとかサイカがやたら俺に抱きついたり、撫でたりしてくることを考えるとこれくらいはセーフなはずだ。
うわー、ちっこい。かわいい。
少し撫でて手を離す。あんまりやり過ぎて嫌われるのも嫌だしね。
すると彼女はとてててと歩いて、ルシカに尋ねる。
「ねえ、ルシカさま。ユクモお姉ちゃんとあそんでいい?」
「えぇ、もちろん。リアちゃんが誘ってあげれば喜んでくれると思うわ」
「うん!」
うわー、めっちゃ素直だ。
俺もこんな時代があっただろうか……?
なんかひどく時が過ぎ去ってしまったような気がする。
気がつくとリアちゃんが俺の方に近づいてきた。
「ユクモお姉ちゃん、いっしょにあそぼ!」
「良いよ、リアちゃんは何がしたいかな?」
「えっとねー、みんなでおままごとしたい! さそってくるから、まっててね!」
そう言ってリアちゃんは他の子達に声をかけに走っていく。
おままごとかぁ。
前世含めて一度もやったことないなぁ。というかこの手の遊びでおままごとって定番だけど、女の子って本当におままごとするのね。
でもおままごとってどんなことするんだ?
家族ごっこ? でもここに居る子は皆、親が居ないって聞いたから流石に無いだろ。傷を抉りかねないし。
そんなことを考えているとリアちゃんは何人か誘うことに成功したらしい。
四人ほど女の子を引き連れてきていた。
「おまたせー! じゃあユクモお姉ちゃんは、おひめさまやってね!」
「……お、お姫さま?」
「うん、ユクモお姉ちゃんはおひめさまみたいにきれいだから! わたしはおうじさまやる!」
その調子でリアちゃんは他の四人にも役割をさっさと振ってしまった。
お姫さま……ねえ。俺は詳しくないけど、普通こういうのって、ちっちゃい子達はお姫さま役やりたがるものじゃないの?
幼稚園とかの演劇って全員主人公役をやる場所もあるって聞いたけど。
恥ずかしさはあるが、でもまぁ子供の期待には応えなきゃな。
それにしてもどんな内容でおままごとするのだろうか?
可愛い顔でにこにこしながら、王子様になりきったリアちゃんが口を開く。
「ーーーー姫……わたしと、こんやくはきしてほしい」
「どういう設定なの……?」
何で王子様が開幕、お姫様に婚約破棄してくるんだよ!?
というか良くそんな言葉知ってるね! どこで知ったの!?
リアちゃんに呼ばれてきた女の子の一人がずずいと前に出る。
「おうじ、それではこくさいもんだいになります……!」
「かまわない、わたしはしんじつのあいに、めざめたのだ!」
真実の愛ってなんだよ。
あと君も国際問題になるって、よくそんな言葉知ってるね。
この世界、テレビとか無いから一般人の知識量とかは日本人より少ないと思っていたけど、案外そうでもないのか?
呆然とする俺をよそにおままごとは進行する。
「まさか、あのへいみんのおんなですか!?」
「そうだ、だいじん。わたしはかのじょをあいしている! それに姫は、あのこにいやがらせをしていたのだ! そっこく、しけいにしてしまえ!」
「それは、わるいことですな! ではひめは、しけいにしましょう!」
「ウソでしょ……?」
なんで諌める側の大臣が一瞬で姫様の死刑に賛同するんだよ!?
さっき婚約破棄で国際問題って言ってたじゃん! 死刑にしたら明らかにもっと大参事が起こるわ!
するとリボンを結んだ女の子が前に出る。
「でんか、それはひどいですわ。いきなりしけいだなんて。きっと、かのじょはさびしかっただけなのです。ゆるしてさしあげて!」
あぁ、なるほど。
この子が王子の愛している平民役の子かな?
心優しそうじゃないか。
「なんだきさまは! おれはおまえなどしらん! こいつもしけいだ!」
いや、知らんのかい! それと死刑判決早いわ!
暴君かよ。ヤバすぎるだろ。
「はっ、さあこっちにくるんだ! げせんなものが、でんかにはなしかけおって!」
「いやー! おじひを、おじひをくださいまし!」
知らない平民役の子が大臣に引っ張られていく。
そしてそのまま廊下まで連れられそうになった時だった。大臣達の行く手に折り紙で出来た花がパサっと地面に落ちる。
「この花は……まさか!」
「あくぎゃくなるおうじにしたがう、みにくきだいじんよ、きくがよい! わたしのなはルナレッドかめん!」
お面を付けた女の子が出てくる。
どういう役なの? 怪盗キッド? タキシード仮面?
とりあえず正義側の役だろうか?
……あ、分かったぞ。
あの平民の女の子をこのルナレッド仮面が助けてハッピーエンドとそういう寸法だな。
そう思っているとルナレッド仮面は言う。
「……ぐへへ、そのおんなは、びじんだな! わたしの目はみすごさんぞ! わたしがよめにもらってやる!」
「ふむ、よいでしよう! あなたにさしあげます!」
「いーやー! たすけてー!」
いや違うんかい! ただの変質者じゃねーか!
どんなキャラだよ! くそっ、ちっちゃい子のおままごとがまるで理解出来ない。
……これが女の子の普通のおままごとだとでも言うのかっ!?
分からん、俺の女の子経験値が足りなすぎる……!
とはいえこれ以上傍観してたら流石に参加しなさすぎだろう。平民役の子を庇うように俺は前に出る。
「哀れな女の子に対する暴挙、許しません! ルナレッド仮面、大臣、王子。覚悟なさいっ!」
「たすけてくれるの……?」
平民役の女の子の言葉に頷く。
すると彼女はとてとて駆け出して、俺に抱きついてきた。屈んで受け止めてあげる。
うわぁ、可愛い。うんうんこういうので良いんだよ。
意味不明なままごとの中で一種の清涼剤のようなものを感じた。
そう思った瞬間だった。
平民役の女の子の表情が一瞬で暗くなり、悪辣に笑った。
「おひめさま、おいのち、ちょうだいしますわっ」
「ーーーーっ!?」
直後、サクッと何かで正面から刺された。
ツンと胸を付くような感触に驚いて振り返ると、彼女の手には小さなナイフがある。
……いや、正しくはおもちゃのナイフだった。
先端を押し付けると引っ込むタイプのおもちゃ。
俺が目を白黒させているとリアちゃんが楽しそうに言った。
「はい、ユクモお姉ちゃん殺されちゃったね!」
「死んだ!? 待って、平民役の子は心優しい子じゃなかったの!?」
「ちがうよー! おひめさまはみんなから命をねらわれてるの!」
「どんな設定なの!?」
駄目だ。ついていけない。
でもリアちゃん達は楽しそうに笑っていた。
全くもって納得出来ないおままことだったけど、ちっちゃい子達が楽しんでくれたなら良しとしよう……。
そんなわけでおままごとを終わると、他にも色々遊ぼうとせがまれたので付き合った。
どれもこれも俺には理解出来ない展開が多かったが、でも彼女達は楽しんでくれているらしい。
そうこうしていると、教室に見慣れた人影が入ってきた。
「ずいぶん懐かれたみたいだな」
「おつかれ、ユクモ。ここからは私も手伝うわ」
トーヤだ。後ろにはルカもいる。
教室に姿を見せた瞬間にわぁっと教室が色めきたった。
ゆうしゃさま! と子供達がトーヤの元に近寄っていく。
「ゆーしゃさま! いらっしゃい!」
「ゆうしゃさま、おみやげはー?」
「ルカお姉ちゃん、あそんでー!」
「ゆうしゃさま、およめさんにしてー!」
おい、最後の子は待て。
流石にヒロインレースに加わるには早すぎる。
……いや、でもある意味年上のお兄さんに憧れるのは子供のうちにあるイベントの一つか。
おませさんな子もいたもんだ。
「お土産はマリアに渡したから、後で食べるといい」
「わーい! ゆうしゃさま、いっつも美味しいものくれるから好きー!」
「ねえあそんであそんで!」
「ゆうしゃさまの剣みせて! ビリビリドカーンってすごいんでしょ!」
「剣は危ないから駄目だ。代わりに後でちょっとした魔法を見せてやろう」
子供達に群がられたトーヤはいつもより穏やかな顔つきだ。
結構レアな表情である。普段はクールな表情だからな。
女子に群がられた時と違い、流石に子供相手には面倒には思っていないらしい。
言動もいつもより面倒見が良い気がする。
こうやってみるとあいつも異世界で色んな人脈を築いてるんだな。
ついでにルカの方を見ると近づいて来た女の子をギューッと抱きしめていた。おい、窒息するからほどほどにな。
そんなことを考えていると。
「子供たちの相手、お疲れさま」
トーヤ達をぼーっと眺めているとルシカが話しかけてくる。
彼女は彼女で今の今まで他の子供の相手をしていたが、まだにっこり笑顔で元気そうだった。
すごいな、俺はもう疲れたよ。
「ルシカさん、お疲れさまです。まだ、元気そうですね」
「まー、これが仕事だからね。それにあたし、子供好きだから」
「すごいですね……私は、ちょっと疲れました」
「リアちゃん達のグループは個性的だからね。助かったよ、ありがとね」
それを聞いて安心したよ。
個性的なグループだったのね。うん、すごく安心した。
あれが普通ですって言われてたらこの世界での暮らしが不安になってたかもしれない。
とりあえずちょっと休憩だ。
そう思っていると、目の前に誰かやってくる。
その誰かは、俺に向かって声を掛けてきた。
「おい、女。俺と勝負しろ」
「……疲れてるけど、良いよ」
顔を上げると、立っていたのはヤンチャ坊主、ライルだった。
正直疲労感があるが、まぁ子供の言うことだ。
俺は立ち上がる。
……目線が同じくらいなのが悲しい。
改めて考えてみると小学生くらいの身長まで縮んでるわけか。
まぁそれはともかく。
どんな勝負かは知らんが、これもボランティアの一環だ。
相手をしてやろう。
「……着いてこい」
「はいはい」
先導するライルを追いかけて、俺は騒がしい教室を抜け出した。