23 さぶろうネコを見守る
スマホの画面に浮かんだ通知にふと気づいた。意外な人物からのメッセージに目を見張る。それが数日前の出来事だった。
「ここまで迷わずに来られた?」
マンションのエントランスまで出迎えに行くと、今日は黒色に髪を染めたレオ君がソワソワしながら立っていた。白のロングTシャツに、細身の破れたジーパンを年季の入ったブーツにインしている。長い前髪から覗く大きな瞳と、所構わずジャラジャラつけているアクセサリーのせいで、やはり男か女か、予め知っていないと判別しにくい。
「大丈夫っした。まさかお邪魔できるとは思ってなかったんでめっちゃ緊張してます」
顔を赤らめてエヘヘと笑う。絵のことを教えて欲しいという相談を受けていたのだが、何回かのやり取りの後、技術的なことはもう直接話した方が早いと、思い切って家に来るよう提案した結果の今日だった。
「こんなことが実現するなんて、マジ、あの展覧会に参加して良かったぁー」
マンションの共有廊下を歩く間、俺を褒め続けるレオ君にムズムズした。
「最近やっと人を招けるようになったばかりで、大したとこじゃないからね…。」
玄関を開けたが猫は現れず、リビングにも姿はなかった。熊谷さんのときのように、寝室にでも隠れているようだった。
「ここであの作品が生み出されるんすね!聖地!!ヤバ!マジ俺すげぇ…!!」
「大げさ過ぎない?」
仕事部屋があると思っていたらしいが、気ままなひとり暮らしだったから、俺は適当にリビングを仕事場として使っている。猫が増えたが、そのスタイルは変えていない。
「とりあえず、こないだ話してたヤツだけまず説明するね」
「よろしくお願いします!」
片隅に置いてあるパソコンの席で、タブレットを使いながら、ソフトやらデジタルツール、アプリの話をしてレオ君と盛り上がっていたら、足音もなく猫がやって来ていた。知らぬ間に、俺の左肩越しから画面を見ている。
「…のわ!」ギョッとして小さく叫ぶと、上目遣いでフフンとはにかんで、キーボードに置いた俺の腕をくぐって膝にもたれてきた。こんなことしてきたことないのに、どうしたんだ。
「こんにちは!お邪魔してるよ」
何でもないように、右側に立っていたレオ君も気づいて、猫を覗き込んで挨拶する。
「…にちは」
ちろりとレオ君を一瞥した後、人見知りを発動しているのかボソッと返す。だったら来なければ良いのに。広くはないとはいえ、リビングなのにその片隅に男3人が固まり集まってパソコンの画面を見ているのがおかしくて苦笑する。ネコはおとなしくそのまま膝の上で、俺たちの専門用語を何を思っているのか黙って聞いていた。
「はー、やっぱりプロの話は勉強になるっす…」
「自己流でそこまで扱ってる方が凄いと思うけどね」
「ねえ、さぶろう、お腹すいた」
「んん?」
なんとなく作業が一区切りしそうになったときに、ネコが口を挟んできた。
気づけば3時間も経っている。俺は慌てて休憩を取ろうと、同じリビングのソファに案内した。
遠慮がちに、しかし首を回して部屋を眺め回していたレオ君は、窓際の本棚に無造作に突っ込んであるスケッチブックに気付いて飛びついた。目を瞬かせて見ていいかという顔つきをするレオ君は、どことなくネコに似ている。俺は肩をすくめてどうぞお好きにと言い、お茶を用意するためにキッチンに入った。いつになくネコが手伝うと言って足に纏わりつく。
戻ると、レオ君はこちらに気づかないほど真剣にまだデッサン帳を見ているところだった。
「俺の絵が良いって人のおかげで仕事を貰えてるとは思ってるんだけど、こうやって直接会ったことがなかったから新鮮だな、レオ君のおかげでモチベーションが上がったよ。ありがとう」
レオ君はびっくりしたように顔を上げて、そしてまた赤くなってエヘヘと笑った。
「あ、あの。ネコくんは先生の友人から預かってる子だって聞いたんすけど、どんな交友関係なんすか?外国のそんな知り合いがいるなんてマジ尊敬なんすけど」
「…」
新しい友人のつもりで部屋に招いたが、俺の警戒心はだいぶ緩くなっていたようだ。レオ君からこんな質問がくることを予想して然るべきだったのに。俺はウグと喉をならした。
「あ、えーと…な、亡くなった両親関係の友人でね…まぁ、俺の直接の友人ではないというか…」
詳しく答えられないのを怪しまれないようにと、苦し紛れに両親を引き合いに出した。
「こんな小さい子を預かるなんて、よっぽど信頼されてるんすね…てか、いつまで預かるんすか?」
突っ込んで来るじゃないか…。動揺を気づかれないように頭をフル回転して答えながらも、全くの不意打ちに脈拍が上がる。
「き、聞いてないんだ…。面倒かからない子だし、あんまり気にしてないというか。…ほら、俺自由業だから」
「へぇ…!!さすが先生は懐が深い」
誤魔化せたかとドギマギしていると、レオ君は視線を下げて、今度はネコに話しかけた。
「でも、お父さんお母さんや学校のお友達と離れ離れって、寂しいねぇ?」
「!」
今までに、ここまでぐいぐいと聞いてきた人はいなかった。変なことを言うんじゃないぞと祈りながら俺は胸の内で汗をかく。
「お父さんお母さんとか、知らない。さぶろうが家族だもん」
「んン?!」
レオ君は子供向けの優しい笑顔のまま固まり、まずいことを聞いちゃったのかと問うように、目だけを動かして俺をみた。そんな外野に構わず、ネコはお持たせのクッキーを頬張りながらあっけらかんと続ける。
「ぜーんぜん寂しくなんかないよ?さぶろうと暮らすの楽しーし。」
「…」
「…」
俺を見るレオ君の視線は一体何を物語っているのか、怖い…。
「あぁ、そう…だよねぇ、楽しいのが1番だよね?良いことだよ…」
気まずそうに答えたレオ君は、もうネコに話しかけようとはしなかった。
「めっちゃお邪魔しちゃった!!すっごい勉強になりました!!」
休憩の後も少し仕事の話をして、大学時代のデッサンに関する本や何冊かの画集をほくほく顔で借りたレオ君だったが、マンションのエントランスまで送り出す途中、一転して「あの」と暗い顔をして聞いてきた。
「ネコくんの両親には何か問題でもあるんですか?ネグレクトとか過干渉とか?」
「えぇっ?!」
「俺、なんも考えずにいろいろ聞いちゃって。ネコくん、明るく振る舞ってたけど、実はヘヴィな家庭環境なんかなって…」
しゅんとなって下を向くレオ君に俺は慌てた。
「いや、なにもないはずなんだけど…あんなこと言うとは思わなかったな…お、俺に懐きすぎだよね、アハハ…ハハ」
「…」
沈黙が痛い。
「実は事務所から、こないだインスタに撮ったネコ君の写真を見て、ビジュアルが良いから撮影に協力してもらえないかって打診があったんすよ。」
「えぇっ?!なんだって?」
「でも断っとくっす。その方が良いっすよね」
レオ君はネコの人間関係を勝手に複雑に想像してくれたようだったので、俺もそれを利用することにした。猫のときはともかく、人間の姿で人前に出るのは危険が過ぎる。
「あぁ、そうしてくれたら助かるよ。もし事務所の方から正式にオファーが来たとしても、アイツを預かってる身として、俺はちゃんと断るし。」
俺たちは顔を見合わせて笑い、お互いに納得して了承したってことを理解した。
気づける筈もなかったが、この一連の出来事は俺への因縁に繋がっていたのである。俺は試練を乗り越えねばならなかった。




