3 さぶろう熱を出す
猫のネコがいなくなってしまったことに一番ショックを受けたのは猿渡さんである。
ほぼ毎日のように送られてくる中身のないLINEメッセージにポツリポツリと返信していたが、今回は珍しく長文を打った。
『猫は本来の持ち主に返したのでもう会えません。
その節はいろいろ助けてくれて助かりました。ありがとうございました』
といった内容を送った直後、電話が掛かってきた。
『大山田さん!ネコちゃんともう会えないんですか?!』
あんなに可愛がってくれていたのだ。猿渡さんらしからぬ、焦った雰囲気が伝わってきた。
「俺は預かっていただけだからね…でも、また預けられる可能性はあると思うけど…。」
根拠はないが、人間のままというのは考えてなかった。いつかどこかのタイミングでネコは猫になるだろう…と俺はぼんやり思っている。
『それって…いつになるかは分からないんですよね…?』
「そうだね…俺の都合じゃないから…。猿渡さんには本当にお世話になったんで、メールで伝えるのもなぁとは、思ったんだけど…」
『あの、じゃあ、いまさらですけど、お礼にご飯とか連れて行ってくださいよ。結局猫ちゃん連れてのカフェも行けなかったし…』
店の存在は気になっていたが、ハーネスやらキャリーバッグやらで猫を拘束するのが忍びなくて連れていけなかった。
『あ、猫カフェとか…、どうですか…?思い出して辛くなっちゃいますか?』
ふと、思う。猫の中にネコを連れて行ったらどうなるんだ?俺は興味が湧いた。
「いや、そんなのでよければ行きましょうか。俺も、正直猫不足なので…。猫カフェには興味あるかも。ははは…」
『大山田さん…。…以外に冷静なんですね。あんなに溺愛していたのに…』
「もちろん寂しいけど、また会えるからねぇ」
俺はリビングのテーブルで、一心不乱に文字の書き取りをしているネコを眺めながらいった。舌打ちのような、ため息のような何かが聞こえてきたような気がしたが、気のせいか。俺の仕事が立て込んでいたので、数日後にと約束して通話を切った。
「さぶろう!見て!!できた!!」
ネコは猫のくせに勤勉で、覚えも良かった。こうしてドリルもやるが、最近は図書館で借りてきた子供向けの童話もポツポツ読めるようになってきている。
「全部正解!凄いなぁ、猫は本当は学校も行けちゃうな」
グリグリ頭を撫で回すと嬉しそうにする。褒めれば褒めるほど頑張るので、余計に褒める。もはや親バカ?猫バカ?である。家族もなく、会社勤めでもない自由人の俺だからこそ、猫がやりたいことを出来る限りやらせてあげたいと思っている。
俺もネコに触発されて、仕事に精が出た。正直、昨年と比べると比較にならないくらい忙しい。今後も含め、猫にどれだけお金が掛かるか分からないので、働けるうちに働いておこう、儲けられるうちに儲けておこうと決意していた。世間は冷たい。手の平を返したように俺の絵に見向きもしなくなるご時世も来るだろう。
そうは言っても新しいジャンルの仕事はなかなかに頭を使うため、最近は気づくと夜中の2時、3時だったりして猫に無理矢理ベッドに引っ張られることもあった。その日も、頭痛がするなと思いながら、キリがつくまでと頑張っていたのだが、だんだん眩暈が酷くなってきて、PC画面を見ていられなくなり、痛み止めを慌てて飲んで横になった。
朝、目を覚ますと頭痛は若干収まっていたものの、身体が異様に怠い。猫が覗き込んできた。
「さぶろう?朝だよ?」
「うう…」
目を顰めて寝返りをうつ。
「さぶろう、おなかいたいの?」
「ネコ…、ちょっと待って…30ふんくらいしたら…起きられるとおもうから…」
枕に顔を埋めたまま、そう声を絞り出すと「うん、わかった」と聞こえたような気がした。ネコの気配が無くなるのが分かって少し気が楽になり、目を閉じた俺はそのまま眠り込んでしまった。
次に目を覚ましたときには、昼も随分過ぎていた。額に違和感を感じて触ると冷えピタが貼ってある。以前してやったことを真似て、猫がしてくれたのか?とりあえずトイレに行こうとベッドから這い出すとふらりとして目が回る。
「これは熱があるな、うう…」独り言を言いながら用を足して廊下に出ると猫が暗い顔をして突っ立っていた。
「ぅおッ!!」
久しぶりの神出鬼没さに全身でびくついた。
「ね、ネコか…」
俺の叫び声など気にした風もなく、「さぶろう、大丈夫?」と、心配そうに訊いてくる。
以前の俺なら寝て治すところだが、締切の迫った仕事が幾つかある。同時に終わらせようと同時進行で進めていたのが仇になった。そんなに外を出歩いてはいない筈だが、ウイルス性だと猫に影響があるかもしれない。
「うーん、大丈夫じゃないかも…ちょっと病院行ってくるよ」
「え…」
想像以上に猫は狼狽えて、俺のヨレヨレの部屋着の裾を掴んだ。
「び、びょういん…!?」
「今からなら午後の診療に間に合うから、ちゃっと行って注射打って薬貰ってくるよ」
「帰ってくる?」
「?もちろん」
そう言って気づいた。
「…ああ、お前が病院に行った時は入院したものな。大丈夫、俺は入院なんかしないから。日が暮れる前には戻ってくるよ。病気もらうといけないから、ネコは家で留守を頼むな」
頭を撫でて「頼む」を強調して言うと、口を引き締めて「うん」と頼もしくうなずいた。最近は猫への頼み方も心得たものである。 心配そうな猫を残して俺は近所の診療所に出かけた。




