23 さぶろうネコの機嫌をとる
「あ」
コーヒーと牛乳が切れていた。コンビニに買いに行くかと、朝食前にパーカーを片手に持って玄関へ向かうと、猫がついてきた。想定内である。
「コンビニだぞ?来るの?」
「ニャン」(とうぜん)
猫は短く鳴いて俺の身体にすり寄ってきたので、抱えてパーカーのフード部分に入れてやる。ペット禁止のこの建物では、フードの中に入れていると目立たなくて良い。俺の肩甲骨のあたりもじんわり温かくて我ながら良い案である。たまにそこから前脚を俺の肩に置き、その上に顎を載せて外を眺めていることがある。初めてショウウインドウに映るそれを見た時は悶絶した。
昼夜逆転の生活をしていた頃には絶対に出歩かない時間帯だった。通り過ぎるバスにも大勢の人が乗っていて、通勤通学であろう周りを歩いている人からも、朝の慌しい活気がやんわりと伝わってくる。そんな空気の合間を俺たちはのんびりと歩く。
「あっ!にゃんにゃん」
「ほんとね、猫ちゃんね」
背後で俺(のパーカーに入っている猫)を指差しているであろう親子の会話が聞こえてきた。どうだ、うちの子は可愛いだろう…自然にフッと口の端が上がる。
あの件以来俺の立場は弱く、食事どころか外へ出るにも気を遣うようになってしまっている。ちょうど仕事が混み合っていたこともあり、外出が控えめなのは幸いだった。
その辺であれば猫をパーカーに入れたり、スウェットのお腹部分のポッケにいれたり、たまに肩に乗せたまま出掛けていた。その度に誰彼に写真撮っても良いですかとか、撫でても良いですかとか声をかけられる。そういった人々の目尻はもれなく下がっていて、猫も得意げになっていた。
よく行く近場のコンビニに至っては、ウチの猫が大人しいのと可愛いのとで、人がいないときにはそのまま入っても何も言われず(もちろん本来は動物を連れ込んではいけないのだが)店員さんによっては触らせてくださいと言って来る。もちろんその場合は外に出て撫でさせるのだ。
さらに俺としては事あるごとに
「ネコは可愛いなぁー。世界一だなぁ」
と喉をゴロゴロ鳴らすまで撫でくりまわすようにしている。
「甘やかし過ぎです」
「え…」
猿渡さんから、猫との逢瀬のために久しぶりに公園に呼び出された。こんなおじさんと何が楽しいのか分からないが、彼女からはたわいも無いLINEが頻繁に来る。動物病院ではナース服だが、公園で会うときの猿渡さんはザ、二十代!といったカジュアルな服装で、たまに目のやり場に困ることもあるが、今日は足にピッタリしたジーンズ(作者注スキニージーンズ)にゆるりとしたどピンクのセーターだった。いやがる猫を捕まえて頬ずりしている。
「このふてぶてしい態度!!あぁっ可愛い〜〜」
どっちなんだ。
「ねこちゃんは何あげてもバズりますねぇ、もうすぐ登録者数10万いきそうじゃないですか」
相変わらずその件については俺は複雑な気持ちになる。煮え切らない表情に気づいてか身長155センチの猿渡さんが下から顔を覗き込んできた。相変わらず距離が近くてドギマギする。動物相手の仕事だとパーソナルスペースが狭くなるのだろうか。
「そうそう、嫌われたくないからって、ワクチンを先延ばしにしないでくださいね」
「…」
図星である。病院に連れて行って機嫌を損ねるかもしれないと思うとなかなか重い腰が上げられなかった。
「あ、そういえば、動物病院のLINE入れなきゃですよね?」
「えー、もう私からお知らせしてあげますから必要ないですよ?」
「そうなの?」それにしてはワクチンの話も、あれ以来今日が初めてなのだが…。猿渡さんはフム、と言って俺のスマホを取り上げて、登録をしてくれた。俺にスマホを返ししな、尋ねられる。
「大山田さん、この『あいり』って誰ですか?」
「え?仕事でお世話になってる人だよ」
「…へぇ…女性
…独身ですか?」
おかしなことを聞かれるな、と思いつつ答える。
「そうだね、結婚の話は聞いたことがないな、しててもおかしくない女性なんだけどね」
「…へぇ…」
なんだか不機嫌そうに見えるのは気のせいなんだろうか。
「あっ、あのっ、猿渡さんの口利きで出来るなら、今、ワクチンの予約しておこうかなっ」
少し焦ってそう言うと、ちょっとした沈黙のあと
「候補日をまた送りますね」
と笑顔で言われはしたが、なんだか少しぎこちないようだった。
「んんん…ニャン」(だから、そういうことじゃないとおもう)
猫が俺の足にタシっと前脚を掛けて小さく鳴いた。




