16 さぶろうのおもてなし
俺にしては珍しく、鼻歌を歌いながら掃除機をかけていた。今日は、犬神が家にやって来る。溜まり場になっていた先輩の家で、サークルの奴らと一緒になって話したことは、大学時代に何度かあったが、犬神と2人だけで話すのは、仕事で再会してからのことである。
人を招き慣れていない俺にはよく分からないが、何かあるといけないので、カレーライスを昨晩作っておいた。猫はあまり好きでは無さそうだが、俺は1週間食べ続けても良いくらい実は好きだ。何か事故があっても食べ物はこれで確保された
…と思っていたら犬神はサンドイッチを山ほど作って持ってきてくれた。
テーブルいっぱいに卵やらアボガドやら、ツナやら聞いたことのないチーズの何やらなど、沢山の種類のサンドイッチが並ぶ。切ったリンゴも皿に盛られてテレビで見るオシャレカフェのようで、我が家ではまず見られない光景である。
「女子会みたいなものばっかりですみません」というが、準備するのは大変だったろう。
「凄いですねぇ…!!さすが犬神さん!
美味しそうだなぁ、なぁ、猫」
前回会ったというのに、人見知りしているのか背中に齧り付いて離れない猫に話題を振る。耳元でやっと聞き取れるくらいにやっと、ウンと小さく言ったが、背中からは離れなかった。
「ネコくんは、ホントに先生のことが好きなんですねぇ」としみじみ言われた。
「ち、ちょっと!先生て何です?!」
「えっ、会社では皆さん先生と呼んでますし…作品を提供してくださるんですから別にそ…」
「今日は個人的に来てるんだし。そういうのこそばゆいし、やめてよー!照れるじゃない」
言いかけているのを遮った。先生なんて、大したこともしてないのに、冗談じゃない。俺は政治家でも医者でも教師でもない。だいたいこないだは先輩と呼んでたじゃないか…。
すると、犬神は急に頬を染めてモジモジした。
「え…じゃあ、さ、さぶろうさんとか…呼んじゃっても、良いんです?」
「いーよいーよ、先生じゃなきゃ何でも!」
実は少し恥ずかしかったが、何でもないように笑って答えると、犬神も、たまに見る猫と同じような明るい笑顔になった。
「あの、カレーのにおいがするんですけど」
「あ、持って来てくれると聞いていたけど、なんかあった方が良いかなと思って作ったんだ」
「せ…さ…
…さぶろうサンも…凄いですよ」
「ただのカレーだよ?」
「私だって、ただのサンドイッチですよ!ふふっ私、さぶろうさんの作ったカレー、食べてみたいな」
「えぇ?!良いけど…味は保証しないからね」
犬神曰く、猫は相当シラけた顔でこのやりとりを見ていたらしい。いや、もう先生なんて器じゃないしね。俺が呼ばせた訳じゃないから大目に見て欲しいよ。
飲み物やら取り皿やらをセッティングして、ちゃぶ台と言って良い、リビングにあるテーブルを囲んで、さあ食べようと座る。
「え?お前、またここに座んの?おかしいだろ?」
猫があぐらを掻く俺の膝の上に座ろうとしてきた。
「いーの!」
「いや、よく無いでしょ、俺食べにくいじゃん」
「い、い、の!」
「赤ちゃんみたいで嫌なんじゃないのか?」
「ここは!いーの!」
フン!っと鼻息荒くしてガッシと足を掴まれた。いっつも向かい合わせのくせに。仕方ないなと受け入れる。俺に懐いて来るのは正直嬉しいのだ。
猫はツナとアンチョビ?とかいう魚系のサンドイッチが気に入ったようでそればかり食べていた。俺はゴンゴンなんたら〔※作者注 ゴルゴンゾーラチーズ〕とかいうのが気に入った。ビールとかワインが飲みたくなる。
「ネコくんはいつまで、さ…さぶろうさんのところで預かるんですか?」
「えっ、あぁ、まだしばらくかかる…かな…?いつまでって明確に決まってないんだ。ホラ、俺って自由業だから…」
「それを受け入れちゃうさぶろうさんは懐が深いですねぇ…それにしても、外国のご友人がいるなんて、大学時代には聞いたことなかったんですけど、どうやって知り合ったんです?」
「…」
こりゃマズイ。
犬神の興味はごもっともだが何の設定もしていない。友人の子供ということにはしているが、猫とも打ち合わせしていない。いや、打ち合わせしたところで上手く立ち回ってくれるかどうかは分からないが。どうしようと黙っていると
「あの、女性の方だったり…とか…?」と、上目遣いでまたモジモジと聞かれる。
「いやいやいやいやいや。ここ数年は女性っていったら犬神さんとしか話してないですし!そんな…っ、もう、やめてくださいよ」
俺は何故だか照れてしまって、焦って答えた。
「俺に女性絡みでなんかあるなんて、天地がひっくり返ってもないですから!」
「そんなに謙遜しなくったって良いじゃないですか、さぶろうサンは素敵ですよ」
お世辞と分かっていても犬神にそう言われて悪い気持ちにはならない。素直にありがとうと言った。
「そんなこと言ってくれるのは犬神さんだけですよ」
「ホントですか?ウフフ」
「ハハハ…ワーっ!!」
「きゃー!」
良い雰囲気だったのを、猫がジュースを盛大に溢して有耶無耶になった。猫のお腹も俺の下半身もビチョビチョになっている。
「大丈夫か?!」
茫然としている猫を抱き上げると、猫の着ているトレーナーが吸い切らなかったコーラが、たらーっと足をつたって、濡れている俺の股をさらに濡らした。
「うわーッ!!」
「ちょっと、着替えて来ますね!」
猫を肩に引っ提げて浴室に駆け込んだ。
「なんだか慌ただしくなってすいません…」
「いえ、ネコくん、大丈夫でした?なんか最後不機嫌そうになっちゃってて…可哀想に」
「いつもあんな風じゃないんですけどね、初めて家に人を呼んだからかなぁ。懲りずにまた来てくださいよ。ネコにも刺激になるかも」
そういうと、何故だか犬神は顔を赤らめ、それを誤魔化すかのように早口で言う。
「ネコくんの名前、なんか動物の猫ちゃんみたいで可愛いですよね。結局、何処の国の生まれなんでしたっけ?」
「…」
実際、猫なのだ。猫の姿は三毛猫でもキジトラでもなく、異国の猫の風貌をしていたが、詳しくはよくわからない。咄嗟に思いついた国名を言うしかなかった。
「チ、チェコだったと思う」
「そうなんですね!へぇ、チェコ。私、プラハは一度行ってみたいと思ってるんですよね、またお話、聞かせてくださいね!」
「…」
墓穴を堀った気がしないでもないが、不可抗力と言うものだろう。まぁ、次に犬神が我が家を訪れるのは、きっとまだずっと先のことだし、ひょっとしたら猫が元に戻るかもしれない…。いつもの思考に戻って、気を取り直し、マンションの入り口へと俺は犬神を見送った。