第一夜「待宵月の鹿」(一)
もう船は月に近く、窓には地球の姿がぽっかりと浮かんでいる。
月に着いてしまえば、しばらく夜が続く。
ハクレンは、座席に深く腰掛けて窓際に肘をついたまま、地球での日々を思い出していた。そして、これから向かう月についても。
地球の地上から仰ぎ見た月は、小さく、欠けていき弱っていくようだった。
時と共に刻々と姿を変えて地平線に飲まれていく様は、儚くも見え、確かに夜空に浮かぶ月は美しかった。だからこそ、昔の人は夜明けを肌身に感じながら後朝の別れの名残惜しさを感じたのだろう。
それに比べて今、ハクレンの目の前に浮かぶ地球はふくふくと実り、青い輝きを放っている。その大きさも、地上から見上げた月に比べれば面積にして実に十六倍ほどもあるのだから、趣はまるで異なる。
見上げる月は個人を偲ぶ憐れさがあったが、こちらは美しい人を正面に迎えた喜びがある。
幸か不幸か、地球の夜はあまりに短く、月の夜はあまりに長い。
「なんの音でしょう?」
通路を挟んだ隣の席の乗客が訝しげに首を傾げる。
ハクレンもつられて目を閉じ、耳に手をあてて調節する。
甲高い何かの鳴き声のような電波を感じ取り、ハクレンは目を開くと、無機質な見た目のアンドロイドにそっと囁いた。
「『鹿』さ」
「鹿?」
たまに聞こえるこの音を『船同士の無線電波の干渉による雑音』という者もいる。
だが、ハクレンにはそれが友のものだとすぐにわかった。
遠い昔に出会った『鹿』と呼んだ男の……。
まだ月面着陸には時間がある。
(はたして、このアンドロイドはこの話をどう感じるのだろう?)
そんな好奇心が働いて、ハクレンはアンドロイドに『鹿』の話をすることにした。