試験
シャーリーは事務室の真ん中にある机でグラベルが作った問題を解いている。
シャーリーは本を暗記していると言うが、実際どこまで理解しているのか知りたかった。
薬室長に挨拶した日の夜、グラベルは筆記試験の出題範囲から問題をつくり、昨日て今日はそれを解いてもらった。
シャーリーが問題を解いている間にグラベルは調べ物をしていた。
「グラベル様は何をされているのですか?」
問題を解き終えたシャーリーが聞いてくる。
「実技試験の資料を集めています。まずは筆記試験に受からなければいけませんが、それは昨日と今日、解いてもらったものを見る限り大丈夫でしょう。問題は実技試験です。薬室長からもらった薬草の一覧の中から十種類の草花が出されます。その中から一つを選んで、その草花に合った処理をしなければいけません」
「薬にする前処理ですね」
「十種類の中には毒草も含まれる。選んだ物が毒草なら、その時点で試験は終了だ」
「毒草?」
シャーリーは薬室長からもらった薬草の一覧に書かれているものだけが出ると思っていたようだ。
「見分けのつきにくいものが含まれている。毒草なのか薬草なのかの判断と薬草によっては二種類の処理方法がある。その二つとも出来なければ不合格」
シャーリーの顔から笑みが消える。
実際問題、シャーリーは薬草をどれだけ手に取って見た事があるのだろうか。本で読むだけでは分からない事も多い。
明日からは実技試験の勉強をすると伝えとシャーリーは自分の両手を握り締めていた。
翌日からは薬草の処理を一から教え込んだ。
薬と使用する部分、収穫時期、処理法を実際に現物を使用して練習する。その間に、薬草と毒草の見分ける練習もして、筆記試験の問題も解いてもらう。
かなり詰め込んだ内容になるが、実際の薬草を使ったことがなかったので仕方がない。
収穫期の薬草は一緒に収穫する。
「こちらの薬草は根を使うので根元から収穫するように、こっちは花とくき、葉を使う」
必要な情報は予め、本で予習しているとはいえ、実際の薬草を見ながら再度説明する。
シャーリーは一つずつ丁寧に薬草を取っている。
それを確認して、グラベルは果樹園に向かう。こちらも収穫期のものがある。
こちらは主に酒に漬け込みその果実を薬にする予定だ。完熟しているものだけを収穫していく。
一通り収穫を終えてシャーリーのところへ戻ると、驚いた表情をしながらチラチラと隣の薬草畑を見ては香を赤らめていた。
「大丈夫か?」
グラベルが声をかけると、薬草を握りしめシャーリーはグラベルに縋り付くように手を握ってくる。
「グラベル様、カ、カルロ様が……」
グラベルは先程のシャーリーが見ていた薬草畑を覗くと、カルロが薬草を収穫している。独り言を呟きながら。
「心配いらない。あれはカルロの癖だ」
「癖? ですか。しかし、先程からずっとあのよう事を繰り返していますが」
カルロは薬草を収穫しながら、その薬草に話しかけている。時には口づけもしていた。
「カルロの恋人たちだ。何も心配することはない」
グラベルは再度言う。
「恋人?」
シャーリーは怪訝そうにカルロを見る。出来るだけあっさりと言ったがやはり無理があったようだ。カルロの為に補足しておく。
「カルロの恋人は薬草だ。収穫時期は如実にその行動がよく出る。もう一つ言っておくと、ローレンスは薬草の天日干しをしている時に一緒に自分も天日干しをしている」
「天日干し……」
シャーリーの顔が歪む。
「昼寝だ。薬草の匂いを嗅ぎながら眠るのが幸せだと言っていた。ローレンスが薬草と寝ていても起こさなくていいから」
シャーリーはグラベルを見ている。同類と思われたか?
「薬草は好きだが、私にそのような趣味はない」
一応断っておく。誤解されては困る。
「ローレンス様もカルロ様も王宮ではかなり人気があると聞いていましたが、どうしてお二人に恋人がいないのか不思議でした」
「ローレンスに恋人がいないのは私も疑問に思っている。カルロは……ないだろうな」
グラベルはもう一度カルロを見た。
薬草畑に座り込み、一人で話している。薬草に向かってとても幸せそうに微笑んで。
グラベルはその姿を見て、いつの日か自分もあのように微笑むことがあるのだろうかと考えた。その自分の思考に戸惑いを覚える。一生独身でいるつもりだった。昔も今も、そんな思いは一度として湧いてこなかったのに。
「グラベル様、シャーリー様は昨夜も遅くまで図書室に籠もっておられました。期限があるとはいえ倒れてしまわないか心配です」
グラベルの着替えを手伝いながら、侍女のサラが言ってくる。試験勉強を始めて十日経つ。ほぼ毎日、日付が変わるまで図書室に籠もり本を読んでいる。
「サラから言ってくれないか」
「毎日のように言っております。グラベル様から仰っていただかないと止めませんよ」
グラベルが言っても止めるとも思えないが、倒れられては困る。寝間着に上着を羽織り図書室に向かう。
久しぶりに入る図書室の紙の匂いが懐かしい。
入り口を入って、灯りのする方へと歩いていくと床に座り込んで本を読んでいるシャーリーがいた。
「そんなところに座っていては風邪をひくぞ」
驚いた表情をするシャーリーに近づいて、グラベルは持ってきた温かいミルクに蜂蜜を入れた飲み物を渡す。
「ありがとうございます」
シャーリーは一口飲んでほっと一息ついていた。
「侍女たちが心配している。もう休んだらどうだ?」
「ですが、まだ覚えていないことがあると思うと眠れなくて」
「私が教えているのだ、大丈夫だ」
グラベルはシャーリーの隣に座る。
「薬室長は薬剤師の試験に満点で合格した。私はその薬室長に薬剤師になる為の知識を叩き込まれた。勿論、試験は満点だった。薬剤師の試験で満点を取ったのは今のところ薬室長と私だけだ」
その私が教えているのだから、合格するのは決まっているとグラベルは言った。シャーリーは少し安心したのか、表情が和らいだ。
「早く眠るように」
グラベルはそう言って立ち上がり、着ていた上着を脱いでシャーリーの肩にかける。
「グラベル様、上着は……」
「羽織っていなさい。まだ、いるのだろう? 夜は冷えるから」
シャーリーは多分、すぐには寝ないだろ。それが顔に出ていた。
グラベルは図書室を出ると外でサラが心配そうに待っていた。
「もう暫く、好きにさせておくように」
数日後、筆記試験が行われシャーリーは無事合格した。
「筆記試験合格おめでとう」
薬室長から合格を告げられたシャーリーは静かに微笑んだ。
グラベルはそっと手を握りしめた。予定通り筆記試験は通ったが試験はまだ続く。
「次は実技試験になるけど、このまま進めてもいいですか?」
「はい。お願いします」
シャーリーは少し緊張しているのか強張った声で返事をしている。
その後、薬室の机の上に浅めの籠に入った草花が並べられた。
「実技試験試験はこの中から一つ選んでその処理をしてもらいます。但し、この中には毒草も含まれていて、毒草を選んだ時点で試験は終了で不合格になります。選び直しは出来ません」
薬室長はシャーリーに告げて、どれか一つ選ぶように言う。
それぞれの籠の中には葉っぱだけの物もあれば、花や茎、葉もついている物、根もあった。よく似ている物も含まれている。グラベルはすぐ分かったがシャーリーは分かるだろうか。
薬草と毒草の見分け方は出来るだけ練習した。シャーリーもかなり理解出来ていたが、完璧ではない。
グラベルはシャーリーの動きを静かに見ていた。シャーリーは落ち着いついる様に見える。
シャーリーは籠に入った草花を真剣に見て、その中の一つを選んだ。
「これにします」
「本当にいいですか?」
「はい」
「では、その処理をお願いします。期限は二週間です」
ほっと息を吐く。シャーリーは薬草を選んだ。ここまでは合格だ。
グラベルは自分が思っているより緊張しているのが分かった。
不正を防ぐためここからは決められた場所て寝泊りし試験は進められる。シャーリーは自分の着替えが入った荷物と、先程選んだ薬草の籠を持って薬室長についていく。
ここからグラベルが出来る事は何もない。二週間後、無事に処理を終えるのを待つしかなかった。
シャーリーが実技試験を受けている間もグラベルは薬剤師としての仕事はあるので、毎日薬草畑や果樹園に行き手入れや収穫をする。
薬草を乾燥させる為に天日干しをしているとついシャーリーのことを思い出してしまう。
大丈夫だろうか。二週間は思ったより永く感じた。グラベルは出来るだけ薬作りに専念して時間を過ごす。
「寒くなってきたな」
グラベルは自分の部屋から庭に出た。
二階に作られた庭からは遠くに薬草園が見える。その奥に小さな建物が見えた。薬剤師たちが仮眠室として使っている建物だ。
灯りが点いている。そこにシャーリーがいるはずだった。
今日も遅くまで起きているのか?
もうすぐ期限の二週間が経つ。グラベルは毎日ここからシャーリーがいる建物を見ていた。
上手く出来ているだろうか。報告書は書けているだろうか。心配は尽きない。
サラたちはシャーリーが帰ってきたら美味しい料理を食べてもらうのだと準備をしている。
受からなかったらどうするのかと聞いたが、受からない訳がないと言っていた。
シャーリーには受からない訳がないと言った自分は今、不安でしかない。
シャーリーは今、どんな気持ちで試験を受けているのだろうか。
「シャーリーのほうが不安な気持ちを抱えているのだろうな」
受かってほしいと思っている。
シャーリーが望む未来を手に入れてほしいと陛下と薬室長に頼み込んだ試験だった。たが、二週間と言う短い期間でどれほどのことが理解出来ていたか不安は残る。
シャーリーが選んだ薬草は、出題された薬草の中でも特に手入れが難しいものだ。
どうしてあの薬草を選んだのか、もっと楽なものもあったのに。その思いはずっとあった。
「合格しなければ、薬剤師になれないのだぞ」
グラベルは側にいない者に問いかけた。
試験範囲だけ集中的に教え込んだが、もし合格してもそれだけの知識では全然足りない。
シャーリーはまた、大変な思いをするのではないかと心配になってくる。
グラベルは生まれた家に捕われていたシャーリーを見捨てることが出来なかった。まるで自分を見ているようだ。
空を見上げると月がとても綺麗だった。
シャーリーが試験に合格するよう月に願った。
数日後、グラベルは薬室に呼ばれた。ローレンスやカルロも呼ばれたようで薬室に行くと既に集まっていた。
「今日だったよね、あの子の試験が終わるのは」
ローレンスがカルロに話している。
「難しい薬草、選んでいたよね。大丈夫かな」
カルロは心配そうだ。
グラベルは心臓の音が早くなる。ダメだ。緊張してきた。
自分が試験を受けるよりも心臓に悪いと思う。
暫くすると薬室長とシャーリーが薬室に入ってきた。手には処理した薬草の入った籠を持っている。
シャーリーが籠を机の上に置く。
グラベルは籠の中を見て安堵した。ちゃんと二種類の物が出来ていた。
ローレンスとカルロからは驚きの声が聞こえた。
「試験が終わったので、皆に集まってもらった。まずは、シャーリーが書いた報告書がこちらだ」
グラベルに渡され、読むように言われる。
シャーリーが書いた報告書はグラベルが教えた内容がしっかり書かれている。処理の方法も完璧だ。ローレンスとカルロも報告書を読んだ。
「出来上がったものがこちらだ」
薬室長が籠の中を指す。
「私は合格としたい。皆はどう思う?」
薬室長は薬剤師の三人に問いかける。
ローレンスとカルロは異論はないと答えた。
「グラベルはどうだろうか?」
「異論はありません」
元から異論などある訳がない。
「では、この試験は合格だ。おめでとう、シャーリー」
薬室長はシャーリーに告げた。
先程まで強張っていたシャーリーの表情からは笑みと涙が溢れていた。