薬室長の結婚
薬室のつくと珍しくエレノアが薬室にいてシャーリーとアンヌは驚いた。
「エレノア様、何かありましたか?」
シャーリーとアンヌはエレノアの元へ駆けよる。リンゲル領にいるはずのエレノアが薬室にいるということは何か問題が起こったのだろうか。
「それが、ちょっと」
エレノアが言いにくそうにローレンスを見る。そのローレンスは窓辺で放心状態といった様子で椅子に座っている。
「何かあったのですか?」
思わずシャーリーは小声になる。
「実は、薬室長がご結婚されて薬室を辞められることが決まったようですが、それを聞いたローレンス様が朝からずっとあんな感じで」
エレノアは困り果てた様子で説明してくれた。
アランは昨夜から少し熱がある陛下の御子、マーガレット様の診察のためサイモン医師について行ったらしい。
マースはグラベルと大学のほうへ出向いている。薬室長は陛下へ先日まで調べていた薬草畑の候補地の報告に行っている。
グラベルが出かける前に、リズバルク伯爵から薬室長のことを聞いたローレンスは魂が抜けたような状態になり、急遽、エレノアが薬室に戻ってきているという。
「薬室長はいつ辞められるのですか」
アンヌが聞いている。
「一月後だと聞いているけど、多分早まるらしい」
「どうして、そんな急に」
「管理官がリズバルク伯爵になって、グラベル様も戻ってこられたから安心だと仰って」
「安心って、まだ大学の準備も薬草畑を増やすこともあってやることはいっぱいあるのに?」
アンヌは不安が顔に出てきていた。シャーリーもこのタイミングで辞めることが信じられない。
「お相手の方が北の地への赴任が決まったそうなの。それで早めたらしい」
シャーリーとアンヌは止めることは出来ないと諦めた。
「ずいぶん遠くに行ってしまうのですね」
シャーリーは寂しく思う。シャーリーが薬剤師に慣れたのはグラベルと薬室長のおかげだ。薬剤師の試験の時にサイモン医師に進言してくれたおかげでシャーリーは正式に見習い薬剤師になれたのだ。
いつもとても大きく感じていた人がいなくなる不安はシャーリーにもある。
「でも、いいこともありますよ。グラベル様が王都へ戻られたので北の地には薬草畑のことを見る人がいなくなったので、心配ではあったのです。あそこはまだ収穫量を増やせる状況ではあるのできっと薬室長が見てくださいますよ」
シャーリーとアンヌは北の地のことをすっかり忘れていた。
定期的に北の地に行き薬草畑の状況を確認しなければいけないのに。
「シャーリー様、北の地は薬室長にお任せしてもいいのでしょうか」
「そうしていただけるとこちらも助かるのですが。あとで薬室長に聞いてみましょう」
「トルンはどうでしたか?」
エレノアに聞かれてシャーリーたちはエレノアに話していいのか迷った。
「エレノア様はいつまでこちらに?」
アンヌが聞いた。しばらく王宮にいるのなら話してもいいと考えてのことだろう。
「グラベル様からローレンスを見張っているようにと言われました。マース様は大学の教材のことでグラベル様と行動することが多くなるのでと」
「リンゲル領は大丈夫ですか?」
今度はシャーリーが確認する。
「今は種付けも終わっていますし、ファビアンがいますから。それにあそこは領主様がとても協力的で領主自ら薬草の種付けをされています」
シャーリーとアンヌはローレンスがあんな状況なのでエレノアにも話すことにした。
「実は……」
「では、確かな証拠を集めなければいけませんね」
「そうなんです。今、ハンスとケリーがグラベル様へ報告にいっています。私たちは薬室長に報告するように言われました」
「薬室長はもうすぐ戻られると思いますよ」
ガタッ。
エレノアの言葉に反応したのかローレンスがいきなり立ち上がった。ローレンスに視線が集まる。
「東側の薬草畑の収穫がまだだったよね」
「ローレンス様、薬草の収穫は私が……」
エレノアが言い終わらないうちにローレンスは籠を抱えて薬室を出て行った。
「ローレンス様は今朝からあんな状態です。薬室長と顔を合わせようとしません」
エレノアはため息をつきながら困り果てていた。
「シャーリー様、あれってどういうことでしょうか」
シャーリーはアンヌの言わんとすることが分かった。
ローレンスの出て行った場所を見つめたままシャーリーは記憶の限り思い出していたがそんな形跡はなかったと思う。
疲れた。体がというより精神的に。シャーリーは傍の椅子に座った。アンヌも同様だったらしく椅子に座ると、エレノアも椅子に座った。
「私が知っているローレンス様は薬室長を尊敬していて、どちらかというと依存しているような感じに見えました。ローレンス様が薬室長の仕事を手伝っているのも大学が出来て大変だからだと思っていたようです」
シャーリーは以前ローレンスから聞いた内容を話してみた。それでアンヌとエレノアはどう見えていたのか知りたかった。
「私もそう見えました。仕事が大変だと言いながら薬室長と楽しそうに薬草の話をしている姿はどちらかと言えば忙しい薬室長を支えようとしているのかと」
アンヌも同じように見えていたのが分かるがエレノアは違っていた。
「私は最近の薬室での様子は分かりませんが、以前、ローレンス様が薬室長を見つめているのを何度も目撃していました。ご本人は隠している様子でしたので気づかないふりをしていましたが」
シャーリーとアンヌはエレノアを見て頭を抱えた。
「私、何か変なこと言いましたか」
シャーリーたちの行動にエレノアは心配になったようだ。
「大丈夫よ。ちょっと頭が痛いなと思っただけだから」
アンヌはエレノアがこれ以上心配しないように言ったのが逆に心配されて頭痛の薬を用意しようかと立ち上がった。
「エレノア様、違うのです。ローレンス様の気持ちを考えると少し複雑だなと思っただけです」
シャーリーは急いで訂正した。丁度、薬室長が戻ってきたのでシャーリーとアンヌが報告をする。
「分かった、グラベルには報告が行っているのね。アンヌ、リズバルク伯爵を呼んできて、今、陛下の執務室にいるはずだから。ローレンスはどこ?」
「いま、東側の薬草の収穫に」
エレノアが答える。
「シャーリー、ローレンスを呼んできて。エレノアは今から言う薬を作っておいて」
薬室長が次々に指示を出していく。エレノアは薬室長から必要な薬を聞いて作り始めている。
シャーリーとアンヌは薬室を出た。
「気が重いです」
思わず出てしまった言葉にアンヌも同情してくれた。
「リズバルク伯爵を呼んできます。帰りに薬草畑を覗いてみます」
「ありがとうございます。取り敢えず頑張ってみます」
シャーリーはアンヌと別れた後、東側の薬草畑に向かった。
薬草畑にローレンスは見当たらなかった。帰ろうとして立ち止まる。
シャーリーは薬草畑の一番奥まで来ると倉庫の傍で薬草と一緒に寝転がっているローレンスを見つけた。大きく息を吸った。困ったお人だ。
「ローレンス様、薬室長が呼んでいます。薬室に戻りましょう」
「シャーリー、ごめん。もうしばらくこうしていたい」
ローレンスが収穫した薬草を抱えて地面に寝転がっている。
ローレンスの気持ちは何となくわかるシャーリーはローレンスの姿を眺めながら初めてローレンスが薬草と昼寝をしているのを目撃した時を思い出し傍にあった小枝で突いてみる。
見習い薬剤師になったばかりで薬室長にグラベル、ローレンスとカルロと楽しく薬草を作っていた時だ。あの時の自分が今の状況を想像できただろうか。
そんなこと考えもしなかった時間の中でシャーリーいつも楽しく薬つくりが出来た。それは薬室長やグラベル、ローレンスとカルロがいたからだ。四人はシャーリーをなんの偏見も持たないで温かく受け入れてくれた。
グラベルのことで思い悩んでいた時も寄り添ってくれたローレンスに感謝している。
シャーリーはあの時と違う自分の立場を考えた。ローレンスにも同じように今の立場があるはずだ。
「ローレンス様、現実逃避は止めてください。トルンはベスキドと繋がっている可能性が出てきたのです。早く手を打たないとこうして薬草を育てることすらできませんよ」
だた、家から逃れたくて始めた薬剤師だが、今は違う。はっきりとした目標が自分にもできた。
ローレンスが顔をあげた。
「シャーリー、枝でつつくのは止めて」
「でしたら起きてください。ローレンス様もやらなければいけないことがあるはずです」
「そうだね」
起き上がったローレンスは空を眺めていた。
「薬室長とは幼馴染だったんだ。僕はいつも傍にまとわりついていたんだ。薬剤師になると知ったときも、僕は迷わず薬剤師になることを決めた。ずっと一緒にいられると思ったのに」
シャーリーはローレンスの話を静かに聞いていた。ずっと傍にいられると思っていた人が突然、離れていくのは辛いだろう。
「もうすぐ、リズバルク伯爵とアンヌ様が来ます」
シャーリーはアンヌが帰りによると言う言葉を思い出した。
「シャーリー、それを早く言って。リズバルク伯爵、怖いんだよ」
ローレンスはそういうと急いで立ち上がり籠を持つ。
その姿を見て、シャーリーは少し安心した。




