薬剤師試験 前編
薬剤師試験が目前に迫った薬室ではピリピリした雰囲気を漂わせていた。
見習い薬剤師たちの中にはこの試験に不合格でも見習いのまま薬室に残れると思っていた者もいて、ローレンスから不合格者は薬室に残れないと言われて慌てて勉強をし出す者もいた。
元からしっかり試験勉強をしていた者の中には故郷で薬屋をしたいと言っている者や、安定した職業を求めている者もいる。そして家のしがらみから逃れたい者も。
エレノアも先日、薬草園の手入れをしている時にリズバルク伯爵が来て、声をかけられたらしい。エレノアとアンヌは家に連れ戻されることがない保証を求めて薬剤師になることを決めた。イザベラの体調はとても安定していたことも幸いして二人は勉強に集中出来ていたようだ。
リズバルク伯爵は先日、シャーリーたちに言っていた通り、牡蠣の貝殻を買い付け、その支払いを陛下に押し付けて帰ってきた。
「今後も継続的にホルック領へ届けられるようにしてきた。ブランデン殿に肥料として使える状態にしてそれぞれの領地へ運んでもらうように伝えてある」
「継続的ですか?」
「そうだ、継続的にしないと意味がないからな。支払は冬風邪の時に診療所で支払われたお金がある。それを使わせてもらうことにした」
「それは診療所の運営費ではないのですか?」
「運営費はもとから国が出しているから、診療費は残っていた。それはグラベル様が薬草畑に使うつもりで貯めていたんだ。引継ぎの時にその話が出て、必要なら使っていいと言われていたから早速使ってみた」
楽しそうに話すリズバルク伯爵にシャーリーは流石だと感心する。
前陛下の時に戦争で手柄を立てた人物だと聞いていたがもう何年も昔の事だ。あまり表舞台に出てくることもなかったので子息に代を譲って隠居するつもりなのかと思っていた。
「どうしてホルック領へ届けることにしたのですか?」
「カルロ殿に聞いたんだ、肥料にする手順まではまだ教えきれていないようだからホルック領で作った物を使ったほうがいいと判断した。それに今はフォアボルド領もリンゲル領も薬草を作ることに専念した方がいいだろう」
リズバルク伯爵はもうすぐ冬が来るからと付け加えた。何もかも先を見越して動いてくれていることに感謝する。シャーリーふと、思い出したことがあった。
「アンヌ様のお父上がリズバルク伯爵とアンヌ様の婚姻を望まれていたと聞きましたが……」
「ロイザック伯爵は政治的な思惑でアンヌ殿を私に送り込もうとしていた、だからはっきり断ったよ。息子の相手ならいいと」
「ご子息ですか?」
「息子はもう二十三になるのだがまだ独り身なんだ。その息子の相手なら年も近いからいいと思ったのだが、どうやらロイザック伯爵は私の力を欲しているようでな、息子の話は断られたよ」
強面のリズバルク伯爵は苦笑いをしている。本当にあった話なんだと更に驚く。
「それで、アンヌ様は薬剤師を続けてもいいのですか?」
そこが心配だった。
「アンヌ殿もエレノア殿も薬剤師を続けてもらおうと思っている。その為には試験に受かってもらわないといけないが。ご両親の説得は試験が受かった後に行こうと思っている。シャーリー殿のところにも行こうか?」
突然降られて話にシャーリーは動揺する。まさかあの話は知らないはずだ。しかしそれをここで言うのも憚られる。
「違いましたな、シャーリー殿はグラベル様に嫁がれるのでしたな」
ハハハハと笑い出す。初めから知っていて揶揄われていたのだ。
「それはですね、まだ正式に決まったわけではなくてですね」
シャーリーがしどろもどろ訂正をしていると更に大きな声で笑われた。
「グラベル様は何もおっしゃらなかったのでしょうか」
何もかもお見通しだ。
「そうですねー」
なんと言っていいのか分からなくなる。
「あの方は愚直すぎるところがあるから、きっとシャーリー殿をあらぬ噂から守りたかったのだと思いますよ」
やはり噂から守るためだと言われた。シャーリー自身、どうしてグラベルがはっきりと言わなかったのだろうかと気になってはいた。
皇太后が気にいっていたから仕方なく、なのかと思ったがどうやらそれも違うとこの前のイザベラの話から推測出来た。
「どんな噂が出ていますか?」
シャーリーもいくつかの噂は聞いていたが、はっきりとしたものは聞いていない。もしかして周りが気を使って教えてくれなかった可能性もある。
「グラベル様は婚約者がいたにも関わらず、他の令嬢に思いを寄せていて婚約者を蔑ろにしていた。この話が一番多いですね」
リズバルク伯爵は淡々とした表情で答えた。
「その、他の令嬢が私ですか」
「グラベル様の一番近くにいたのがシャーリー殿だった、それだけです。それにソフィーが狙われて毒抜きが出来ないと分かった時点で陛下の側近はレヌアイ子爵とソフィーに婚約の辞退をするよう伝えたけど、ソフィーはがんとして譲らなかった」
「陛下やグラベル様がそのままでいいと伺っていましたが」
何かが違うとシャーリーは感じた、まだ自分が知らないことがあるのだ。
「陛下や皇太后様ははっきりとは仰らなかった。それはグラベル様がご自分のせいだと思い悩んで引きこもってしまったからですよ。幸い、薬室長がグラベル様を薬剤師にしてくださったおかげで表に出てくることはありましたが、後継者としては頑なに拒んでいたことは知っていましたか?」
知らない。シャーリーは首を横に振る。そう言えば、領主・管理官と薬剤師をかなりしっかりと使い分けていたような気がする。
「初めはソフィーに怪我を負わせた懺悔のつもりだったのかもしれません。でも今は違う。はっきりとした目標を持って行動されていますよ」
目標とは薬草畑を作ることだろう。北の地でグラベルは薬草畑を作るために奮闘している。
「グラベル様が今、頑張っておられるのはシャーリー殿の影響ですよ」
「私ですか?」
思いもよらない言葉に驚く。
「シャーリー殿がこの王都で薬草畑を広げるためにしていることが励みになるようです。いつかシャーリー殿に胸を張って会いに行きたいと言っていましたよ」
「胸を張らなくても、それに王宮はグラベル様のお部屋もありますから」
シャーリー焦ってくる。どうやら墓穴を掘ったみたいだと後悔した。
「シャーリー殿、見習い薬剤師たち全員の合格を目指しませんか?」
「全員合格できるのであれば言うことはないのですが、それはどういうことですか?」
「グラベル様のハードルを上げましょう」
何故か不敵な笑みを浮かべるリズバルク伯爵だった。




