診療所と医師
騎士団を後にして診療場へ行く馬車の中でグラベルとシャーリーは外の景色を見ていた。
確か、この辺りに治療所があるとアーリシュが言っていた。
「グラベル様」
馬車の外からアーリシュが声をかけてくる。馬車の速度が落ちてゆっくり進む。
馬車が通り過ぎようとする目の前の建物に人が数人集まっていた。
あれか。
グラベルが確認すると馬車は速度を上げてそのまま診療所へ向かった。
「あの治療所はどうなりますか?」
シャーリーも同じように外を見ながら聞いてくる。
「これから行く診療所は国の管理下に置かれているものだ。そこを襲撃したのだから反逆と捉えられても仕方がないだろうな。それに医師の知識は皆無に等しい。そんな者をこのままにはしておけない」
シャーリーがため息をつきながらどうしてこんなことをと呟いていた。
「流行り病で皆が医者にかかろうとした。それを見た者が医者だと言えば誰でも大金が手に入ると考えたのだろう」
病気が治らなければ、気がつくだろう。あの治療所も実際は病が治らないと言われ始めていた。逃げ出す前に捕まえることができて良かったとグラベルは思う。
今後も、このような者が出てこないように医師と薬剤師を許可制にしたかった。
診療所の入り口の壁が壊れていて補修跡が分かる。
診療所の敷地の中には建物が二つ、日取るは診療室と薬局。そう一つは入院施設となっている。
「グラベル様、お待ちしておりました」
診療所から出て来たのはナイジェル医師だ。
三十代後半のナイジェル医師は元々王宮の診療所にいた。
流行り病が王都に広まった時に民の治療のために騎士団の診療所で治療にあたっていた。
「ナイジェル殿、被害の状況はどうですか?」
「入り口の門と診療所を少し荒らされましたが、兵士たちが来てくれて診療所の片付けを手伝ってくれました」
「襲撃した者たちは分かりました。今頃、騎士団のものが捕まえているはずです。あの治療所も取り調べの対象にしましたが暫くは兵士をここに待機させます」
「ありがとうございます。ところで、そちらのお嬢さんは?」
ナイジェルがシャーリーを見て聞いてくる。
「薬剤師見習いのシャーリーです」
「シャーリー、こちらはサイモン医師の弟子でナイジェル医師です。ここの責任者をしてくれています」
グラベルは二人をそれぞれ紹介する。
「サイモン医師が言っていた薬作りの上手い薬剤師見習いとは彼女ですか」
ナイジェルがシャーリーを見て言う。
「そうです。とても優秀で、今度ホルック領で薬草園を作ることになっていますが、その管理をシャーリーに任せようと思っています」
「それは楽しみですね」
グラベルが言ったことにシャーリーは驚いている。
シャーリーにはまだ言っていない内容だったからだ。薬室長にも許可をとっているのでいずれ話すつもりだった。
サイモン医師はシャーリーがホルック領の薬草管理をすることに賛成していた。そして、いずれローレンスやカルロと共に薬室を背負っていくものと認識しているようだ。
薬室内でのことはローレンスとカルロがいるが、それ以外のところでは何かあっても助けることが出来ない。護衛はそんな時にシャーリーを守る役目もしてもらう。
ナイジェルに診療所内を案内してもらいながらシャーリーと見て回る。
「ここにも新しく薬剤師に来てもらうつもりです。その時には薬草はそのままこちらに運び込んだほうがいいですね」
グラベルが聞く。
薬草の中には収穫してすぐに処理をしないと薬効が薄れる物もある。
シャーリーがその横で手帳に記入している。
騎士団と診療所には近いうちに薬剤師を配置する。その為、今まで薬室で作っていた薬作りはなくなる代わりに薬草を配布することになる。
「グラベル様、薬剤師とは以前仰っていた方達ですか?」
シャーリーが診療場の庭を見ながら言う。
「そうだ。取り敢えず、王都だけでも医師と薬剤師を揃えようと思っている」
「王都だけ?」
「医師も薬剤師もまだ足りない。それに許可制にするにもある程度の知識がある者にしか許可は出せない。それを考えると、今すぐ出来ることではないからな」
薬室長は薬の統一を目指しているように、サイモン医師は医者たちの知識を高めたいと考えている。それには薬剤師や医師たちの育成が急務だ。だからこそ、薬室長が薬剤師の試験の事をグラベルとローレンスに話したのだろう。
サイモン医師と薬室長からは王宮内で使用できる敷地の拡大を要求して来ている。
薬剤師の試験合格者は毎回、一人か二人だ。それを増やそうとしている。
薬剤師見習いに教育する為の教材をローレンスとカルロが準備している。準備は既に始められている。
「グラベル様、ここはどうして作られたのですか?」
「流行り病の時に王都だけでも診療所や治療所がかなりの数無くなった。主に、医師たちが病気に罹って亡くなったこともあるが、シャーリーも知っているようにあの頃は国中が荒れていたので逃げ出した者もいた。病に倒れても医者に診てもらうことすらできない状態だったのだ」
シャーリーは無言だった。婚約者が亡くなった事を思い出しているのだろうか。どこか遠い目をしていた。
その後もシャーリーは診療所の敷地内を見て回り、敷地の一番奥の土地を指差した。
「あの土地は何かに使いましか?」
「いずれ診療所としての機能を増やそうと思っている。その為の土地だが。何かあったのか?」
「ここにも薬草畑を作りたいと思いまして」
「薬草畑?」
「はい。薬剤師が来るのであれば、毎日使う薬草はここでも作った方がいいかと」
薬草をすぐ届けられない場合の保険だとシャーリーは言った。
「頼んでみよう。反対はされないと思うが」
「ここは誰の領地ですか?」
「セシル伯爵と言えば分かるか?」
「あっ!」
シャーリーは気がついたようだ。
サイモン医師の領地だ。グラベルが診療所を作りたいと相談した時、この土地を用意してくれたのだ。
○○○
シャーリーが診療所の周辺を見て回る。
「グラベル様、やはりこの場所がいいです」
診療所の南側の一角。薬局に一番近い場所だ。広さも十分あり、日当たりもいい。土を触ってみても薬草畑にするにも悪くない。
「ここなら、薬草畑で作った物をそのまま薬局に運べますね」
診療所の塀を見る。敷地内に薬草畑を作れば管理も楽だ。
「帰ってからサイモン医師に頼んでみる」
「はい。よろしくお願いします」
「ここに作るものは決めたか?」
「ホルック領の農地に何を作るかまだ決まっていないので……」
「それだが、ホルック領の農地は確保できたが場所的に領地内に点在することになった。薬室長に相談して近いうちに薬室のメンバーで見にいこうと思う」
「土の状態も見たいですね」
シャーリーが言っていることは特に確認したいことだ。それをシャーリーやローレンスたちに見てもらい決めてもらったほうがいいだろうと薬室長と話し合った。
いずれ薬室を離れるグラベルはあくまでも道筋を作るだけだ。この先はローレンスとカルロ、シャーリーが決めていく。
ローレンスとカルロは診療所を作ったばかりの時に来ていたので、今回はシャーリーを連れて来た。シャーリーにとっては興味深いものばかりなのだろう、診療所を見て回りそれを手帳に記入している。
診察に訪れる者は絶え間なく、この診療所の役割をしっかり果たしていることに安心する。
「グラベル様」
呼ばれて振り返るとヨハンがいた。
「どうだった?」
ヨハンは別行動で治療所へ行っていた。
「治療所の医師たちを捕らえて騎士団へ連れて行きました」
「どこまで分かるかだな」
グラベルの言葉にヨハンは口を固く結んだ。
捕らえた治療所の医師たちは偽の証明書を発行していた集団と繋がりがあった。今回診療所を襲撃したことで捕らえた。
以前から偵察をしていたが、あの集団を裏で手引している者が未だ分かっていない。
今回の取り調べでどこまで解明できるかも不明だ。
「まだ、同じような者たちがいるかもしれない。引き続き調べよ」
「はい」
先程ナイジェル医師から今回のような治療所が別のところにもあると聞いた。その場所をヨハンに告げる。
陛下は民たちの間に広まっている噂を耳にしている。そして、高官たちの一部にも流行病は神の裁きだと言い出す者も出始めた。
早くしなければ、取り返しのつかないことになりかねない。
グラベルはアーリシュにシャーリーのことを頼み、治療所を見に行くことにした。
馬を用意してもらい治療所へ行く。
治療所はグラベルが思っていたより簡素なにに驚いた。
治療所として使われていたらしい部屋は狭く、治療器具も特になく、薬を入れていたと思われる引き出しも形ばかりのものだった。
「これで治療所とは」
思わず出てしまった言葉。
これでもそれなりに患者はいたと聞く。これでは治る病さえも治らないだろう。
治療所の前には兵士たちが見張りをしているが、覗き込むように民たちが集まり出してきた。
治療所はどうなったと兵士に詰め寄っている者もいた。どうやらここで治療をしていた者のようだ。兵士から医師ではないことを告げられ驚いている。
あの者は信じていたのだ。医療の知識のない治療所の医師を。
医師や薬剤師なら判っているが、そうでない者たちは流行り病を神の采配だと考える者もいる。
それだけならいいが、それを理由に暴徒や誰かにその責任を負わせようと考える者が出てくる。あくまでも自分たちの考えが正しいと主張して。
過去にそうして滅びた国もあるというのに。
それがどれだけ愚かなものか。そんなもの何も生まない。しかし、それを声高に言ったとしても今はそれを聞き入れる状況にない。
職を失った者たちが王都に集まり出している。
辛うじて留まっているこの国の不満や憤りをこれ以上溢れなせない為にもグラベルがやらなければいけないことはある。
国として再び繁栄を取り戻すのか、滅びの道を行くのか、まるでどちらかが脱落するのを図られているような気になる。
嫌なことだと思うが、起きてしまったことを戻すことは出来ない。
「グラベル様」
見張りの兵士に呼ばれて外に出ると診療所に行く時に乗っていた馬車が停まっていた。
兵士に礼を言うとグラベルは乗ってきた馬を兵士に預け馬車に乗り込んだ。
「グラベル様、治療所はどうでしたか?」
シャーリーが心配そうに聞いてくる。
「ここにいた者たちは既に騎士団へ送られた。治療所も形を整えただけのようだった」
シャーリーが馬車の窓から元治療所を見る。
「民が安心して治療できる環境を整えましょう」
シャーリーの言葉に勇気づけられる。こうして言ってくれる仲間がいることに感謝する。
グラベルは立ち止まることは出来ない。
民の為に、そして陛下や皇太后の為にも。




