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サイレント・アイ ~言葉なき探偵~  作者: 深井陽介
第一章 遺志の行方
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1‐7 茶も喫しない


 晃はどこで情報を入手しているのだろう。彼女は主に、ネット上に散らばっている情報をかき集めたり、知り合いを手駒にして収集したりしている。正確性では劣るはずだが、なぜか晃からもたらされる報告に間違いがあったことは一度もない。黒宮誠司に関しても情報通り、大学近くの喫茶店で経済雑誌を片手にコーヒーを嗜んでいた。髪もスーツも綺麗に整えられた、清潔感のある青年という風貌だ。

 店内に他の来客はそれほどいなかったので、騒ぎを起こして睨まれたくないわたし達としては好都合だ。とはいえ、いかにして黒宮と接触するか……あまり馴れ馴れしく話しかけても、こっちの印象を悪くして警戒されるだけだし……。

 などと悩んでいるわたしに構わず、藍は(当然ながら)無言で、黒宮のいるテーブルに着席した。何事かと言わんばかりに目を丸くする黒宮。


「す、すみません……」わたしは再びフォローに回る。「同席してもよろしいですか」

「ああ、構わないけど……僕に何か用が?」


 寛大な人で助かった……同じことをして怒鳴られたことが二度ほどあったので、どうなるかと不安だったのだが。

 わたしは藍の隣の椅子に座った。


「えっと、用というほどでは……」

「隠さなくていいよ。他の席が十分に空いているのに、わざわざ奥の、すでに人がいるテーブルに来ているんだから、僕に用があるのは確実だろう?」


 ああ……これは下手にごまかしても無駄な相手だ。わたしは正直に素性を明かした。


「……そうですね。わたしは山辺桜、こっちは八重野藍、探偵をしています」

「探偵? 君たちみたいな若い女の子が探偵って……いや、これは女性に対する偏見だな。即時撤回しよう」


 紳士的な対応だ……なるほど、悪い噂など立ちそうもない人格者だ。正尚などと違って品がよく、不快な感じもまるでない。


「探偵なら、僕のことはもう知っているのかな」

「黒宮誠司さんですよね。黒宮グループ総帥のお孫さんの……若手のホープとしてマスコミにも取り上げられたそうですが」

「マスコミといっても、経済雑誌に少し取り上げられたくらいの扱いだよ。母が大物政治家の娘でね、その影響もあって注目されていただけさ。全般的に浸透している有名人というわけでもない」


 特定の方面における有名人か……というか自然に謙遜してきたよ、この人。


「とはいえ、母方の祖父に目をつけられて、政治との関わりを強めるのも癪だったから、在学中に公認会計士試験をパスして、少し前、正式に資格を取った。自力でポストを確保できるようにね」

「簡単に言いましたけど、公認会計士の試験ってかなりの難関ですよね」

「そうだね……実を言うと一回だけ落ちてるんだ。それでも何とか頑張って合格し、それから二年かけて監査法人で実績を積んで、ようやく資格を得られるんだよ。大変だったけど、その甲斐あって、今は父が取締役をしている会社にいる……まあ、所帯を持ったら、大手の監査法人に転職するつもりでいるけどね」


 あくまで親の力は借りず、公平中立な職場を選ぶのか。黒宮の清廉さはよく分かったが、そろそろこちらも本題に移りたい……。

 名前を出していいかな、と藍に目線で問いかける。藍は頷いてくれた。


「素晴らしい心意気ですね。恵実さんもその清廉さに惹かれたんでしょうか」

「ん? 恵実のこと、知っているのかい」

「ええ。実はわたし達、出雲家の遺産の所在と、哲邦氏の愛人の存在について調べているんです。それで、色々内情を探っているんですけど」

「なるほど、それで僕にも接触してきたのか……といっても、僕はあまり詳しい事情を知らないよ。恵実のお父さんが亡くなられたことは聞いているけど、遺産のことで探偵が出動する事態になっているとは知らなかったな。まあ恵実も、何だかんだ言って、遺産にこだわりそうではあるけど」

「恵実さんも? あなたと……えっと、結婚なさるのに?」


 後半は声量を落として言った。周囲に聞かれるのは避けたい。


「そりゃあ、将来的にはそうなるけど、もらえるはずの物がもらえないのは、彼女としても得心がいかないんじゃないかな。そういう人だよ、あの子は」


 さすが、恵実のことをよく分かっているようで……。


「不躾だとは思いますが、恵実さんとはどのようにして……?」

「うん……彼女が出席していた一年生ゼミに、担当教授の助手として参加したときに知り合ったんだ。それからほどなくして交際を始めたけど、周囲にはすぐ露見したね。まあ、特に隠すつもりもなかったけど」


 なんだ、それなら恵実との結婚話を知っている人も割といるんじゃないか。


「当初は、父親同士の策略じゃないかと陰口をたたく人もいたけど、本当にそんな策略で出会ったなら、むしろ交際を断っていたよ。僕は単純に、恵実の熱烈なアプローチに押されただけさ」

「恵実さんの方から交際を迫られたんですか」

「迫られたといっても、僕が折れるまでそう時間はかからなかったけどね。悪い話とも思わなかったし。それに、交際にしても結婚にしても、大物実業家の娘が相手だから、両親も特に反対はしなかったからね」

「でも、結婚を前にして、その大物実業家は亡くなったわけですよね」

「僕の家は出雲家との関わりをそれほど重視していないし、嫁入りであれば結婚も予定通りに進めていいらしくて、今のところ滞りはないよ。二人もすでに彼女に会っているなら分かると思うけど、彼女、見た目に比してなかなか聡明な女性だから、身内から積極的な反対意見は出ていないのさ」


 思いのほか黒宮誠司もベタ惚れしていたな……見た目に比して、というのは本人にちょっと失礼だと思うけど。まあ、聡明そうな外見でなかったのは確かだ。


「結婚式場の予約も済んでいる。大学の近くにある教会で、恵実が卒業した後の五月に式を挙げる予定だよ。よければ、二人も来てくれると嬉しいな」


 そう言って黒宮は柔らかな微笑を浮かべた。……いや、眩しいから。


「えっと、それは後々ゆっくり伺うとして」わたしは目頭を押さえながら言った。「黒宮さんは、出雲哲邦氏について何か知っていますか。なかんずく遺産に関して」

「うーん……」黒宮は腕組みして考える。「鉄鋼やレアメタルに関連する事業で、巨万の富を築いた人と聞いているけど、あの人の会社とは関わりはまだないから、それ以上のことはよく知らないな。でも、父の仕事仲間が、何度か会ったことがあると聞いたよ。なんでも貿易商の陰で裏稼業に手を染めているとか、そんな噂をしていた」

「裏稼業? あまり語感のよくない言葉ですね」

「真に受けない方がいいと思うよ。彼らは僕の両親を介して、保守政治家である祖父に取り入ろうとする連中だから、どこまで信用できたものか分からないし」


 哲邦氏は保守派に疎まれるような事でもしていたのだろうか……。


「では、哲邦氏の奥さんや、恵実さんのお兄さんについては?」

「母親の方は知らないけど、お兄さんの正尚氏なら、恵実から聞いて興味を持ったことがあるよ。友人のベンチャー企業に入って、順調に経営成績を上げているとか」

「興味を持ったことがある……過去形ですね」

「会社に行って会おうとしても、ことごとく外出中でね、未だにちゃんと話を聞けたためしがないんだ。どうも間が悪い」


 それは……本当にただ間が悪いだけなのか? ちょっと気になるな。


「ところで」黒宮の視線がわたしの隣に向く。「そちらの彼女は何も聞いてこないね」

「ああ……」


 なんか、すっかり存在を忘れていた。本人はタブレットをいじってばかりだけど。


「藍、何か聞きたいことある?」


 すると藍は、待っていましたと言わんばかりに、タブレットの画面を黒宮に見せた。


『式場に選んだ教会に、特別な行事用の杯はありますか』


 ……どこからそんな疑問が生じたのだろう。


「ああ……そういえばあるらしいな。どんなふうにして使うかは知らないけど、あの教会では結婚式などで頻繁に使うらしい。でもどうしてそれを?」


 黒宮の質問に答えることなく、藍はおもむろに椅子から立ち上がると、タブレットを脇に抱え、黒宮に向かって頭を下げた。そして、そのまま席を離れた。


「ちょっ……」


 安定のマイペースぶりに、わたしは戸惑いを隠せない。とりあえず、黒宮に「お邪魔しました」と告げて、藍の後を追うべくその場を離れた。藍は割と足が速く、フォローに時間をかけるとすぐ見失ってしまうのだ。何も注文しなくて正解だった……。

 喫茶店を出て周辺を見ると、藍はまだそう遠くない所を歩いていた。わたしはすぐに追いついた。


「どこに行くのさ、藍……教会に行くの?」


 藍は頷く。


「いったい何があるっていうのよ……それに、住所的には例のマンションの方が近いよ。そっちから先に寄ってもいいんじゃない?」


 藍はかぶりを振った。……行かないのか?

 なぜマンションを調べないのか。問いかけようとして、わたしは寸前でやめた。彼女の双眸がすべてを物語っていた。何もかも、確信を持っている目だ。

 ……説明する気はないみたいだけど。


ここまでで手掛かりはすべて書かれました。

次週より、謎解きが始まります。

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