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サイレント・アイ ~言葉なき探偵~  作者: 深井陽介
第一章 遺志の行方
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1‐5 夜の始まり


「せっかくだから、夕飯くらい食べていったら? お腹すいたでしょ」


 寝起きの恵実があくび交じりに提案してきた。自分の部屋に戻る前に、雇いの料理人のもとへ行き、わたしと藍の分も追加で作るよう頼んでいたらしい。

 こちらとしては願ってもいない話だった。一応ここへは、遺族に話を聞きたいという藍の要望で来ていたのだ。ところが三人とも自室にこもってしまったため、夕食で全員が集まる時間帯まで待つしかなかった。このうえ会話の余地もなく追い出されたら、かなりの時間を無駄にするところだった。

 もっとも、宏子と正尚はあからさまに不満そうだったが。


「嫌だわ、こんな不肖の子どもと一緒に夕食なんて、不味くなっちゃうわ」

「恵実は変なところで人が好すぎるんだよ。家の中にいるだけで不愉快だっていうのに、夕飯の席にまで連れてくるなんて。せっかくの料理が台無しの気分だ」


 美味の料理を台無しにしているのは、どちらかというと、この二人の独り言ではなかろうか……まあ、言わないけどね。


「広岡先生」宏子が言った。「主人の遺産について知っていることがないか、先生がその娘から聞き出すとおっしゃったじゃありませんか。いつになったら聞き出せるのです?」

「いや、切り口を見出すにも手順というものがありまして……」


 歯切れの悪い広岡。どうやら、わたし達から情報を引き出すと約束して、宏子を説得したらしい。それにしても、本人を前にしてそんな事を口走るとは、この母親も間が抜けている。


「ごちそうさま」


 誰よりも先に食事を終えたのは恵実だった。でも、恵実の席を見ると、ほとんどの料理が食べかけで、満足に食べたようにはとても見えなかった。


「おい、またずいぶん残したな、お前……」

「うるさいな」恵実は正尚を睨み返した。「食欲ないの。ほっといてよ」


 そう言って足早に食堂を出ていく恵実。なんだか家族には態度が冷たいなぁ。


「なんだ、あいつ……そっちの女子高生が相手の時と、扱いに差がありすぎだろ」

「少し前からあんな感じだったでしょ」と、宏子。「大学の勉強がストレスになってるんじゃないといいけど」


 とても心配している口調ではない。どうも全体的に冷めた家族だ。

 さて、そろそろこっちも出雲家の情報を引き出したい。藍は耳と頭以外に働かせるつもりがないので、ここはわたしが切り出すしかない。


「あの、皆さんはどんなお仕事をされてるんですか? 哲邦氏はたくさんの会社を経営する実業家だと聞いていますが」

「なんでそんな事を訊くんだ?」と、正尚。

「いえ、哲邦氏が亡くなった後も、この家で生計を立てる人は必要になるだろうと……少し気になっただけで」

「まあ、別に隠すことじゃないからいいけど……俺は友人が興したベンチャー企業で取締役をしている。誘われただけだが、起業メンバーの一人として名を連ねているよ」

「立ち上げてまだ三年という若い会社ですが、経営は順調みたいですよ」


 広岡が口添えした。弁護士の言うことなら多少は信頼できるだろう。


「父さんから相続した遺産の一部も、資金として会社に入れる予定だよ。二割くらいでも相当な額になるだろうから、会社としてはいい資金源になるさ」

「でも、出どころを帳簿に明記しないと、監査役に睨まれますよ」と、広岡。

「分かってるよ。友人はその辺、抜かりないから心配無用だ」


 正尚も取締役なら、他人事では済ませられないのでは……とはいえ、探偵がそこまで踏み込む義理はない。


「ふうん……宏子さんは?」

「私は専業主婦なので働いてはいないわよ。でも、主人の会社の重役や取引先の方々を招いてのパーティーでは、おもに私がもてなしに回っているわ」


 金満家の妻らしい立場だ。哲邦氏はパーティーの最中も仕事の話ばかりと聞いている。


「招待客のほとんどが哲邦氏との交渉を目的にしているので、順番を待っている間は奥さんが話の相手になっているんです。とても評判がよろしいんですよ」

「へえ……」


 どうやら外面だけは素敵な家族になっているようだ。大手企業の役員とかでない人が相手なら、また態度が違ってくるかもしれない。わたし達に向けたように……。

 すると、藍がナイフとフォークを皿の上に揃えて置いて、無言で手を合わせ、かすかに上体を前に傾けた。「ごちそうさま」という合図だ。わたしが話を聞いている間に平らげてしまったらしい。

 藍は全員に向かって軽く頭を下げると、食器をすべて重ねて両手に持ち、厨房の前で料理人に食器を手渡すと、そのまま一切隙のない身のこなしで食堂を後にした。友人としてフォローするつもりは微塵もないのか……。


「面白半分で来たわりには、あっさり出ていったな……」


 正尚たちも呆然としている。まさか彼女が本命だとは露ほども思うまい。


「えっと、哲邦氏って、この家だとどういう人だったんですか? わたし、詳しいことは何も聞いていないんですが」

「どういう人、か……なんていうか、良くも悪くも、仕事人間かつ趣味人間だな。家庭を顧みることの少ない父親だったよ」

「そうね」宏子も同調した。「私が会食などをうまく仕切っても、正尚が就職しても、恵実が婚約しても、全く関心を示さなかったわ。喜ぶこともなく、怒ることもなく、干渉さえしてこなかった……仕事と趣味以外はどうでもいいと思っていたのかも。私が掃除のために書斎に入っても、ずっと知らん顔だったし」

「本当に、父さんは何を考えていたのやら……」


 不満そうに二人は言うが、この人たちだって、哲邦氏に関しては遺産以外に関心がないのではないか。結局どっちもどっち、非難すべくもない立場なのだ。

 三十分ほどで夕食を終えて、宏子と正尚は先に食堂を後にした。普段からそのようにしているのか、空の食器はテーブルに置きっ放しだ。庶民の(さが)で、わたしは二人の分の食器もまとめて厨房に運び込んだ。恵実が放置した食器は広岡が運び込んでくれた。


「あ、そうだ。今夜のことなんですが……」


 広岡からあることを伝えられ、藍にも話すよう頼まれた。とりあえずわたしは了承し、そのまま食堂の前で広岡と別れた。

 引きずるように足を動かし、藍を探してリビングに向かう。これまでに味わった事がないくらい、重苦しい夕食の三十分だった……ある程度の内情を引き出せたとは思うが、たいして手応えがない一方で、えらく神経をすり減らしたような気がする。とにかく、さっき広岡に言われた事を、彼女にも伝えておかなければ。

 途中、誰かが小声で話す声が聞こえて、わたしは立ち止まった。二階に続く階段の上からだ。静かに近づくと、踊り場で正尚が、携帯電話で何か話していた。


「お前はどうなんだ? ……そうか。ああ、こっちも股上(またがみ)だよ」正尚は髪をくしゃくしゃと掻いた。「もう一度、社長に相談するしかない。頭下げてでもな……」


 相手は会社の同僚だろうか。しかし、股上とは何のことだろう……ベンチャー企業とは聞いているが、服飾関係だとはひとことも言ってなかった。

 まあ、深入りすることもないだろう。わたしはその場を離れる。これ以上疲労が増すような真似はするまい。


 果たして、藍はリビングで応接ソファーに腰かけ、タブレットを操作していた。わたしは後ろに回り込み、タブレット画面を覗き込む。藍はずっと画面を見ているけど、足音や気配でわたしが来たことには気づいているはずだ。


「あれ、メール送ってたの」


 わたしの問いかけに、藍は頷きで返し、さっき送信したメールの中身を見せてくれた。哲邦氏の机の裏にあった、例の写真が添付されていた。夕食前に、わたしは藍にこれを預けていたのだ。


「背景のマンション、どこにあるか調べてもらうんだ?」


 藍は再び頷いた。しかし、いつにも増して表情が険しくなっている。どうやら他にも何か抱えているようだ。今は訊いても教えてくれそうにないけど……。

 というか、大事なことをまだ伝えていない。


「そういえば藍、今夜はもう遅いし、ここに泊まらない? 広岡さんの計らいで、この家の人からも宿泊の許可が下りたし」


 そう言うと、藍はタブレットに文字を打ち込んで、画面を見せた。


『姉所長からも許可をもらった後でね』


 ああ、晃の存在を忘れていた……まあそれは後でやるとして。再びタブレットに指を滑らせる藍に、わたしはもうひとつ大事なことを伝える。


「ただ、来客用に確保できる空き部屋とベッドが、今のところ一つだけらしいんだ」


 藍の指が、止まる。ディスプレイにはひらがなが一文字だけ映っていた。


『え』


「……そういうわけで、今夜は一緒に寝ることになるから。ここのベッドは大きいから、二人くらいなら余裕で並べられるよ」


『えええええええええええええええええええええええええええええええええ』


 さっきから同じ文字が次々と現れている。見ると、藍は開けっ放しの口を震わせ、耳の先まで真っ赤になっていた。指はEのキーを押さえたまま、動かない。

 思い返してみると、藍と同じ部屋で一夜を明かした記憶はなかった。中学校の修学旅行とかもあるから、誰かと同じ布団で寝るのは初めてじゃないはずだけど、その時も藍とは一緒じゃなかった。

 ……何も言わない奴だけど、こういう時は分かりやすいんだよなぁ。


……百合展開は想定していません。

次週、いきなり事態が大きく動きます。というか動かします、藍が。

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