2‐10 答え合わせ
探偵役である藍は、何も説明してくれません。だから周りの人たちが代わりに、頑張って謎を解いてくれます。というわけで、謎解きターンの開始です。
国枝藤子を殺害したのは自分であると、渕上里枝は自供した。元々、殺害のための準備は夫の政司が進めていた。政司は以前から、藤子が財産目当てに自分を殺す可能性を考えていて、その前に手を打とうとしていたという。ところが、いざ準備が完了した矢先に瀕死の状態になり、渕上が計画を引き継ぐことになった。そのように、政司から秘密裏に頼まれたというのだ。
首尾よく藤子を殺害することに成功したら、自分が彩音を引き取って面倒を見る算段だったと、渕上は語った。政司も、万が一の時は渕上に、彩音のことを任せるつもりだったというが、それ以上に渕上自身が、彩音のことを偏愛的に気に入っていて、自分の手元に置いておきたいという願望があったという。
衝撃的な告白のあと、その場に崩れ落ちたままの渕上を放置して、藍は藤子の部屋を出ていった。無言なのはいつものこととしても、渕上へのフォローすら一切なく、まるで眼中から完全に排除したような態度だった。
いや、待っておくれよ。わたしには何が何だかさっぱり分からない。藍は知りたいことを知れて満足だろうけど、こっちはそうじゃないのだから、置いてきぼりにしないでほしい。
というか、友人にして探偵助手であるわたしを放置するな。これで何度目だ。
藍に続いてわたしも部屋を出て、藍の後ろについていく。もうここでやる事はないのか、真っすぐ玄関に向かい、普通に外に出た。
「ねえ藍、これってどういうことなの? 渕上さんが犯人だって知ってたの?」
答えるわけがないけど、わたしは必死に問いかける。すると藍は懐から、手のひらサイズで灰色の物体を取り出し、門扉のそばの郵便受けの上に置いた。そしてそのまま悠然と歩いて去っていく。
郵便受けの上に置かれたのはICレコーダーだった。わたしに直接手渡さないってことは、わたしのために残したものではないのだろう。それでも気になるので、スマホ用に持ち歩いているイヤホンをレコーダーのジャックに差し、唯一残っていた録音データを再生して聞いてみた。
『……い、いけません! 金槌を、金槌を下ろして!』
渕上の声だ。これは、鏡に向かって金槌を振り下ろそうとした藍を、渕上が止めようとしているときの音声だ。もう少し先まで聞いてみると……。
『認めますよ……私が、奥様を殺しました』
渕上の自白も、その後の供述もすべて録音されている。証拠となるかどうかは怪しいが、警察を動かすには十分すぎる。そんな証拠を、ここに放置したということは……。
「まさか!」
わたしはハッとして、はす向かいのアパートを振り向いた。たぶん今も、警察官がどこかの部屋を借りて見張っている。当然、藍がICレコーダーを置いたところも見ている。
分かってきた……昨日ここに来たとき、なぜ藍が見張りの警察に、探偵である自分の存在をアピールするような行動をとったのか。それは、警察に自分の存在を印象づけ、明らかに不審な行動をとったらすぐに動けるように、心の準備をさせておくためだ。そのうえで、玄関先で金槌を取り出して、目立つ持ち方をして、家人を押しのけて無理やり家の中に入れば、確実に警察は不審に思って何らかの行動に出る。そして警察がこの家を訪ねてくる前に、郵便受けという目立つ場所にICレコーダーを置いておけば、確実に手にして、録音データから渕上が犯人だと断定してくれる。
藍は最初からすべて計算ずくで行動していた。そのうえで警察と一切顔を合わせることなく、彼らをうまいこと誘導したのだ。ということは、犯人が外部犯だという可能性も、彼女は最初から考えていなかったことになる。外部犯に気づかれる恐れがないと確信していたからこそ、見張りの警官へのアピールもできると思ったのだ。
でもなぜだ。いつから藍は、渕上が犯人だと考えていたのだろう。これまで一度も、そんな素振りは見せていなかったのに。
……考えていても仕方がない。警察に目をつけられるのも厄介だし、ICレコーダーは郵便受けに置いておき、藍を追いかけることにしよう。いずれ警察はここに来て、状況を把握し、後から来る彩音にも説明することになる。警察も動き出して、やる事がなくなった藍が、これから行く場所は決まっている。
急ごう、わたし達の探偵事務所に。
* * *
思ったとおり、藍は『やえの探偵事務所』に戻っていた。
「おー、桜おかえり」
ついでに晃も、いつものデスクにいた。
「今なんか業腹な扱いをしなかったか、心の中で」
「いえ、別に」
わたしはすっとぼけた。というか心の中を読むな、テレパスか。
藍はどうしているかといえば、毎度のごとく雑用にいそしんでいた。タイル敷きの床を、ウェットシート付きのモップで拭き掃除している。普段から土足で歩き回っている場所を、そこまで丹念に掃除しなくてもいいような気はするが。
「藍は何か言ってましたか。今回の調査について……ああいや、何も言ってないのは分かってますけど、何かしら報告とか上がっているかな、と」
「私に逐一報告する義務なんて別にないけど、報告書の類いは明日にでも書かせるつもり。藍の記憶力なら、明日でも十分細かく書けるしね。詳細に書いてくれないと、経費の計算もできないんだから」
「晃さん、帳簿のつけ方が分かるんですか」
「キミもいちいち失敬だな。所長を請け負うからには簿記の勉強くらいするわよ」
それもそうか。あれ、何の話だったっけ。経費について相談したかったわけじゃなくて……ああ、思い出した。
「じゃあ、藍からまだ真相は知らされてないんですね」
「真相? ああ、渕上里枝が国枝藤子を殺害した犯人だってことかい?」
「はあっ?」
わたしは思わず、裏返った声で叫んだ。なんで報告も受けていないはずの晃が、ついさっき判明した事実を知っているんだ。晃のデスクにダンッと両手を突いて問い詰める。
「なんで知ってるんですか!」
「キミ、探偵の仕事に関わるなら、ポーカーフェイスくらい身につけておきな。秘密にするべき調査内容を、ちょっと鎌をかけられた程度で相手に漏らすようじゃ、先が思いやられる」
ぐっ……自分の頬筋が引きつっているのを自覚できた。晃は予想していただけで、わたしが動揺して、その予想が当たっていると言ったも同然の反応をしたのだ。確かに修行が足りなかったかもしれないが、相手の神経を逆撫でするその物言いはどうにかならないのか。
「ていうか、晃さんは予想してたんですか。渕上さんが犯人だって」
「まあね。確証はなかったけど」
「いつからですか?」
「たぶん犯人だろうと思ったのは、ゆうべ桜から電話で報告を受けたときかな。怪しいと思ったのは、渕上氏がうちに依頼をしに来たときだ」
そんなに前から? しかも渕上が依頼した時点では、まだ事件が発覚してすらいなかったはず。それなのに怪しいと思ったのか……え、なんで。
「ちなみに藍も、同じタイミングで渕上氏に当たりをつけていた。藍は最初から、渕上氏が犯人だという前提で調査を進めていたんだよ」
「そんな……って、本人から報告を受けたわけでもないのに、なんで藍も同じタイミングで気づいたと言えるんですか」
「ん」
晃はおざなりな態度で、一枚の名刺を机上に放り投げた。拾い上げてみると、さっき藍に見せられたものと同じ、大森義時なる探偵の名刺だった。そういえば渕上は、この名刺を藍に見せられた時、激しく動揺していた。
「藍からゆうべメールで、この探偵について調べてほしいと頼まれたのよ。だから私と同じことを考えていたと分かったの」
「そういえば晃さん、電話での報告のあとも、やる事があるって言ってましたけど、藍からの頼まれごとをしていたんですね……で、この探偵がどうしたんですか」
「……渕上氏がうちに依頼してきたとき、ひとつだけ妙なことを言ってたのよ」
妙なこと? 同じ話をわたしも聞いていたけど、妙な点などあっただろうか。
「桜は覚えてる? 渕上氏がうちに依頼するにあたって、どう言って奥さんを説得したか」
「ええと……確か、彩音さんと年の近い女の子が警護すれば、悪い噂もさほど立たないから、でしたっけ。細かくは覚えていませんが」
「まあそんなところだけど……おかしいと思わない?」
「え?」
わたしの芳しくない反応に業を煮やしたか、晃はため息をつきながらこっちを見る。
「渕上氏はどうして、彩音くんと変わらない年頃の女の子の探偵が、うちにいると知っていたのかしら?」
「あっ……!」
わたしは自分の迂闊さを呪いたくなった。
確かにおかしい。渕上がうちに来た時点で、この事務所は一度も依頼を受けておらず、宣伝もしていない。ここに在籍している探偵が、中高生の女の子であることは、この事務所を訪問して初めて分かることだ。それなのに渕上は、事前に藍のことを知っていて、その事実を藤子への説得に使っていた。内情を知る手段はなかったはずなのに。
「じゃあ、渕上さんはどうやって、藍のことを知ったんですか」
「警察内部にも藍を知っている人はいるけど、渕上氏が気軽に相談できる範囲に、知っている警察官はいないだろうし、もし知っていても、警察が探偵を紹介することはまずない。考えられるのは、同業者だけ」
「同業者……まさか、この大森さんって探偵が?」
「探偵業者には、同業者を介したネットワークがあるし、適正に調査していることを定期的に公安委員会に報告する義務があるから、他の業者の内情を調べるのは難しくない。うちに女子高生の探偵がいるってことは、同業者の間では割と知られているのよ。同時に、あまり快く思われてもいないけど」
「なんでですか?」
「この業界にはろくでなしが多いのよ。女子高生探偵って、それだけで女性や若い人から好印象を持たれやすいから、評判をかっさらわれると思われがちなのよね。あこぎな事をして儲けを出したい連中にとっては、目の上のたんこぶってわけ」
正しく誠実であろうとすれば、そうでない人間に睨まれるという理屈か。もっともその程度の人間を、藍がいちいち相手にするとも思えないが。
「ちなみによその探偵は誰も、藍が究極の無口だってことは知らないのよ。委員会に報告するほどのことじゃないから、どうしても耳に入らないのよね。だから渕上氏も、藍が一切口を利かない性質だとは知らなかったのよ」
「なるほど、渕上さんはそうやって紹介されたから、藍のことを知っていて……って、その理由に見当がついていたなら、怪しむ理由はないじゃないですか」
「いいえ。だって渕上氏は、私たちの前にボディーガードを雇おうとしたという話はしたけど、その探偵から紹介されたとは一言もいわなかった。よその探偵の紹介でうちのことを知ったのなら、その話だって当然するでしょ」
そういうことか……藍と晃が渕上を怪しんだ、その理由がようやく分かった。
「つまり……その探偵に依頼をして、この事務所を紹介された、そのプロセスの中に、わたし達に言えないような何かがあるってことですか」
「ええ。探偵に半端な隠し事をして、目をつけられたら困るような何かが……まずろくな類いの隠し事じゃないわね」
「じゃあ、藍がこの大森って探偵に目をつけたのは……」
「国枝氏の自宅に行ったとき、渕上氏が使っていた部屋で名刺を見つけたそうよ。最初に依頼した探偵の手掛かりがないか、探ろうとしたらしいけど」
ピンポイントでその探偵にたどり着く手がかりを見つけてしまったのか。たぶん探したのは、先に夕飯を食べ終えて台所を出た直後だろうけど、これって不法侵入、というか部屋にあったものを持ちだしたら窃盗じゃないか。……まあ、写真だけ撮って晃に見せただけで、名刺は晃が調査の中で入手したのだと、思うことにしよう。うん、きっとそうだ。
そうして大森という探偵にたどり着き、同業者たちのネットワークを駆使して、その探偵の素性について調べたのだろう。恐らく、渕上がどんな依頼をしたのかも。
「まあ、その前に彩音くんの話を聞いていて、たぶん渕上氏が奥さんを殺したのだと考えたから、思い切った手段に出ることにしたんだけど」
「さっきから話が早すぎませんか……彩音さんの話って、昨日の、藤子さんが殺された事件の詳細ですよね。あの話を聞いた時から、渕上さんが犯人だと思っていたんですか。わたしはずっと、警察の見立てどおり、外部犯の仕業だとばかり……」
「その警察の見立てこそ、犯人の思惑のまま、つまりミスリードってこと。冷静に話の内容を整理すれば、そのことに気づけたはずよ。細かいトリックが分からなくてもね」
確かにあの話のあとも、他人の口から出た情報を簡単に信じてはならないと、晃は言っていたが……あの時点で、警察の見立てが間違っていると分かっていたということか。
「でも、どうして分かったんですか?」
「犯人が外部の人間じゃないってこと? とりあえず事件の内容を整理して、一度自分で考えてごらん。どうしても無理ならヒントをあげる」
なんじゃそりゃ。生徒思いの教師みたいなことを言い出したぞ、このひと。
ええと……この事件で外部犯の犯行とされたのは、第一に家人にアリバイがあったことが挙げられる。死亡推定時刻の午後三時から四時の間、彩音は学校に、渕上はこの事務所にいた。藤子は自宅から遠く離れた宇之崎市で殺害され、その後自宅に運び込まれた。たぶん内部の人間の犯行に見せかけるためだ。宇之崎市の殺害現場から自宅までは車で四十分近くかかるため、三時二十分頃から事務所に来ていた渕上も、ギリギリでアリバイが成立していたのだ。
殺害場所が別にあると分かったのは、自宅で藤子が倒れていた現場に不審な点があったからだ。藤子は大きな鏡に向かってうつ伏せで倒れていて、後頭部を殴打されている。もし部屋の中で殺害されたなら、背後から接近してくる人物が鏡に映って見えたはず。抵抗する隙がなかったとしても、振り返ることくらいはあったはずなのに、その痕跡は全くなく、藤子は後頭部をそのまま殴られていた。このことから、本当は別の場所で殺害されていて、後から部屋の中に運び込まれたのだと推察されたわけだ。
さらに言えば、凶器は自宅にあったヒスイの玉だった。藤子が外出した先で殺されたなら、自宅の玄関は施錠していたはず。それなのに自宅にあった凶器を持ち出し、藤子の部屋を見つけ出して運び込むことができた……このことから犯人は、合い鍵を持っているうえに、国枝の家の構造も知っていることになる。それが彩音にとっては危険な状況だから、身を守ってほしいと依頼があったわけだ。
彩音の話の概要はこんなところだろう。
……整理してみたけど、どこかおかしなところがあるだろうか?
「あはは、やっぱりダメか」
「やっぱりってなんですか。あーもう降参しますから、ヒントをくださいよ」
晃に対して負けを認めるのが悔しくて、口調が少し粗雑になる。晃はくすくすと笑いながら、三十センチ四方ほどのスタンドミラーを手渡してきた。
「桜、こいつを使って自分の前髪を整えてみな」
「……なんで前髪」
「お化粧のノリを確認して、といいたいところだけど、桜は化粧しないだろうから」
「まあ、おかげさまで健康な肌を維持しておりますが。えっと、前髪の調子は……」
実を言えば、前髪にはいつも気を遣っているから、学校でもしっかり整えている。だから今さら手を加える必要はないのだが、晃が言うならやろうじゃないか。これがヒントになるというのなら……。
わたしは当たり前のように、目の前にある所長のデスクの上に、スタンドミラーを置いた。その直後だった。
「うわあっ!」
びっくりして声をあげてしまった。鏡にはわたしの顔と、その背後に浮かんでいる青いバケツが映っていた。こんなものが映し出されるなんて想定外だ!
何事かと思って振り向くと、藍がバケツの取っ手にモップの先を引っかけ、わたしの背後でぶら下げていた。……真顔で。器用な奴だなぁ。
「いや、何してんの、藍」
わたしが呆れ顔で尋ねると、藍はモップを綺麗に操ってバケツを放り上げると、真っすぐ落ちてきたバケツを片手でキャッチした。器用な奴だなぁ。
「桜、今のがヒントよ」晃が言う。
「今の……バケツが?」
「いやバケツは関係ない。桜、鏡を机に置いて覗き込むまで、すぐ後ろに藍がいて、何をしているのか分からなかったでしょ。鏡を見て初めて分かった」
「まあ、藍は気配を消すの上手いですからね……でもそれが何だと? 鏡を覗いたら背後が見えるのは当たり前じゃないですか」
「そうね、当たり前のこと。鏡を見れば誰でも思い至ること。もちろん、犯人もね」
「そりゃそうでしょうけど……あれっ?」
「やっと気づいた? そう、もし外部犯の仕業なら、奥さんの遺体を運び込んだ時、当然すぐそばにあった鏡にも気づいたはず。それを見れば、後頭部を殴られた遺体を、鏡に向かってうつ伏せに置いたら、不自然な状況になることは容易に想像できる」
そうか……もし普通の部屋だったら、普通に遺体を横たえても、内部の人間の仕業と思わせられるけど、あれだけ大きな鏡があれば、さすがに無理だと気づくはず。それならリビングとか、普通の部屋に放置する方法を選んだはずだ。
「それに、彩音くんも言ってたけど、奥さんの部屋は二階にあるんでしょう? 大人の女性の遺体を、階段を使って二階に運ぶのは、屈強な人間でも骨が折れる作業よ。そんな面倒なことをするくらいなら、迷わず一階の部屋を選ぶ。少なくとも私が犯人の立場だったらそうするわ」
「確かに労力に見合うだけのメリットがありませんね……実際、警察もすぐ外部犯の仕業だと考えましたし」
「つまり、外部犯の可能性は否定される。外部犯に見せかけたかったなら、逆に犯人は内部にいた人間。他の部屋に血痕などがなかったのなら、奥さんが殺害された場所も、遺体が発見された自室以外に考えられない。殺害後にわざと遺体を動かすことで、犯行場所が他にあると錯覚させた……それが答えよ」
なんということだ。現場を一見して真っ先に考え、その直後に否定されたはずの見解こそが真実だったなんて……。
「でも、だとしたら藤子さんは、本当に鏡の前に立っていながら、背後から襲ってきた犯人に気づかず、殴り殺されたっていうんですか」
「そうとしか考えられないわね」
「いくら何でも無理があります! 鏡に映っていたはずの人影に一切気づかないなんて」
「映ってなかったとしたら?」
「え?」
晃はニヤリと口角を上げ、わたしの目を見据えた。
「トリックが仕掛けられていたのが遺体じゃなく、鏡の方だとしたら? その部屋にあったのが実は鏡じゃなく、カメラで撮影した映像を左右反転させて、リアルタイムで映した、高精細のディスプレイだったとしたら、どう?」
謎解きはまだ続きます。
次週の更新をお待ちください。




