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サイレント・アイ ~言葉なき探偵~  作者: 深井陽介
アバンタイトル 誰かの回想
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※作者注※

 この小説はフィクションです。実在の人物、団体、組織、国家とは無関係です。作中人物の行動の一部は、実際にやると法律に抵触する可能性があります。決して真似しないでください。


 思えばあの日から、わたしはあの子から目を離せなくなった。


 浮き足立っていて後先考える余裕もない、そんな感覚に陥ったのは、どこまで振り返ってもあの時だけだ。自分がそれほど落ち着いた性格だとは思っていない。だけど、大事な場面でどんなに緊張していても、失敗といえる失敗をした記憶はなく、平常心に持ち込むだけの技量はそれなりにあると自負できる。そんなわたしが一度だけ、冷静でいられなくなった時があった。


 八重野藍とは小学五年生のときに同じクラスとなった。進級に伴ってクラス替えが行なわれ、新たに一緒になる生徒もいるという事で、一学期最初のホームルームで全員の自己紹介をする事になった。

 それなりに仲良くしていた友達が、揃いも揃って別のクラスに行ってしまい、少しふてくされていたわたしは、自分でもいい加減と分かるほど適当な挨拶ですませた。いま思い返しても、あの時に何をしゃべったのか、ちっとも思い出せない。

 ああ、これで新たに友達ができる見込みはなくなったな……そんな感触を抱き、その後の自己紹介もずっと聞き流していた。ところが、藍に順番が回ってきたとき、無関心でいられない事態が起きた。

 彼女は、他の生徒と同じように椅子から立ち上がると、無言で席を離れ、教卓に向かってつかつかと歩き始めたのだ。担任や他の生徒が呆然とするなか、彼女はチョークを取り、黒板に何かを書き込んでいった。


 八重野藍(読み方 やえの あい)

 9月12日生まれ B型

 好きなもの 甘いもの、謎解き、読書

 嫌いなもの 苦いもの、ケンカ、悪口


 自分のプロフィールだった。他は全員が口頭で紹介していたのに、彼女は黒板に書くことで自己紹介をすませたのだ。実に淡々と。

 書き終えると、彼女は振り返って頭を下げた。そして、周囲の反応も意に介さず、迷いのない足取りで席に戻った。その間、彼女は終始無言だった。口を開く素振りさえなかった気がする。

 教室内は当然ざわめきだした。担任が「静かに」と言ってなだめ、次の人に順番を回さなければ、この調子で自己紹介が滞ってしまったかもしれない。とにかくこの時、わたしは初めて、八重野藍の存在を知ったのだ。


 その日から、休み時間の話題の大部分は彼女のことで占められた。もっとも、噂に挙げられている本人は誰とも言葉を交わさず、黙々と読書をしていた。どんな本を読んでいたかは覚えていないが、黒板に書いたことはどうやら事実らしいと分かった。

 そんな不可思議な出来事があった日の放課後、帰り支度をすませて教室を出た藍を、わたしは慌てて呼び止めた。彼女は一度で振り向いてくれた。


「えっと……八重野藍さん、でいいよね?」


 彼女は頷いた。意地でも喋らないつもりなのだ。


「わたしの名前は分かる? 山辺(やまのべ)(さくら)っていうの」


 藍は二回頷いた。覚えました、というしぐさだと思う。


「えっと、その……なんというか」


 呼び止めておいて、わたしは何をするか全く考えていなかった。ほとんど反射的に、飛び去ろうとするハトとかスズメを捕まえようとするような、そんな感じだった。ハッと我に返ったときには、頭の中が真っ白になっていた。

 だからもうとっさに、思いつくままにわたしは右手を差し出した。

 わたしの右手はおかしな形をしていた。人差し指と中指をくっつけ、第二関節から内側に曲げていて、横から見ると釣り針を模したような形になっていた。しかも相手に向けるでもなく、肘から先を上げているだけ、まるで中途半端に作った招き猫のようだ。

 藍は無表情のまま、首をかしげた。……まあ、そうなるよね。


「えっと……藍さんも、やってみて?」


 すると、藍も同じポーズを迷いなくやった。割と素直な子なのかと思ったよ。

 ためしに、この指のまま、手のひらを上に向けながら藍の前に差し出すと、彼女も同じようにわたしの前に差し出した。その小さな二本の指に、わたしは曲げたままの指を引っかけた。フック同士が噛み合うように。

 よく分からないと言わんばかりに、藍はキョトンとした表情を浮かべた。藍がこっちを見てくれるのを待ってから、わたしは覚悟を決めて告げた。


「これっ……わたし流の、友達のサイン」


 いま思い返しても、歯切れの悪い言い方だった。同級生の女子を相手に、やたら緊張していたことばかり覚えている。

 藍は表情を全く変えず、じっとわたしを見つめていた。


「その……あ、藍さんがよければ、というか、わたしでよかったら……と、友達に、なってくれないでしょうがぬ!」


 最後の最後で噛んでしまい、緊張の糸が切れて途端に恥ずかしくなった。わたしは、使っていない左手で顔を覆った。本当は口元を押さえたかったけど。


「いや、ごめん……ちょっと落ち着かせてもらっていいかな」


 わたしばかり、やることなすこと空回りしていて、すぐにでも逃げ出したい気分になっていた。でも、逃れることはできなかった。

 ふと気がつくと、指先が引っかかっていただけの右手は、もう一つの右手の中にあった。


 わたしが顔を上げると、藍と目が合った。

 彼女は、ちょっとだけ歯を見せて、微笑んだ。


 一日通して、ほとんど表情を変えなかった彼女が笑ったことで、不思議なことに、恥ずかしさも焦りも消えてしまった。そんなもの、初めからなかったかのように。

 彼女は結局なにも言わなかった。だけど、その笑顔が答えのすべてだという事に、疑う余地などなかった。


  * * *


 今さら白状する事でもないが、あのサインはその場でとっさに考えたもので、意味もなければ、特別な思い入れもない。使ったのもこれ一回きりだ。意味のないサインを使ってでも、あの時のわたしは、八重野藍と親しくなりたかったのだ。

 どうして、と問われても困る。わたし自身、なぜあんな事をしたのか、よく分かっていなかったらしいのだ。

 それからというもの、藍と過ごす時間は次第に増えていった。別のクラスに移った友人とも顔合わせをして、彼女の交友関係は着実に広がったと思う。とはいえ……これほど長い付き合いになるとは、思っていなかったのだが。

 長い交友を経て、わたしが藍を選んだ理由については、いつしか深く考えるのをやめてしまった。でも、藍のことを心から親友だと思えるようになった今……そう、今なら、考えなくても分かる。


 きっとわたしは……あの子を、ひとりにしてはならないと思ったのだ。

 言葉を持たない、名探偵の卵を。


 次回より、ミステリが本格的にスタートします。

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