人類の半分を瞬殺できる【最強】の私が、そこらにいそうな【ザコ】一人を殺すために命を投げうつことになったんだけど?
一人殺せば悪党で、百万人だと英雄だ。
数が殺人を神聖化する。
チャーリー・チャップリン(1889~1977)
◆
ーーこの世に私ほど殺人に長けた人間はいない。
これは決して自惚れではない。
私の所属していた殺人サークルの友人らも認めている事実である。
彼女らは皆、口を揃えて、私がその気になれば百万の人間を軽く殺して、瞬く間に現代のヒトラーになれると訴えていた。
けれど、それすら過小評価だ。
だって私がその気になれば、世界人口の半分にあたる37億ほどを、秒で殺せてしまうのだから。
◇
そんな私がかの天才・チャップリンを嫌う理由は二つある。
一つは、チャップリンが大量殺人をよしとしているためである。
そこには殺害対象各々への愛着がない。機械的で、あまりに無味乾燥としている。
殺人は恣意と情熱の伴った、芸術でなくてならぬ。
二つ目の理由は単純で、チャップリンは『一人殺せば悪党』と決めつけているが、それは誤りだからだ。
私は誰からも賞賛される形で、ヒト一人を 墓場送りにする方法を知っている。
それも合法的、かつ倫理に即するやり口で、だ。
私はこれから、それを実行に移すつもりである。
ーーこれは、そんな私の殺人記録だ。
◆
“彼”は冴えない男だった。
お喋り好きを自称する割に口数が少ない。たまに口を開くとピントのズレたことばかりいう。
頭の回転が鈍く、職場ではミスばかりしているともっぱらの噂だ。
加えて身長が低く、年相応に堕落した身体つきをしていて、何より年収はなおのこと低い。
そんな彼に多少の人望があるのは、ひとえに人柄故であろう。
彼が声を荒げた場面を、私は未だかつて見た記憶がない。
彼との腐れ縁の年季は、かれこれ四半世紀に突入せんとしているにも関わらず、だ。
どんな時でも慈しみと親愛の情を伴って、他者と交わる好人物ーーそれが、周囲の人間から見た彼のイメージなのだ。
彼を少しでも知る者は皆、同じように、彼を『人畜無害』と評する。
しかし、私だけは知っている。
ーー彼は私と同じ、瞬きのうちに人類の半分を殺せる人間なのだ。
◇
今は昔、梅雨の雨の降りしきる、夕暮れのこと。
木々の濡れた匂いの立ち込める、通学路にて。
ーー私は彼に、完膚なきまでに壊された
◇
彼に壊されて以来の私は、ただ、彼を殺すためだけに生きてきた。
大量殺人などに興味はない。
殺人は恣意と情熱の伴った、芸術でなくてはならぬ。
故に。
私がヒトを殺すのは、生涯、彼一人でなくてはならない。
◆
そんなわけだから、私に彼の殺害を禁じることは、ヴィーガンに犬の肉を食わせるようなものであり、それすなわち存在意義の剥奪と同義である。
止めようたって、無駄だ。
私の意思は、鰹節のように硬い。
彼の殺害計画は誰にも止められぬ。
その旨を伝えに、かつての殺人サークルの仲間にして親友の、幼馴染の自宅に突撃したところ、彼女は加速装置にまたがり殺人の訓練に精を出していた。
「加速装置じゃなくて、ランニングマシーンね」
夜分遅くに押しかけたためか、彼女の口調には幾分か棘がある。
私はそんな彼女を無視して、彼の殺害計画を詳らかに捲し立てた。
彼女と彼も旧知の仲であるため、何かしらのリアクションを予期したが、返ってきた反応は、意外なほど淡白だった。
私がそれに対して不平を言うと、彼女はたただ一言
「だって分かってたことだもの。でもよかったわね、おめでとさん」
と口にした。
◆
彼はサイクリング好きだ。
自転車の種類や、サイクリング選手の知識に精通しているわけではなく、ただ自転車を漕ぐのを好んでいるようだ。真の自転車好きは、彼をニセモノと蔑むことだろう。
しかし自転車への熱意だけは本物とみえて、30kmも先にある職場まで、毎日決まったルートをわざわざ片道2時間もかけて、自転車通勤している。
いいご身分である。
ーー私は彼の帰宅ルート脇の藪の中で彼を待ち伏せていた。言うまでもなく、彼を奇襲することが目的だ。
何もそんなところで待ち伏せする必要はないのかもしれないが、先に述べた通り、殺人とは芸術である。意外性と演出が不可欠なのだ。
……しかし、梅雨も明けかけの時分もあってか、藪蚊が多いのは如何ともしがたい。
私は彼が早急に帰宅することを願った。
◇
彼がやって来たのはそれから一時間後のことだった。
◇
私は彼が視界に入るや否や「たのもうっ!」といった旨の声を張り上げ、飛び出した。
彼は顔を強張らせ、そのまま走り去ろうとしたが、私が慌てて「待って!」と叫ぶと彼は一転「ああ、お前か」と呟き立ち止まった。
それから彼に、用件を尋ねられた。
私は、彼を殺害する計画を、一から十まで包み隠さず説明した。
その際、彼の顔が次第に青ざめていく様は実に痛快であった。
「待て、考え直せ」
「ならぬ」
「お前に殺されるのだけは、勘弁」
「私では、不服と申すか」
「俺の身の丈が合わないと言っている」
「足りる足りぬは私が決める」
「考え直せ、後生だから」
「ならぬならぬ」
ーーそれから彼と、こんな旨のやりとりをした。
あくまでそういう趣旨の会話を交わしただけであり、細部が異なっていることに留意されたし。
抵抗を無駄と悟った彼は、なんと自転車を放棄して逃走を図った。
◇
ーーこの世に私ほど殺人に長けた人間はいない。
それはそれとして、私の脚力はそこらの女子と大差ない。
むしろひ弱な部類にあたる。
毎日チャリで通勤している彼の脚力にはとても敵わない。
私なりに必死で彼の後を追ったものの、距離は広がるばかりである。
私はやむを得ず、あらゆる状況を想定して用意した、対彼殺害道具の一つ・『激ぬるローション君』の中身を、彼の足元にぶちまけた。
「ぬおっ!?」
彼は頓狂な声をあげて、すってんコロリンと転がった。私はすかさず、彼に飛びのり、その身柄を確保した。
◆
十分後。
私は嗚咽を漏らしていた。
彼の背に腕を回して
人目も憚らずに泣いた。
泣いて、泣いて、泣きながらーー私がいかに、彼を殺したいと思っているのか、その思いの丈をぶつけた。
彼は終いに、観念してーー私に殺されることを受け入れた。
◆
私の殺人計画は、誰からも賞賛されるものであり、合法的であり、なおかつ倫理に即する完璧なものである。
しかし、一つだけ、致命的な欠点を内包していた。
ーー彼を殺す際、私自身もまた、彼に殺されなければならないのだ。
これは殺害計画の構造上、どうしても避けて通れないファクターである。
私とて命は惜しい。
もっと人生を謳歌したい気持ちもある。
しかし彼を殺したい欲求に比べれば瑣末事である。
そんなわけだから、私と彼の今際の際を看取るのは必然的に、互いに互いということになり、しかるに私と彼の人生最後のやり取りは、以下のようなものとなった。
「…………好きです、結婚してください」
「はい」
◇
結婚は人生の墓場である。
シャルル・ボードレール(1821〜1867)
◇
かくして。
彼と私は末永く、人生の墓場に納まる運びになったのである。
めでたしめでたし。
いぇいっ。