ツヅラ、奇妙な少女を救う
「やめてください!」
少女の叫び声に、ツヅラは顔をあげた。街道から外れた、鬱蒼とした森である。王都へ帰る途中だった。ツヅラは便利屋を営んでいる。今回の依頼は『辺境に現れた巨人を殺す』という、なんともイカれた仕事だった。その仕事が遂行されたのか、不首尾に終わったのか、それは今回の話には関係ない。ともかくツヅラは帰路の途中だった。
陽が傾きつつある。何の気なしに森に入り、そのまま迷ってしまったのだ。予定では街道沿いの村で宿を取るはずだった。
「しかたない、今夜は野宿だな」
陽が完全に沈む前に薪を集め、火を起こした。焚き火が揺らめき、ツヅラの顔を照らす。木のはぜる音が静まりかえった森の中で奇妙に響く。ツヅラは焚き火を見つめ続けた。炎を見ていると、先の大戦の事が頭の中に浮かんできた。人間と亜人と巨人による凄まじい戦争。首を落とした。腹を裂いた。骨を砕いた。続けること五年。血を浴びた。屍を焼いた。ひたすら殺した。あれから八年。世界は平和になった。だからツヅラは王都で金にもならない便利屋などを営んでいる。先の大戦で1125体の巨人を殺した功績を認められ、彼は騎士爵位を与えられた。さらにはシュヴァリエ公爵の末娘まであてがわれたのだが、ツヅラはそれらを捨て、王都の底辺で暮らしている。普通ならそんな非礼は赦されないのだが、大戦の五大英雄のひとりに数えられるツヅラである。誰も好き好んで【巨人殺し】を裁こうなどとは思わない。
火はいいなぁ、とツヅラは思う。燃える物を燃やし、すべてを灰にしてしまう。単純だ。複雑じゃない。世の中は単純に限る。駆け引きも、出世も、野心も、おれには似合わないなぁ。そういう意味じゃ、戦場はおれに合ってたのかもしれない。敵を殺していればいいんだから。
いまや夜が森を包んでいた。
いつの間にかツヅラはうつらうつらしていた。眠い。ゆっくりと瞼を閉じる。その時、
「やめてください!」
少女の叫び声が静寂を貫いた。
ツヅラは顔を上げ、声がした方を眺めた。闇の中に、微かに松明の灯りが見えた。
「離してください! 誰か、助けて!」
またもや悲痛な少女の叫びが響く。続いて男たちの、野卑な嗤い声。
「どうしようかな」ツヅラは面倒臭そうに呟いた。正直眠い。今日は一日歩き通しで疲れている。見て見ぬふりならぬ聞いて聞かぬふりをしても誰もおれを責めないんじゃないか、しかしなぁ、どう考えても幼い少女の声だし、これから犯されそうだし、こんな近くで少女が輪姦される悲鳴を聞かされ続けるのもなぁ、そりゃ戦場じゃそんなこと日常茶飯事だったけど、でも戦争は終わったしなぁ、それにおれは周りが思ってるほど悪い奴じゃないし、そりゃ先の大戦じゃ巨人を殺しまくったけど、だからっておれに良心が無いわけじゃないんだ、そうだ、そうそうそうだよな、困ってる少女を助けるくらい朝飯前だ、何せ仮にも王国五大英雄なんて呼ばれてるんだし、たまには人助けでもするか。
剣を取るとツヅラは歩きはじめた。
草木をわけて灯りにたどり着くと、少女が四人の野盗に押さえつけられ、いまにも犯されそうだった。
「こらこら君たち、そういうのは良くないんじゃないかな」
できるだけ穏便に済まそうとツヅラはやんわりと声をかけた。
すると男たちは一斉にツヅラを見た。欲望にギラギラ光り、それでいて邪魔されたことに腹を立てている、恐ろしい八個の目玉が彼を睨んだ。が、ツヅラはそれを受け流すと言葉を続けた。
「ほら、見てみなよ。彼女泣いてるじゃないか。服も破れてるし、頬だって腫れている、ははぁ、殴ったんだな。いけないなぁ、いや別にフェミニストってわけじゃないけど、でもこんな少女を殴るってのはどうなんだろう。可哀想じゃないか。それに見たところ彼女は生娘だ。そんな女の子を寄ってたかって犯そうなんて、大人のすることじゃないよ。どうだろう、悪いことはやめて皆で娼館にでも行くってのは。金が無いっていうなら貸してやってもいい。実は仕事帰りで報酬があってね、まあたいした額じゃないんだけどね」
そこで一旦ツヅラは言葉を切ると
「どうかな、おれの提案」
と笑う。
「おめぇ、頭が弱いのか?」
野盗のひとりがこめかみを叩きながら嘲笑する。他の三人もつられてゲラゲラ嗤いはじめる。
「俺たちは盗賊なんだよ、欲しいものは金だろうが女だろうが奪うんだ」「そうだぜ、それに陽が落ちてからこんなところをうろついてるこのガキが悪いんだ」「まったくだ。犯してくださいって言ってるようなもんだぜ」「しかし兄ちゃん、金を持ってるんだってなぁ、それにその腰の剣、なかなか業物じゃねぇか。鴨がネギを背負ってくるとはこの事だぜ」
一番手前の野盗が短刀を抜き、立ち上がる。ツヅラに近づき、刃を首に当てる。
「身ぐるみ置いてとっとと失せろ。そうすりゃ命だけは助けてやる」
ツヅラは押し当てられた刀を見る。
「良くないよ」ツヅラは苦々しげに呟く。「おれに刃物を向けるのは良くないよ。いや、本当に、ごめんね。これから起こることはほとんど条件反射みたいなものでさ、だから悪気は無いんだ」
瞬間、野盗の刀が手首ごと地面に落ちた。血が噴き出す。野盗は理解できないといったように自分の腕を見、叫び声をあげる。だが、次の瞬間には足首、腿、腰、胴、胸、そして頭部とバラバラになって崩れ落ちる。
いつの間にか、ツヅラは剣を抜いていた。
松明に照らされたツヅラの顔は、血飛沫に濡れておぞましく見えた。
「いや、ごめんごめん。こんなつもりじゃ無かったんだけど、まあ成り行き上しょうがなかったと思う。だって刃物を向けられたんだよ? 正当防衛だよ」ツヅラは剣を戻すと死体を跨ぎ、三人の前で立ち止まる。「おれの事を悪い奴だと思っただろうけど、誤解だよ。おれは殺しがしたくてここに来たわけじゃない、この少女を助けに来たんだ。だから、もうこんなことやめようよ」
野盗たちは震えながら何度も頷くと、剣や鎧を脱ぎ、財布を投げ、土下座する。
「す、すすすすいませんでした、も、もももうこんな事はしません、だ、だだだだからい、命だけ勘弁してくださいッ!」
「おれはさっきからそう言ってるつもりなんだけど」
「そ、そうなんですか、それじゃあ、俺たちはこの辺で」
三人の野盗は卑下た笑を浮かべると、ゆっくり後ずさりはじめた。
だが、
「ハァ? 私のこと犯そうとしといてふざけんじゃねぇよ」
飛び起きた少女が、金切り声を上げた。
三人の野盗も、それにツヅラも、そのあまりの剣幕に一瞬動きが止まった。さっきまで泣きじゃくっていた少女の顔はもはや無い。目が見開かれ、瞳孔が細くなり、唇から何本も牙が覗いている。健康的だった白い肌は、いまや死体のように蒼白だ。鬼気迫る表情でゆらりゆらりと三人に近づくと、次の瞬間、飛びかかる。
ここから先は自主規制とさせていただくが、そりゃあもう語るにも憚る惨劇が繰り広げられた。血は噴くわ肉は飛ぶわ臓物が溢れるわ。皮は剥がれるわ骨は砕けるわ歯が抜かれるわ。残酷無比、悪辣非道、人面獣心、とにかく地獄のような行いが少女の手によって演じられた。それだけならまだ良かったが、なんと少女は野盗の死体を喰い始めたのだ。
ズルズル、むしゃむしゃ、ゴクゴク、ぷはー、やっぱり人間の肉って美味い!
「喰屍鬼だ」ツヅラは少女の見事な食べっぷりを眺めながら呟いた。「魔物だ、死者だ、アンデッドだ。なんだ助けて損したなぁ。やっぱ寝てれば良かった」
「罠を張ってたんですよ」
焚き火を挟んで向かい側に座る少女は、ゲップをしながらそう言った。
「陽が暮れてから人気の無い場所をうろついてると、獲物の方から近づいて来てくれるんです。死亡したときの年齢が十二で、自分でいうのもなんだけど私って可愛いし、だから見せ餌としては申し分ないんですよ。男の人って私くらいの年齢が好きじゃないですか。食糧がかってに来てくれるから楽です」
少女は満腹なのかニコニコしながら軽快に喋る。
ツヅラはなるほどなぁ、へぇへぇ、そうかそうかそりゃスゴい、と相づちを打つ。
「人の話ちゃんと聞いてます?」
「聞いてるよ。バルバレスの英雄とミドサンゴの三つ首の化け物が壮絶な殺し合いをした果てにミギャロ山脈で雪崩が起きて麓の湖が増水して雨が降ってマデロの村が洪水に襲われ、その時に君は命を落としたと」
「そんなこと一言も言ってません」
「そんな感じのニュアンスのことを」
「いってません」
「本当に?」
「いってません」
「そうか」ツヅラは申し訳なさそうに頷いた。「君の話に興味がない訳じゃないんだけど、実は凄く眠いんだよね。今日は一日歩きづめで、おまけに道に迷ってこんな森の中で野宿だ。正直寝たいんだよね」
ツヅラは鞄を枕に寝転がる。
「だいたいなんでここにいるの? 食事は済んだんだし、帰ればいいじゃないか。別におれは魔物を殺して金を稼いでる賞金稼ぎじゃないんだ」
「あ、違うんですか」
「違うよ。ただの便利屋だよ」
「なーんだ、そうだったんですね。てっきり私を狩りに来た冒険者かと思ってました。最近この辺りで殺しすぎちゃったから、そろそろ懸賞金でもかかっちゃってるかなーなんて思ってたんですけど、違うんですか」
「さあ、それは知らないけど。おれはこの地方の人間じゃないからなぁ。ここには仕事で来ただけだよ」
「そうだったんですね。冒険者なら殺さないと後々面倒なことになるし、お兄さんが寝るまで待ってようと思ったんですけど、なーんだ、そうか、違うのか」
「違うよ。それにね」ツヅラは炎越しに少女を見る。「おれの寝首を掻こうなんて考えない方がいいよ。なんていうかなぁ、もう条件反射になっちゃってるんだよね。寝てようが食ってようが小便してようが、襲われると反射的に殺しちゃうんだよ。相手が何であれ、気づいたらバラバラにしちゃうんだよね。だから結構誤解されるんだけど、でも別におれは悪い奴ってわけじゃないんだよ。さっきだって君の事を助けたわけだし、まあ結果的に意味なかったけどさ。まあようするにおれの事を殺そうとしない方がいいってことだ。アンデッドの殺し方くらい熟知してるし」
「さっきの野盗の殺し方を見るに、冗談じゃ無さそうですね」
少女は唇の端についていた血を舐めとる。
「それにしてもお兄さん、冒険者でもないのにめちゃくちゃ強いですね」
「ずっと戦争に参加してたからさ」
「戦争っていうと先の大戦ですか」
「そう、先の大戦」ツヅラの瞼に燃え盛る戦場が投影される。「前線に五年もいたからね、いやでも強くなるよ。というより、強くならないと生き残れなかったって方が正確だけど。思い出すだけでも地獄だなぁ。あそこは掛け値なしの地獄だったよ」
「どこで戦ってたんですか」
「ギガントマキア」
「ハァッ!?」
「どうしたの」
「ギガントマキアって巨人族と人間軍が十年間激戦を繰り返していた最悪の国境線ですよ。あんなところに五年もいたんですか? ってことはお兄さん、巨人相手に戦争してたんですか?」
「そうだよ。いったじゃん。強くならないと生き残れないって」
「巨人を殺すって、そんな簡単に・・・だってあの巨人ですよ。あの、とにかくデカくて、凶暴で、岩だろうが大地だろうが拳だけで粉砕するし、蹴りを放てばどんな建物だろうと粉々になるし、なにより人間だろうと亜人だろうと魔物だろうと見境無く、とにかく大虐殺を繰り広げた、あの巨人ですよ」
「その巨人だよ」
「ヘェー」少女は感心したように腕を組む。「通りで強いわけですね。手を出さなくて良かったー、お兄さんを襲ってたら絶対殺されてましたよね。間一髪ですね、紙一重、首の皮一枚、一触即発」
「最後のは意味が違うけどね」
「それにしても」少女は奇妙な顔でツヅラを見る。「よくギガントマキアなんかに行く気になりましたね。私なら絶対行かないですよ」
「おれだって行きたくなかったよ。でもさ、なんていうのかな、時として絶対に抗えない巨大な意志みたいなものが世界に介入してくる時があるんだ」
ツヅラは眼を開けると、焚き火を見る。燃え盛る炎。はぜる音。すべてを燃やし、灰にし、やがて消えてゆく熱量の塊。ツヅラの目が少しだけ狂気をおびる。
「それは歴史だったり、運命だったり、時には神と呼ばれたりもするんだけど、おれの前には戦争の姿で現れた。それは想像を絶するほど巨大でね、大雨の日の大河のように、凄まじい激流で人々を呑み込んでいくんだ。個人なんてものがちっぽけに思えるほど、圧倒的な流れでね、すべての【個】を統合しようとするんだ。統合し、一本の縄のように編んで、運命を共有させようとする。おれの場合はそれが戦争だったから、ひたすら殺し合ったよ。いや本当にさ、ずっとずっと殺し合った。目的があったはずなんだ、戦争に勝つとか、人類を守るとか、あるいは戦友を救うとかでもいい。それなのに、いつの間にか何のために戦っているのかわからなくなっていったんだ。目的のために行動するって正しいよね。結果のための過程、そうだよね。それなのに気づいたら、過程のために過程をこなしてたんだ。殺すために殺したんだよ。来る日も来る日も、裂き、潰し、砕いた。屠り、虐殺し、撃滅した。殺し、殺し、殺した。みんな狂っていった。戦友はみんなね、どんなに強い奴でも、イカれて自殺したり、裸になって巨人の前で躍り狂ったり、腐った死体を犯したり・・・そんな中で、おれだけがまともだった。少なくとも狂いはしなかった。なんでだろう。たぶんね、おれは最後まで【個】を守り抜いたんだと思う。統合されなかったんだ。臭い言葉だけど、魂に忠実だった。だから生き残ったのかもしれないなぁ。どう思う?」
少女を見ると、彼女は寝ていた。焚き火が消えかけている。彼は予想以上に長時間、ひとりで喋っていたらしい。
「またやっちゃったか」
ツヅラはため息をつくと、アンナの言葉を思い出した。
『ここの暮らし、でもアンタにはお似合いかもしれないわね。爵位も公爵の花嫁も、アンタには無意味だもの。ねぇツヅラ、気づいてないようだから教えておくけど、アンタは少し狂ってるよ。あんなところにいたんだからしかたないけど、時々アンタが怖くなる。おかしいでしょ、五年もアンタと一緒に戦ったのにね。でも、だからこそ言うよ。アンタはイカれてる。特に、変な独り言を言い始めたら要注意。もう戦争は終わったんだ。アンタはもう【巨人殺し】じゃないんだ』
王国五大英雄のひとり【薔薇の大賢者】アンナ・ウェルベックはそう言うと、王都最下層に構えるツヅラの店から出ていった。
「おれは狂ってる、か。そうかもしれないなぁ」
ツヅラは鬱蒼とした闇を見る。何もない。ただの闇。
「でもさアンナ、狂ってない人間なんていないんじゃないかな」
それを最後にツヅラは目をつむり、眠りへと落ちていった。
目覚めると朝だった。木漏れ日がツヅラの顔を照らした。草木の匂いが心地よかった。
少女はいなかった。跡形もなく消えていた。アンデッドは陽に弱い。早くに起き出してねぐらに帰ったのだろう。
水筒をあおり、干し肉とパンを食べ、荷物をまとめた。森を歩き出す。昨夜の野盗の血の跡を見つけた。小鳥が鳴いていた。爽やかな朝だった。しばらく歩いていると川に出た。その川沿いをひたすら歩いた。陽が頭上に来た頃、街道に出た。荷車を引いた馬がツヅラの前を横切った。街道を歩き始める。商人や冒険者とすれ違った。空は抜けるような青空だ。遠くに村が見える。人の営みが風に混じる。
今日も平和だ、とツヅラは思った。