第四部
「そこまで傷は深く無いね。これなら、すぐに治せるよ」
ルーネスは彼の妹にしたように、明良の傷口に触れ、傷を治していた。
傷は、あっと言う間に塞がった。
「まるで……最初から怪我なんてなかったみたいだ。とても驚きだよ」
明良は信じられないように、呟く。
「すると、妹の病気を治したのも……」
「そうだよ。放っておけなくてね。」
「……妹がその事を話していたけど、僕には信じられなかった。でも、本当だった訳か。ありがとう……ルーネスさん」
明良とルーネスが話しているのを、祐羽は黙って聞いていた。
「ククククッ……。どうやら、俺の事を忘れているみてぇだな」
男は既にもがく事を止め、下卑な笑みを浮かべている。
そんな男を、祐羽はキッと睨む。
「ああ、怖い、怖い。そう言えば……手前を刺した時の両親と兄も、そんな目だったなぁ……」
彼女の目つきはさらに鋭くなり、その奥には憎悪の炎が瞬いていた。ルーネス達二人は、この様子を不安そうに見ている。
「何ですって!」
「……どうやら、覚えていない様だな。そうさ! あいつら三人は手前が倒れるのを見て、逃げればいいものを、怒り狂って俺に楯突いたんだぜ? 手前と、同じ行動さ。キャハハッ! 愉快だったよ! それも最初は、手前の兄だった。まだ小さかったのにな! 俺は次に、そいつを切り刻んだ。残った二人は更に怒り、母親、そして父親が俺に襲って来たさ。いくら二人がかりでも、怒りに我を忘れちゃ大した事はない。簡単に始末出来たよ。………三人とも、死ぬ間際まで苦しみ、俺を憎しみの目で見ていやがった。 ハハハッ! これだから楽しい! 止められない! 本当に、血は争えないものだな」
男の傍には、ナイフが落ちていた。祐羽は近づきナイフを拾うと、男の正面に立つ。
「許さない……。絶対に、許さない」
「ほら、その目だよ! さぁやれ! どうせ俺は、自分の命にすら未練はないんだからな! 手前の家族が出来なかった事、望んだ事を果たせ! 復讐を遂げるがいい!」
「言われなくても!」
ナイフを強く握り締め、祐羽は男にナイフを突き刺そうとする。
しかしその前に、明良が彼女の腕を掴み、制止した。
「これ以上はダメだ。 復讐なんて無意味な事……」
「放してっ! 何も知らないくせに!」
祐羽は掴まれた腕を、必死に振り払おうともがく。
「君の家族が、この男に奪われたのは知っている。それがどれだけ悲しくて、辛いかもね。でも、君にこんな事をさせる訳にはいかない。それに、僕達が来なければ、今頃……」
そう言われ、祐羽はカッとなった。
「何が起こったかは理解しても、それがどんな気持ちだったか推測しても……、あの時、あの後ずっと、どんな思いで苦しんで来たかは、私にしか分からないわ! ……明良君が助けてくれた事は、とても嬉しかった。けど、私を止める権利は……ありません」
「それは……」
何も言い返す言葉が思い浮かばず、明良は下を向いて、黙った。
すると、先ほどから何も言わなかったルーネスが、冷静に話す。
「もしこの男が死ねば、苦しみは消えるの? 幸せになれるの?」
祐羽は一瞬困惑したが、すぐに元に戻った。
「そうよ。……きっと、そのはず」
「……分かった」
ルーネスの言葉とともに、木の枝の一本が鋭く尖った。枝は男の心臓に、真っ直ぐ伸びる。
だが、枝は胸を貫く寸前で、停止した。
いきなりの出来事に、彼女は驚く。
「君には、人殺しをしてもらいたくない。でも、どうしても男の復讐を望むなら…………僕が代わりに殺してあげるよ」
「けど、人を傷つける事は、掟に反するはず……」
「勿論そうだよ。特に、精霊が人を殺めるのは、中でも最大のタブー。もし男を殺せば、僕は消滅する。封印される事も許されずにね」
自身が消滅すると話しているのに関わらず、ルーネスは淡々としている。
「嘘……! 私を止めるために、嘘を言っているんでしょ! 私なんかの為に、自分を犠牲にまでする訳が……」
何も言わず、ルーネスはじっと祐羽を見つめている。彼女は、悲しくなった。
「……嘘って言って。ルーネスが消えちゃうなんて……嫌」
「なら、復讐を諦めるの?」
祐羽は首を横に振る。
「だったら、僕が代わりに復讐するよ?」
それも、彼女は拒否した。
「祐羽ちゃんはどうしたいのかな? 自分の命を引き換えにしてまで、復讐したかったんじゃないの? 僕一人が消滅するだけで、それが叶うんだよ?」
この質問に祐羽は迷い、やがてゆっくりと答える。
「だって……、ルーネスは私の大事な友達だから……」
ルーネスはそれを聞くと、優しい笑みを、彼女に向けた。
「そう言ってくれて、僕は嬉しいよ」
そして続ける。
「反対に、君はあの男をとても憎んでいる。それが、いけない事だとは、決して言わない。それだけの悲しみを、君は受けたのだから。けど、そんな人間の為に、大事な人を失う事は無いんじゃないかな? 君は憎い相手より、君の事を好きになってくれる相手に、目を向けるべきだと思うよ? この僕や……、彼のような、ね」
祐羽が、傍にいる明良に目を移すと、その通りだと言うように、頷く。
「僕も、祐羽さんを大切な友達だと思っているさ。確かに、君が受けた心の傷は、僕には感じることは出来ない。どんなに苦しくて、悲しかったかも。でもこんな事は、する必要は無いんだ。君の悲しみは消せないかもしれないけど、それを癒して、埋め合わせる事は出来るから……」
この言葉を聞いて、祐羽の表情から憎しみが薄れていく。それと同時に、彼女の目に涙が込み上げて来た。もちろん、これは恐怖から来る涙では無い。
「……初めから、こんな事は家族が望むわけが無いって……わかっていたの。それでも、憎しみが消えないで、復讐せずにはいられなかった。ごめんね、みんな……。そして、ルーネス、明良君も……。そして、ありがとう。私の事を、こんなに思ってくれるなんて……私……嬉しいよ……。ぐすっ、うわぁああん」
手に持ったナイフを地面に落とすと、祐羽は膝を付いて、大声で泣き出す。
泣いている間、ルーネスは彼女の肩にとまり、小さな手で、優しく頬を撫でていた。
彼女が泣き止んだのは、しばらく経った後だった。
「ううっ……ぐすっ……」
「ようやく、落ち着いた? なら、一緒に帰ろう。家まで送って行くよ」
泣き止んだ祐羽に、明良は手を差し伸べる。
「だ、そうだよ。どうする?」
ルーネスにそう聞かれ、彼女は目に残っていた涙を拭い取ると、彼の手を取って立ち上がった。
すると、何かを思い出したかのように、ルーネスは枝に絡まれた男を一瞥する。
「ああ、忘れていた。君を開放してあげる、好きな所に行くがいいよ」
そう言うと、男の両手足を縛っていた枝はほどけ、元に戻った。
男は地面にどさっと落ち、前にいる三人を、屈辱的な目つきで見る。
その目つきは、次第に凶暴さを帯びていく。
そして傍にあったナイフを拾い、彼女達に向う。その標的は……何と祐羽だ!
「キャーッハッハハ! 死ねぇ!」
気のふれたかのような狂笑に気づき、振り向くと、男は彼女のすぐ近くにいた。
祐羽の目の前で、ナイフは振り上げられる。
「……!」
突然の事で固まった彼女に、男は笑みを浮かべたまま、ナイフを振り下ろした。
グサッ!
ナイフから、何かに突き刺さった感触が、男に伝わる。
男は祐羽を始末したと思った。
だが、伝わった感覚は肉を裂いたものでも、骨を刺したものでも無かった。
もっと、何か別の物である。
それをよく見れば、男が刺した物は人間では無く、ただの木だった。
辺りを見回すと三人の姿はどこにもなく、場所も林では無く、どこかのジャングルだ。周囲には、熱帯の異国で見られるような木が繁茂している。
「いつの間に! ここはどこだっ!」
半狂乱になり、男は叫びながら、ジャングルを駆けた。
やがて目の前から、強い光が差し込んでいる事に気づく。そこが出口みたいだ。
希望を胸に、男はジャングルを抜ける。
その先には広い海が広がっており、白い浜辺にたどり着く。
男は浜辺の一番先まで行き、振り返る。そして今どこにいるかを悟り、絶望した。
そこは…………絶海の小さな無人島だった。
明良は恐る恐る、目を開ける。後ろでは祐羽が、茫然として立ち尽くしていた。
男がナイフを振りかざした時、明良は身を挺して彼女をかばった。
しかし目を開けると、男の姿は消えている。
「あれ? おかしいな? 男はどこに行った……」
「……あいつは、もう消えたよ」
彼が横を見ると、ルーネスが先ほどまで男がいた場所に、手をかざしていた。
「ルーネス、あなたがやったの?」
すると、少し残酷な笑みを浮かべて、祐羽の質問に答える。
「当たり。正直僕も、あいつのやった事が許せなかったから、遠くの孤島に転送したよ。だれも助けに来る事が決して無い程の、遥か遠くにある無人島に。これからはあいつが……ずっと一人。因果応報ってやつだよ。別に傷つけも殺しもしていないから、僕が掟を破った事にならないしね。」
そう言い終わると、すぐに優しい笑顔に変えて続ける。
「どうかな、祐羽ちゃん。悲しい過去は忘れられないかもしれないけど、これからは、前を向いて生きられるかな?」
「……はい」
祐羽は、はっきりと答えた。
「良かった。なら、安心して旅立てるよ」
「えっ、どう言う事?」
「ようやく封印から開放されたから、僕は世界中を廻りたいんだ。世界には、まだ困っている人達が多くいるから、彼らの力にもなりたいしね。
それに…………まだ、世界には僕の仲間が残っているかもしれないし、どうしても見つけたいから」
ルーネスの言葉を聞き、彼女は寂しそうな顔をした。
「また、会えますか?」
「時間はかかるかもしれないけど、必ずね。それまでに、友達がたくさん出来ていてほしいな、楽しみにしているよ」
祐羽はにこっと笑う。別れる時は、笑顔で別れたかった。
「素敵な笑顔だね、最後に見れて、とても良かった。……それじゃあ、さようなら」
いきなりルーネスの周りに、旋風が起こる。そして風が収まった時には……もうルーネスは消えていた。
それから一年経った、ある日の学校。
祐羽は高校二年生になり、友達も多く出来て、去年の彼女とは別人なくらいに明るくなった。
放課後の教室で、三人の女の子が話している。三人の中には祐羽の姿もあり、とても楽しそうに会話している。
「ねぇ、この間、美味しいケーキ屋さんを見つけたの。この前私の家で、聡美ちゃんと慶子ちゃんが美味しいって言っていたケーキ、あの店で買ったものよ」
友達の二人に、祐羽は笑顔で話している。この上品そうな女の子と、ボーイッシュな外見で内気な女の子は、特に仲が良い女友達だ。
「あの時のケーキは、確かに絶品だったわね」
「僕も……、美味しかったよ。また食べてみたい」
「それでね、これから三人でケーキ屋さんに行ってみない? とても色々な種類があって、どれにするか迷うかもね」
「……楽しみ。想像するだけで……お腹が減ったな」
「そうでしょ? 慶子ちゃんなら、そう言うと思っていたよ」
「私はダイエット中だから、カロリー少なめのケーキがあればいいかしら」
「あはは……、あるとは思うけど……」
祐羽が苦笑いしていると、ふと窓から見える木に、野生のリスがいるのが見えた。
そのリスを見て、彼女はふと、ルーネスの事を思い出す。
ルーネスは今頃どうしているかしら。元気にしているかな、私のこと、忘れてないかな……。こう考えていると、つい彼女はぼーっとなった。
「どうしたの……祐羽ちゃん? 窓に何かいるの?」
慶子に言われて、祐羽ははっとなる。
「……ごめんなさい、何でも無いわ」
そんな時、いきなり教室の扉が開く。現われたのは、明良だった。
「あっ、明良!」
「祐羽ちゃん、ここにいたのか。突然で悪いけどさ、僕の家に遊びに来てよ。妹も君に会う事を楽しみにしてるからさ」
「でも……いきなりすぎます! もう予定が入っているし、それに今言わなくても……」
祐羽は顔を赤らめて、ちらりと後ろの二人を見た。
二人は笑いを押し殺すのに、必死だった。
「ケーキはまた今度にしましょう。それより、祐羽の彼氏との予定を優先した方が、良いと思いますよ」
「そうです。せっかくの、彼氏さんの頼みだもん」
これを聞いて、祐羽の顔はさらに赤くなる。
「ちっ、違うわよ! 明良とはそんな関係って訳じゃ……」
しかし彼女が弁解する間も与えず、明良は、祐羽の手を握る。
「二人も分かってくれたみたいだし、早速行こうか」
「えっ! ちょっ……!」
祐羽が何かを言う暇も与えず、彼は彼女の手を引き、教室から連れ出した。
「ねぇ、どうしたの……? 説明して下さい。いつもなら、こんな事……」
明良の後を追いかけながら、祐羽は聞く。
「見せたいものがあるんだ。きっと、驚くよ」
二人は道路を走り、しばらくして、明良の家にたどり着いた。
彼は、家の玄関を開ける。
「亜紀奈、帰ってきたよ」
妹の亜紀奈はそれを聞いて、二階の部屋から降りて来た。彼女の様子はとても快活で、元気いっぱいだった。
「おかえり、お兄ちゃん。祐羽さんも久しぶり。来てくれたのね、嬉しいよ」
「こんにちは、亜紀奈ちゃん。いつも元気一杯ですね」
「へへっ♪ ありがと」
彼女は嬉しそうに笑う。
「それでね、今日祐羽さんを呼んだのは、友達に会わせたかったからなんだ」
「……友達?」
「うん! 祐羽さんがよく知っている友達だよ。……ほら!」
すると亜紀奈の肩から、小さい小動物のようなものが、ひょこっと姿を現した。
その姿を見て、祐羽は喜びの表情を浮かべた。
「ようやく戻って来たよ。ただいま…………祐羽ちゃん」




